2020年12月30日水曜日

NO437 「種をまく人」

「たとえ明日、地球が滅びようとも、今日私はリンゴの木を植える」という マルティン・ルターの言葉がある。過去にこだわり、未来を一顧だにしない人は、生きる屍と同じだ。
幕末の若者に最も思想的影響を与えたといわれる、激情の教育者吉田松陰は、獄舎の中で処刑の直前まで、自分の門下生のために『留魂録』という遺書を書き上げた。その教育が種となり、多くの若者が明治維新を成し遂げた。
「明日死ぬかのように今日を生きろ。永遠に生きるがごとくに今日学べ」といったのはマハトマ・ガンジーです。たとえ明日、地球が滅びようとも、未来をみつめ、種をまき続ける人でありたい。

~ 伊那食品工業会長 塚越寛さんより ~

所長視点)
どんな環境でも、未来に希望を持ち、志をもって、今を生きる。そういう人が未来をつくってきたのだと思います。そういう先人達が、ご先祖様がいたからこそ、今があります。いまに一喜一憂することなく、私も種をまく人でありたいものです

NO436 「自分を褒める」

先日、友人のYと話です。輸出の会社を経営していて、国内外に外国人のスタッフを雇っていたり、お客さんは全員外国人なんですね。Yによると、外国人はみんな単純とのこと。例えば、取引に手違いがあった時にはすごい怒るらしいんです。それはもう、取引がなくなるだろうと思うぐらいな怒りなんですね。でも、すぐにきちんと対応したらめちゃめちゃ褒めるらしいんです。その褒め方も、日本人からすると、大げさなぐらい感謝してくれるんですね。なので、単純に見えるというんですね。外国人は自己肯定感が高いと言われています。子供の頃に褒められているから自分を褒めることに慣れているし中には意味もなく自信満々な感じの人も多いんですね。日本人からすると、ちょっと不思議に思いませんか?どうしてそんなに自分を褒められるのか、そのあたりをYに聞いてみると、
「間違いなくこう言うよ。」
「自分を褒めるのに理由なんかいるのかい?日本人は変わっているな。」
「どうであろうが自分を褒めることだ。それだけだよ。」
”理由なんていらない”とのこと。そんな単純さは見習ったほうがいいと思ったんですね。

~ 鈴木義一さんより ~

所長視点)
日本人の民族性として「シャイな民族性」「神経が繊細だから」「謙虚」とか言われます。が、自分を褒めるときは理由はいらない単純さ…は必要かもしれません

2020年12月28日月曜日

NO435 「美しい言葉」

美しさは女の生命だともいえる。 修道院に入った身に着飾ることも、化粧することも縁遠くなったが、美しい言葉を使うことはできる。 それは、あそばせ、ございますを頻発することではなくて、できるだけ美しいひびきを持った言葉を使うと同時に、適切な言葉を正確に使うことも意味している。 借りものでない自分の言葉、そして、相手を傷つけないやさしい配慮を含んだ言葉でもある。 
  自分の感情を素直にあらわし、意見を他人にも理解できるように伝えるとなると、これはもう言葉の意識ではなく、話す人の品性にかかわってくる。 感情を適度にコントロールできる自制力、客観的にものごとを見る判断力、そして個性のある生活が必要となってくるだろう。 

~ 渡辺和子さんより ~

所長視点)
昔から「言霊」といわれるように、言葉には「霊」が宿っています。科学的にいえば、ある波動をもっています。 自分の心に宿る「愛の波動」が言葉に乗って相手の心に波動を及ぼします。言葉の表現も重要だし、常に自分の心を整えておくことが、人に対する最高の思いやりなのかもしれません

2020年12月27日日曜日

NO434 「自分を創る」

見た目にいくら華やかで艶やかでも、造花には真に人を引きつける魅力はない。人もまたいくら実力があっても、傲慢で鼻持ちならない人に人間的魅力はない。まず自分を創ること。自分という人間を立派に仕上げること。そして、徳の香る人になること…これこそ人生で一番大事な法則、これを遵守すれば人生は大丈夫という原則、すなわち人生の大則であろう。では、どうすれば自分を創ることができるのか。
一つは、人生に対して覚悟を決めること。覚悟を決めない限り、真の人生は始まらない。沖縄の漁師が言ったという。「遠洋の漁場に出ようと決めると、風が起き、帆がざわめき、波が立ってくる。だが、まだ覚悟が決まらない船には風が起きんのよ」人生もまた然りである。
二つは、傲慢になるな、謙虚であれ、と教える。不遇の時には謙虚だった人が、うまくいきだすと傲慢になる。傲慢になった時、天はその人の足をすくう。その事例は数限りない。
三つは、誠実であれ、ということ。誠実は古来聖賢がもっとも大事にした人間最高の徳目である。

~ 致知出版社社長 藤尾秀昭さんより ~

所長視点)
人間的魅力を備えるために、覚悟を決める。謙虚になる。誠実である…。それは「目の前のことを受け入れ、感謝し、一生懸命楽しんでやること」あたり前のことかもしれませんが、あたり前のことを、あたり前にできる人のことを一流というそうです。




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2020年12月26日土曜日

NO433 「長続きする幸運」

運の強い人は、じつは、やって当たり前のことをきちんとやっている人なのです。どういう仕事、どういう役割であっても一生懸命にやっている人は、いろいろなところで運をつかむチャンスに出合います。あなたの周りを見てください。「彼には安定感があるな」とか「彼女はいつも朗らかだな」と思わせる人は、自分本来の仕事はもちろん、どんな小さな仕事や目立たない作業、地味な雑用でもきちんとこなしているはずです。しかも一生懸命、楽しそうにやっているはずです。そういう人は、大きく落ち込んだり崩れたりすることはありません。本来の仕事が不調でも、ミスが続いても、全体の仕事を信頼されていれば周囲もちゃんとフォローしてくれます。じつはここが大切なところで、わたしは「みんなが喜んでくれたり応援してくれる幸運」は長く続いても「孤立した幸運」はすぐに終わってしまうと思っています。たとえば美味しいものが手に入っても、自分ひとりで楽しんでしまおうとする人と、仲間に声をかけて一緒に食べようとする人では、その後に続く幸運の長さがまったく違います。自分ひとりで楽しめば、幸運を独り占めできるかもしれませんが、食べてしまえばおしまいです。誰も美味しいものをプレゼントしてくれないのです。でもみんなで楽しむ人は、幸運の量は減っても誰かがまた声をかけてくれます。「この間はとっても楽しかった。今日はわたしが珍しいものをご馳走しますよ」と声をかけてもらえば、思いがけない幸運を味わうことができるのです。この繰り返しで、長く幸運に出合い続ける人生のほうが、はるかに幸せなはずです。

~ 精神科医 和田秀樹氏さんより ~

所長視点)
高齢者専門の精神科医の和田さんは「歳をとってからみじめな思いをするのはおカネがないことではなく、若い人に慕われないことだと思うようになりました。いくら経済的に恵まれていても、家族や子どもたちはもちろん、誰からも慕われずに生きていくというのは不幸な人生だと気がついたのです」と語っています。
おカネを貯め込むことより、自分の好きなことにおカネを使って、いろいろな人と楽しくつき合い、頼ったり頼られたりしながら生きたほうがずっといいし、そこから運が開かれていくようです


2020年12月25日金曜日

NO432 「捨て石」

トヨタには「診断士ではなく治療士なれ」という言葉があります。生産現場を診断して問題を指摘しても、問題を改善しなければ意味がないという意味です。物事は、批評するとか理想を語るだけではダメで、それを成し遂げて、初めて世の中に貢献したと言えるのです。明治初めの頃は、官職に比べて商工業を一段下に見る傾向が強くあっただけに、理想を語る人はいても、「やってみよう」という人はとても少ないものでした。そういう中で将来を嘱望される官職についていた渋沢栄一は職をやめる決意をします
「学問があるとか、気力があるとか、知恵があるとか、そのほか一芸一能ある者は、みな官職に就くという傾向になって、民間に人物が少しもいない。だから、上下のつり合いがとれず、国家の実力を発展させることができない。このため自分は明日、辞表を提出する決心である」
常識的には考えられないことでしたが、渋沢にはみんながやらないなら、自分がやってみせるという強い決意がありました。大切なのは、理想を上手に語ることではなく、現実にやってみせることです。実行こそが世の中を動かし、変えていくのです

~ 経済ジャーナリスト 桑原晃弥さんより ~

所長視点)
理想を語るが自分ではやってみようとはしない・・・そんな評論家、政治家、ジャーナリストなどが多くなってきたイメージがあります。自らの手を汚し、人から評価されなくても捨て石になって動く人がかっこいいですね。そんな渋沢さんは1万円札になるようです

2020年12月24日木曜日

NO431 「悲しい現実」

世の中の「悲劇」はすべて「否定する心」からはじまります。「そうじゃない、そうじゃない」と思う心、“非ず、非ず”と否定する“心”、これが“悲しい”という文字になっています。悲劇は、すべて否定する心からはじまるのです。
「好況よし、不況さらによし」という松下幸之助翁の言葉がある。また、「鳴かぬなら、それもまたよし、ホトトギス」とも言った。どんなに絶望的な状況にあっても、「それもまたよし」と肯定したとき、そこからパワーが生まれる。肯定からしか創造力も、エネルギーも生まれない。反対に、否定からはマイナスのエネルギーしか生まれない。ダメ、できない、無理、難しい、嫌い…。そして、「でも」「しかし」という否定語から入る。どんなときも、すべてを受け入れる人でありたい。

~ 西原宏夫さんより ~

所長視点)
すべての物事に特定の意味はついてないそうです。すべてが中立、ニュートラルです。そこに「否定する心」で、物事をみると「悲しい」「辛い」「難しい」という思いが湧いてきます。悲しい現実があるのではなく、現実を悲しいという意味をつけて見ている人がいるだけ。幸せになれるかどうかはすべて自分次第ということになります…

2020年12月22日火曜日

NO430 「種まき」

我々があの世にいくとき、あの世の番人に聞かれることがあるという。それは、生まれてからあの世に行くまでに、「どれだけ自分を高めることができたか」、「どれだけ人に喜んでもらったか」、「どれだけ人の役に立ったか」という問い。この世で、愚痴や不平不満、泣き言、悪口や文句のタネを播き続けるなら、また次に世でそれを刈り取らなければならない。だからこそ、我々が生きているうちにやらなければならないことは、「喜び」や、「おかげ様」や、「感謝」のタネを播き続けること。つかの間の一生、せめて「立つ鳥跡を濁さず」のごとく、「帰る時には来たときよりも美しく」を心がけたい。

~ 西原宏夫さんより ~

所長視点)
いまは時代は春の時代です(季節は冬ですが…)。種まきの時期。特別なことをしなくても、昨日よりも今日、今日よりも明日、感謝を増やしていくことがやがて秋になって、幸せを収穫していくことになります。足りないことを見つけるより、足りていくことに感謝してきましょう


2020年12月21日月曜日

NO429 「ありがとうのゲーム」

「ありがとう」のゲームを始めよう。人生で起こるすべてのことに「ありがとう」と言う。
とにかく「すべて」にだ。例外はなし。言い訳もなしだ。例をあげよう。
■朝、目覚まし時計が鳴ったら…
「今日もこうやって地球上に存在できることに感謝します」(今日を生きたくても生きられなかった人がいる)
■朝起きてトイレにいくときは…
「A地点からB地点に移動できることに感謝します」(タクシーがつかまらなくてイライラの絶頂になることもある)
■朝食のシリアルをかき混ぜているときは…
「十分な栄養が摂れることに感謝します」(あなたがシリアルを食べ終わるまでの時間で、全世界で75人が栄養失調のために命を落としている)
この本のアメリカでの出版社であるヘイ・ハウスの創設者、ルイーズ・ヘイは、常軌を逸した感謝の実践者だ。朝目を覚ますと、まずシーツと枕に感謝する。そして太陽の光に感謝する。ランチのときは、お皿の上にあるアスパラガスとサツマイモに感謝する。

~ パム・グラウト氏より ~

所長視点)
私達はあらゆることにおいて恵まれてます。この時代に生まれたこと。この日本に生れたこと。それだけで、全人類の中では最高に幸せな部類に入っています。こんなに恵まれているのに文句や愚痴や、泣き言が出てくるとしたら、すべてのことに感謝するゲームを始めるとよいかも。


2020年12月20日日曜日

NO428 「運勢の引き寄せ方」

弁護士をしていますと、たくさんの争い事のご相談を受けます。その大元には恨みの気持ちがあることも多いようです。恨みというのは厄介で、近しい人ほど恨んでしまう。ことに、自分の親兄弟のことを、なぜか恨んでいらっしゃる方は珍しくない。
例えば、会社の社長さんとこんな話になりました。
「実は、私は早くに母親を亡くしましてね。母親は35歳のまだ若いときに、病気で急に亡くなったんです。私は12歳でした。小さい子供でしたからね、本当につらかった。それからあまりにつらい時期が続きましてね、私は母を恨むようになったんです。『こんなにつらい目に遭うのは、母親が親らしいことを何もしてくれなかったからだ』そう思って生きていたんです」
「ところが、母の27回忌で、叔母がこんなことを言ったんです。『あんたのお母さんはな、自分はもう何も食べれないほど体が弱って、頭かてもうろうとしてたはずやのに。もう自分の横にいるのが誰かもわからん状態やったろうに。お医者さんやろうが、私やろうが、もう自分の近くにいる皆に、あんたのことを頼み続けてた。「うちの子を、うちの子を…。」ずっと、何度も何度も、そう言いながら死んだんやで』
それを聞いて、突然わかったんです。母に死なれて小さな子供だった私は、確かにつらかった。でも、そんな小さな子供を残して死ななければならなかった母は、私の何十倍も何百倍もつらかったに違いない。やっと、私は自分の親不孝に気づいて、心から詫びました」
叔母から聞いた話をきっかけにして、母への恨みが消えた後、その人は会社経営を成功させました。そして、今では幸せな人生を送っているわけです。母親の恩に気づいたことが、運を変えたのだと私には思えました。

~ 弁護士 西中 務さんより ~

所長視点)
「恨み」「妬み」「憎しみ」「怒り」「復讐」は神様はあまり好きではないようです。そんな感情を抱えていたら運勢は決して寄ってこない。運の神様が好きなのは、「恩」「慈しみ」「ゆるし」「よろこび」「機嫌がいい」「明るい」「笑顔」「感謝」。神様が喜ぶ生き方が幸せになる生き方のようです


2020年12月19日土曜日

NO427 「あたり前のこと」

【しつけの三原則】
1.  朝のあいさつをする子に。 それには先ず親の方からさそい水を出す。
2. 「ハイ」とはっきり返事のできる子に。 それには母親が、主人に呼ばれたら必ず「ハイ」と返事をすること。
3. 席を立ったら必ずイスを入れ、 ハキモノを脱いだら必ずそろえる子に。 

挨拶の基本は、人より先に挨拶をすることを心がけること。そして、呼ばれたら必ず「はい」と返事をし、席を立ったら椅子を入れ、脱いだ靴は揃えること。 「はい」という返事は自分の「我」を捨てる一番よい方法だ。 我ままになったり、偉そうになる気持ちをおさえるからだ。 躾(しつけ)とは習慣化のことだ。
人前で、どんなに偉そうなことを言ったとしても、「あいさつ」「返事」「後始末きちんと」という基本動作が習慣化できていない人には信用がない。小学生で教えるような「躾」ができていない大人は多い。長く続く良き習慣は、その人にとっての「信用」であり、目には見えない財産だ。小さな努力の積み重ねこそが、習慣化の第一歩。
それこそが、「凡を極めて非凡に至る」ということ。誰にでもできる平凡なことを、誰にもできないくらい徹底して続けてゆくと、「非凡」という人より一頭地抜きんでた人となることができる。「凡事徹底」の人でありたい。

~ 哲学者 森信三さんより ~

所長視点)
人生で大切なことは小学生までに習っているとのこと。躾もそうですし、助けてもらったら「ありがとう」。間違ったことをしてしまったら「ごめんなさい」。あたり前のことをあたり前にできる人が一流と呼ばれるのかもしれません

2020年12月18日金曜日

NO426 「整った環境」

カリフォルニアの研究者たちが、アメーバの一群を二つの異なるタンクに半分ずつ入れた。第一のタンクでは、水の温度、水位、その他諸々、注意深くモニターし、成長に必要な完璧な条件になるように調えた。一方、第二のタンクに入れられたアメーバは常に変化にさらされ、暑さ寒さの極限に置かれた。さて、どちらのタンクのアメーバが長生きしたか?驚いたことに、早死にしたのは、第一のタンクの、快適な環境に置かれたアメーバだった。研究者たちは、次のように結論づけた。

あまりに居心地のよい環境にいると、よどみや腐敗が生じる。
一方、努力を強いられたり、周囲に馴染むことを余儀なくされることは、成長を促進する。

あなたは、すべての条件が調ったらうまくいく、と思っているのかもしれない。しかし、むしろすべての条件が調っていないいまの状況こそ喜ぶべきだ。ただし、耐えなくてもいい逆境にわざわざ自らおとしめることはないが図らずも、もし逆境にさらされたら、そのときは喜んで迎えよう。そして、対処しよう。思い通りでない環境に感謝する日がきっと来る。

~ スティービー・クレオ・ダービック氏より ~

所長視点)
誰もが条件の整った環境にいる方がいいと思うけれども、実は思い通りにならないことに中にも宝物があります。条件が整ってないからこそ、努力する。考える。嫌なことや困難を、乗り越えることにより、自分を一段高めることができ成長できます。成長こそが人生の喜びであり、幸せを感じる瞬間でもあります


2020年12月17日木曜日

NO425 「おせっかいとおもてなし」

明らかに困っている人がいたら、迷わずに声をかけることができますが、その判断がつかず迷ってしまうこともあります。手を貸そうとして声をかけても「余計なお世話」と思われたら…、と考えると、声をかけるのをためらってしまうかもしれません。「おせっかい」と「おもてなし」の間には、相手がそれを望んでいるかどうかという明確な境界線があるのです。相手が望むか望まないかは相手の心が決めるもの。でもその心は見えない。それが読み取れないのであれば聞いてみるほかはないのです。
「よろしければお手伝いしましょうか?」
「大丈夫ですか?お手伝いは必要ありませんか?」
とひと声かけて相手の反応を見ます。もし相手が、「どうもありがとう。お願いします」と言われたら、お手伝いしますし、「いえ、大丈夫です。結構ですから」と言われたら、「必要があればいつでもお声がけくださいね」と、一歩下がればよいだけのことです

~ 元リッツ・カールトン日本支社長 高野 登さんより ~

所長視点)
相手の心は見えないのだから、「要望」や「望み」は聞いて確かめるしかないのにも関わらず、聞かない人は多いように思います。そんな人には「よろしければお手伝いしましょうか?」これは言いやすいですね。あとは少しの勇気…


2020年12月16日水曜日

NO424 「フォー・アザーズ」

今、世界で最もいいといわれている国はどこかというと、日本はナンバー1かナンバー2なんですよ。それはなぜか。日本は第二次世界大戦という大戦争に敗れて焼け野原になりました。原爆を二度も落とされて、日本はもう立ち上がれないと誰もが思っていたんです。ところが、そこから日本は見事に復興しました。そして、それ以来一度も戦争に関わっていません。科学技術に優れた経済大国になりました。しかし、それだけではないんです。日本にはお互いが助け合うフォー・アザーズの歴史的な伝統があるんですね。先に行ったような利他的な遺伝子が日本人の遺伝子の中にはある。これが大震災のときに見事に発揮されたと思います。
それから大自然の働きを素直に認める態度があります。確か震災で被害に遭った高校生の話だったと思いますが、「私たちは天を恨みません」と言っていました。これはまさに日本人が大自然の働き、サムシング・グレートの働きを感じているということでしょう。そういう素晴らしい性分が発揮されたと思います。
科学技術と経済力に加えて、大自然を尊敬し、 フォー・アザーズに生きる日本人に、ダライ・ラマ法王は非常に期待しているんです。おそらく、彼の言うように日本が世界を救うのでしょう。しかし問題は、私どもがそれを自覚していないということです。
21世紀には日本の時代が来るんです。日本の時代とはどういうことかというと、「こういう生き方をすれば幸せですよ」ということを日本が世界に示すことだと思います。

~ 筑波大学名誉教授 村上和雄さんより ~

所長視点)
「フォー・アザーズ」とは、キリストの「どんなときでも他の人たちのことを心にとめなさい」という教えになります。これは、神道の祝詞の中にもある言葉で利他の心のことです。あと、日本人に必要なのは自分の素晴らしさに気づくだけです。日本の国を出ると気づくことが多いように思います



2020年12月15日火曜日

NO423 「南無阿弥陀仏」

生涯を愛の教育にかけられた先生から、こんなお話を聞きました。
夜遅くに電話が入り、こんな夜中に誰が電話をくれたかと、受話器をとってみると、男の方が切羽詰まった声で、「世の中の人がみんな私を見捨てた。裏切った。生きてゆく勇気がなくなったから、今から首をつって死のうと思う。けれど、一つだけ気になることがある。南無阿弥陀仏と唱えて死んだら救ってもらえるか」というのです。
先生はおっしゃいました。「待ってください。あなたの気まぐれな南無阿弥陀仏ぐらいで救われるもんですか。そんなことより、あなたはまわり中が見捨てた、裏切ったというけれど、あなた自身が自分を裏切り、見捨てて死のうとしているじゃないか。その間も、あなたを見捨てずに、呼びかけ通しに呼びかけ、働き通しに働きかけていてくださる、その方のお声が聞こえないか」と。「そんな声、どこにも聞こえやしない」という電話の主に対して、先生はさらにおっしゃいました。
「眠りこけている間も、あなたの心臓が働いているでしょう。死のうとしているときも、あなたの呼吸が出入りしているでしょう。死なせてなるものか、頑張って生きてくれよとあなたの心臓を働かせ、あなたの呼吸を出入りさせてくれている。その働きを仏さまというのです。そのほかのどこに仏があると思うのですか」
「勘違いしていたようだな」とつぶやくようにいって、電話の主は電話を切りました。眠りこけている間も、自殺しようとしているときも、腹を立てているときも、笑いころげているときも、いついかなるときも私を生かしつづけてくださっている。その働きを仏と呼びます。

~ 愛知専門尼僧堂堂長、青山俊董さんより ~

所長視点)
私達は1日のうちで70回もの判断をしているそうです。そのうち60回以上は無意識のうちに判断しているとのこと。心臓の鼓動やまばたきをすることなども、無意識の自分が行っている分野だそうです。無意識と意識の割合は97:3です。まだまだわからないことが多いです。人生を「不幸だ」と決めるにはまだ早い?

2020年12月14日月曜日

NO422 「なんとなく」

私が恵まれていたのは、多くの先人から「目に見えない世界」の中にまことの喜びを見出すことを教えていただいたことです。「天が喜ぶ生き方」は「目に見えない世界」の中に見出すことができます。私たちは、普段「目に見える世界」を中心に生きています。「目に見える世界」では、何かが「できる」「できない」、「うまい」「下手」などが、はっきりわかります。ですから、目に見えたことだけを見て、ついつい「正しい」「正しくない」とか、「いい」「悪い」と言ってしまいます。
しかし、人の心の中は見えません。見えないからよくわかりません。自分の心のことですらわからないことがありますね。人の心のように「見えない世界」はわからないし、感じにくいものです。しかし、「見えない世界」を大切にして生きていくことが、天が喜ぶ人生にはとても大事なことなのです。
多くの人にとって「見えない世界」は「わからない世界」です。でも、わからないからこそ、自分で感じ取ろうとすることです。まずは、なんとなく、なんとなく感じることから始めてみる。これが出発点です。
この目に見えない「なんとなく」の世界を昔の日本人は、大切に生きてきました。そして、この「なんとなく」という漠然とした言葉でしか伝えられない世界を、「なんとなく」感じ取ってくださるみなさんがいる。この目に見えない「なんとなく」を深めていくことで見えてくる新しい世界があるのです。

~ 元伊勢道場長 中山靖雄さんより ~

所長視点)
 先祖のことを思うと、親から子へ子から孫へ、ずっと続いてきた命の結果、私は生まれてきたんだなぁ、ありがたいなぁ、となんとなく感じるこれが「目に見えない世界」の感覚です。なんとなく感じる、なんとなくありがたいなぁと思う、この感覚です。それを大切に思うことが人にとって一番大切なことなのかもしれません


2020年12月13日日曜日

NO421 「絶対はおいしいものはない」

世の中に、絶対においしいものなんか、あるんだろうか?たぶん、ないだろうね。どんなにおいしいものでも、お腹いっぱいのときに食べたら、大しておいしいとは思わないだろうし、普段はさほどおいしいと思っていなくても、お腹が空いてどうしようもないときに食べたら、こんなにおいしいものがあったのかと感激するんじゃないかな。だから、絶対においしいものなんか、世の中にはない。ただし、ものをおいしく食べることはできる。
きっと一緒なんだろうね、人生ってやつも。絶対におもしろいことなんかない。同じことでも、状況によって、おもしろかったり、おもしろくなかったりする。だけど、どんな状況にあっても、ものごとをおもしろくすることはできるんじゃないかな。ボクはこれまで、どうしたらおもしろくなるか、そればっかり考えて生きてきた。
そんなボクだからこそいえることがあるとすれば、おもしろがった人のほうが、人生を面白く生きられるということだ。おもしろく生きることに、年齢は関係ない。いくつになろうが、おもしろく生きようと思えば、おもしろく生きられる。かえって長く生きてきた人、いろいろなことを経験してきた人のほうが、おもしろがるコツを知っているんじゃないかな。

~ 萩本欽一さんより ~

所長視点)
神社では神様に祈ることとともに、お祭りをする。神様は人間と一緒に喜んで騒いで歌って食べるのが好きなのかもしれません。そうであるなら、面白く生きている人とは気があうはず。そのほうが運がよくなるし、人もお金も寄ってくる。神様とともに喜べる人になりたいものです

2020年12月12日土曜日

NO420 「返報性の法則」

世の中をナメている人間は、いつか必ず大失敗します。ナメてかかると、いずれ相手に復讐されるというのが、この世の法則だからです。これを「返報性の法則」といいます。他人を疎んじていると、必ず他人に疎んじられ、お金を軽んじていると、必ずお金に軽んじられ、健康を無視していると、必ず健康にも無視される。逆に他人を大切にする人は、人間関係に恵まれ、お金を大切にする人は、お金に恵まれ、健康を大切にする人は、健康に恵まれるようになる。雑巾だって大切に使えば、長持ちしてくれます。この返報性の法則をしっかり理解し、大切なものを大切にしてさえいれば、どんなに不幸になりたいと思っても、そうそう簡単に不幸にしてくれません

~ イメージトレーニング指導者 西田文郎さんより ~

所長視点)
何事に対しての一生懸命、懇切丁寧に生きる人は必ず報われる時代が来ました。結果がでようとでまいと、人から評価されようとされまいと、自分の生き方がそのまま現れる時代です。「鏡(かがみ)」をみて自分の姿が映ります。その姿に「我(が)」が無ければ「神(かみ)」になります…




2020年12月11日金曜日

NO419 「花をもたせる」

相手に花を持たせるとは、その人を立てて功を譲ったり、 人に名誉や手柄を譲ったり、相手に恥をかかせなかったりすることだ。何か議論になってしまったようなとき、あえて反論せず、「そうですね」と言って引き下がるようなこと。ムキになってやり合えば、ケンカになってしまい、関係も悪くなる。正しさを競って、相手をやり込めることができたとしても、何の得もない。サッとよけることだ。「自分の方がすごいんだ」とか「私のがもっと知っている」と競うのは、傍から見ていて見苦しい。人間が「小さい」とみられてしまう。そして、人としての器の大きさが問われる。人と話をしていて、自分の方が多くしゃべってしまう、というのも同じ。人の話をじっと黙って聞いている、出しゃばらないし、静かに控えている、ということは人間関係にとって、時に、とても大事なこと。相手に花を持たせる人でありたい。

~ 経営者 西原宏夫さんより ~

所長視点)

人から評価されてもされなくても心がブレないのは軸を持っている人です。軸は価値観であり、生き様でもあります。自信とは自分を信じると書きます。結果をだせるから自信がつくというのもありますが、どんなときでも自分を信じることができればブレない軸をもつことができます。花をもたせることができる人はかっこいいです

2020年12月10日木曜日

NO418 「想定外」

想定外の出来事は、生涯にわたって起こり続けます。
あなたの人生に影響を与える出来事の多くは、実際にはあなたが生まれるよりもずっと前に起きています。たとえば、自分の親や、母国語、人類や出生地などを自分で選ぶことはできません。最初に通った学校、同級生や先生の選択に関して、あなたはいったいどれほどコントロールできたでしょうか?友達は自分で選んだと思うかもしれませんが、実際には、住んでいるところや、学校、仕事、家族のつながりなどでお互いに近くにいれば、たいていの人は友達になるものです。キャリアや職業も同じです。大学での専攻分野や、職業、会社、同僚、上司にも想定外の出来事が影響を与えています。
自分の行動をコントロールすること、人生に影響をもたらす出来事に対して自分がどう思うかをコントロールすることはできますが、結果をコントロールすることはだれにもできません。人生には保障されているものは何ひとつありません。そのなかで、確かなことは、何もしないでいる限り、どこにもたどり着かないということ。あなたの行動次第で望ましい結果が起こる確率を高めることができる唯一のことなのです。

~ 心理学教授 J.D.クランボルツ氏より ~

所長視点)
コントロールできないことをコントロールしようとすると、心が乱れ、結果に対して一喜一憂するようになり、今を真剣に生きられなくなります。不安なとき、心配なとき、後悔しているときがそのときです。出来事や他人はコントロールできなくても、訓練次第では自分自身をコントロールすることができます。なにをコントロールしようとするのかによって人生の充実度合いが変わってくるのかもしれません

2020年12月8日火曜日

NO417 「マサカの時代」

これからはますます、あらゆる予測という予測が外れる時代に入ってきた。AIやITなどの急激な進化や、変革が及ぼす影響が読めないからだ。「マサカ」の時代。その中で、個人にできることは何なのか。一つ言えるのは、人は自分の死生観を持つべきだということだ。いま自分が生きていること、やがて確実に死ぬということに対して、自分なりの答えを用意しておかなければならない。その中で、一つ絶対に確実なことは、「人は生まれたら必ず死ぬ」という現実。これは、どんな金持ちだろうと有名人だろうと、この現実は免れることはできない。つまり、どんなことが起ころうと覚悟を決めるといこと。覚悟を決めるということは、生きている限り、己の人間力を磨き続け、少しでも善き人間となること。この一瞬一瞬を、一所懸命生き切りたい

~ 小説家 五木寛之さんより ~

所長視点)
これからの予定を立て準備することはもちろん大切ですが、それがそのとおりなるとは限りません。コロナ禍でまさかこんな状況になるとは思わなかった方を多いはず。コロナ以外でも予測不能な事柄はたくさんあります。そんななか、思い通りにいかない状況に一喜一憂するのではなく、一瞬一瞬を後悔のないように生きようとする姿勢が重要になってきました。



NO416 「幸せになる秘訣」

オリンポスの神々が集まり、「幸せになる秘訣をどこに隠したら、人間がそれを見つけた時にもっとも感謝するか」を話し合った。「高い山の上がいい」「いや、深い海の底だ」「それよりも地中深く埋めるのがいい」と議論百出。すると、一人の神が「人間の心の奥深いところに隠すのが一番だ」と言い、全員がその意見に賛成した、という話である。
幸せの秘訣は人間の心の奥深くにある。自分の花を咲かせる秘訣は心の中にある、ということである。だが、心の奥深く隠されているが故に、秘訣に気づかぬままに人生を終える人も少なくない。どうすればその秘訣に気づき、自分の花を咲かせることができるのか。
まず、自らの命に目覚めること。自分がここにいるのは両親がいたからであり、その両親にもそれぞれ両親があり、それが連綿と続いて、いま自分はここにいる。どこかで組み合わせが変わっていたら、あるいは途絶えていたら、自分はここにはいない。自分の命は自分のものではない。すべては与えられたものだ。その自覚こそ、自分の花を咲かせる土壌になる。

~ 致知出版 藤尾秀昭さんより ~

所長視点)
自分の心を見ようと思っても見ることができない。自分の顔を直接みれないのと同じです。しかし、鏡をみればそのままの顔をみることができます。心の鏡は「いま目の前にある現実」だそうです。いま目の前で起こっている出来事、相手が放った言葉は自分の心の写し鏡です。鏡は先に笑わない…

2020年12月6日日曜日

NO415 「日常言葉」

夏の暑い日盛りに、私はタクシーに乗りました。すると運転手が、「お客さん、暑いですなあ、やりきれませんなあ」と話しかけてきた。イントネーションを相手よりもっとグレーに、マイナスにして、「ほんと、たまりませんよ」とこう答える。ここに落とし穴があるということを考えてください。うっかり同調すると危ない。
「お客さんの商売は」「〇〇です」「どうです景気は」「だめですな」と、無意識のうちに、言葉がどんどんマイナスのものになっていきやすい。じめじめした梅雨どき、「毎日、雨がかり降って、うっとうしいですね」と言われて、「まったく、洗濯物が乾かなくて…」これではいけない。「でも、アジサイの色がきれいじゃありませんか」「農作物には恵みの雨ですね」なんて、もう一生懸命にプラスのものをほじくりだして言う。ここが大切です。
我々は、普段自分の使っている言葉に支配されております。しかし、言葉は自分で選択できるんです。だから選び方しだいで、言葉を支配することができる。このことは実に大事です。心して、日常使用する言葉を選んでください。「お疲れでしょう」「ええ、もうグッタリ」なんて答えたら、疲れがどっとでてきちゃう。「いや大したことありません」、クタクタでもそう言ったほうがいい。

~ 無能唱元さんより ~

所長視点)
マイナスの言葉を口にするのに努力はいらないが、プラスの言葉を見つけるには努力がいるそうです。世の中は圧倒的に否定型、マイナスのことに満ちている影響でしょう。努力してプラス言葉を使っていると、自然と周りの人もプラスの言葉をいうようになります。言葉の共鳴現象です。マイナス言葉にきづいたら、修行と思って、一生懸命にプラスのものをほじくりだして、明るい話題にもっていく努力してみてください

2020年12月5日土曜日

NO414 「偶然の宝探し」

偶然の出会いには、自分にとって必要なメッセージが必ず隠されています。それが「何か」がわかるまで、「最近、変わったことはあった?」「何かおすすめの本はある?」など、相手といろいろな話をしてみるのです。会話のなかで、「それ、いいね」「おもしろそう」と心に刺さった話があれば、それが、あなたが受け取るべきメッセージです。私の場合、相手の話に出てきた人物に興味が湧き、「ぜひ紹介してください」と頼んだことから、その人物との新しいプロジェクトが始まったこともあります。偶然は、こんなふうにチャンスに変わっていくのです。いつもは見逃しているだけで、偶然という招待状は、誰のところにも届いています。バス停で、映画館やコンサートの会場で、信号待ちの交差点で…。そこに知った顔がいないかどうか、ちょっとあたりを見回してみてください。普段手にしない本や雑誌を、めくってみてください。たまたま開いたページに、あなたが欲しかった情報があるかもしれません。こう考えると、毎日が宝探しのようでワクワクしませんか?

~ セミナー講師 本田 健さんより ~

所長視点)
「偶然は運命からの招待状」だそうです。そこには思いもしなかったことが書かれています。しかも幸せに向かう招待状です。いまの自分では解読不能でも、心を掘り下げていくとみえてくるものがあります。コップの中の泥水と一緒で、心を静かにしているとだんだん透明になってみえてきます。

2020年12月4日金曜日

NO413 「コップの話」

心配、不安、焦り、悲しみ、嫉妬、怒り、湧き上がってきた感情に振り回されたり飲み込まれそうなときは、これからお伝えするコップの話を思い出してください。
透明なコップに水と土を入れ、箸でグルグルとかき混ぜた様子をイメージしてみましょう。かき混ぜた途端にコップの中の透明度は失われ、コップを目の高さまで持ち上げ、どの角度から覗き込んでみても、中に何が入っていたか判別が難しくなります。ここで一度、平らな場所にコップを静かに置いてみましょう。かき混ぜられて渦を巻いていた泥水は、少し待っている間に少しずつ波が静まっていき、落ち着きを取り戻します。そして、時間が経つとともに、重たいものは下へと沈んでいき、コップの中身がはっきりとわかるようになります。このかき混ぜられた泥水こそが、私たちの心の状態です。私たちの日常はいつなんどきも感情とともにあり、手放すにしろ執着するにしろ、湧き上がってくる感情に対処することを繰り返しています。つまり、私たちの心は、かき混ぜられたコップの中の泥水のように混沌としているのです。いつも泥水のままで視界がクリアになる瞬間がなければ、自分の本心がどこにあるのか、何を大切にしたいと考えているのか、湧き上がった感情の何に反応して心が乱されているのか、わからなくて当然です。だから、いったんコップを置き、心を鎮めることが必要なのです。

~ 佛母寺住職 松原正樹さんより ~

所長視点)
このコップを置くという動作が、座禅であり、マインドフルネスです。また自然なかに身をおいてボーッとするなど、自分の心の考えや感情をそのまま受け入れて、受け流していく・・・思いを手放した瞬間、新しく新鮮な感情が湧いてきます。これが心が主体の状態で、人間のパフォーマンスが最大限に発揮されやすい状態だそうです。



2020年12月3日木曜日

NO412 「頼まれる人」

私たちは「喜ばれる存在として生きる」ために生れてきました。「喜ばれる存在として生きる」ことは、自分が達成目標を掲げて、そこに駆け上がったり、人より抜きん出たりすることではありません。

「喜ばれる存在になる」=「頼まれやすい人」であること。

頼まれて、こき使われて、疲れ果てて死ぬ。これが人間の生き方です。心から楽しくて幸せなのは、友人たちからたくさんの頼まれごとをして、「しょうがないなぁ」と言いながら引き受けていくこと。頼まれごとが次から次へ来ている人は、それだけで人生が流れているということです。頼まれたことをやっていて、こき使われて、疲れ果てて死ぬ。それが人生のすべてであり、喜びです。私たちは「喜ばれる」ために生れてきた。「喜ばれる」とは、頼まれごとを引き受けていくことです

~ 小林正観さんより ~

所長視点)
頼まれない人は不機嫌な顔をしているそうです。頼んでも不機嫌なので、まわりもなるべく頼まないようにするので、そのうち頼まれなくなっていきます。また、いざというときに誰も頼る人がいなくなる。これはなかなか寂しいものです。いざというときに必要な人になることが幸せな人なのかもしれません

2020年12月2日水曜日

NO412 「ありがとうの理由」

感謝にも理屈的な感謝と、理屈ぬきの感謝があります。
理屈的な感謝は、感謝する理由がそこにあります。誰々さんが〇〇してくれたからありがとう。〇〇な理由で感謝しましょうです。これは礼儀としてもとても大事なことですが、この感謝は実は自分自身はあまりご機嫌にはなれないことがあります。
まずは自分のためにありがたいと、ただ考えてありがとうと云う事が重要です。そこには相手とか理由などは不要です。相手に関係なく、ただありがたいと考え、ありがとうと言っている方が自分自身の気分がよくなります。
まずは自分の心をご機嫌にするためにありがとうがあるのです。これは自分自身をいつでもどこでも、機嫌をよくできるし、パフォーマンスが高いので、ものごとがうまくいくことが多くなります。理由なくありがたいと考えるのが難しいと思う人がいるかもしれませんが、慣れれば可能です。ありがたいと考えありがとうと言う方が気分がいい。それでOKなのです。

~スポーツドクター 辻 秀一さんより ~

所長視点)
機嫌がいい人がいると周りの人も機嫌がよくなっていきます。自分が機嫌がいいだけで、人のためになっているのです。世の中のためになっているので、ありがとうと言われるようになる。理由なくありがとうといえる人がありがとうと言われる人になります

2020年12月1日火曜日

NO411 「昼の空の星」

私たちはこれまで目に見えるものに重きを置く唯物的な価値観に支配されすぎてきたのではないでしょうか。給料が上がったとか、今年の売り上げは去年より伸びたとか、成績がよくなったなど、数字であらわしたり、数量で測れるものを大事に思い、そこに価値を見いだしてきました。
昼の星は目には見えません。だから、昼の空に星は存在しない。そんなふうに考えてきたのです。でも見えないだけで、昼にも星は輝いているのです。医学の世界でも、目に見える患部だけを治療することが医学の役目だと考えられて、目に見えない患者の心は体の病気とは無関係なものとされてきました。しかし、気の持ちよう、心のありようで病気がよくなったり悪くなったりするのは動かしがたい「科学的事実」となっています。
知識や情報ばかりが増えて頭でっかちになった結果、かしこく、利口にはなったが、死に思いをはせたり、命のつつしみを考えたりする生命本来の深い思考が不足してしまったのです。ですから、唯物的な思考をする人ほど「昼に星は存在しない」という“正しくて浅い思考”しかない傾向が強い。そうして人知の及ばないものにたいする畏敬の念や謙虚な思いを忘れたときから、私たちは目に見えないものを軽視し、目に見えるものを偏重しはじめたのです。節度や調和といった生命思考の視点に立ってみれば、ほんとうは人間のおごりや思い上がりという「愚かさ」の始まりだったのかもしれないのです

~ 筑波大学名誉教授 村上和雄さんより ~

所長視点)
「深く掘った井戸の底からは昼でも星が見える」といいますが、それは本当だそうです。ものごとをそのように深くとらえられる人のほうがその思考も、その命も深いものになっていきます。見えないだけでなにかある、それは尊いものであるととらえて生きる生き方が輝く時代が来ました

2020年11月30日月曜日

NO410 「成功の理由」

アメリカの成功者たちへのアンケートを見ると成功した理由のベスト3。それは…。

「病気」「倒産」「失恋」でした。

あの病気のおかげで…。
一度倒産したおかげで…。
失恋したおかげで…。
すべて、いわゆる不幸ばかりです。失望したくなるようなことばかりです。しかし、彼らはこのツラい出来事を、「自分を深く見つめ直す機会」に変えて、生き方を改めたのです。すると、災いは転じて福となったのです!つまり、「失望」すら「希望」の一部なのです。そしていいます。「人生で起きることは、本当にすべて最高です」

~ コピーライター ひすいこたろうさんより ~

所長視点)
私達が自分の目で見えている世界(人間が光としてみえる範囲)は全体の0.00000001%の範囲でしかないそうです。その世界で起こっていることだけで信じて判断するのはちょっと早い。自分を超えた部分を信じてみる生き方のほうが幸せになる確率が高い…ようです

2020年11月28日土曜日

NO409 「人生ゲーム」

「人生ゲーム」とは1960年にアメリカで発売されたボードゲームで、日本では1968年から発売され、日本人なら誰でも一度はやったことのあるゲーム、といってもよいようですが、最新版は2019年に発売された「令和版」です。これまでは、お金をふやしていくところを、令和版では、フォロワーがどれだけふやせるかに代わっています。また、昔は、就職は1回しかできなかったり、人生の「コース」が決められていたりしましたが、それらは取り払われています。まさに、いまを生きる人たちの人生を投影していると、と私は思います。
これから大切なのは、お金ではなく、フォロワー(支援者)です。あなたの考え方や生き方に、「いいね」を押してくれる人たちです。フォロワーが多くなれば、お金はあとから、いくらでもついてきます。それを可能にする力を、フォロワーによって得るわけです。フォロワーによって人生の道が開けていくことを、実感できる時代といってもいいのではないでしょうか。

~ 評論家 櫻井秀勲さんより ~

所長視点)
「いいね」を押してくれる人は共感してくれた人です。フォロワーが人生のポイントになってくるということは共感力が重要だということです。正しい間違っているという理屈より、心で感じる世界に価値が置かれるようになりました。今日、心が感じたことを振り返ってみることから始めてみるのもいいかもしれません

2020年11月27日金曜日

NO408 「野暮な人」

世間では必要以上に偉そうにしている人を見かけます。自分が大企業に勤めているというだけで、周囲を見下した発言をする人もいます。ふだんの主婦同士のつき合いでも、なぜか威張っている人がいます。傍から見ていても、ほんとうに嫌な気持ちになるものです。自分より立場が下で言い返すこともしづらいといった、相手の立場に思いをめぐらすことができない人なのでしょう。もしくはそういうことがわかっているから、わざと自分を大きく見せようと威張っているのかもしれません。ほんとうに品がないですね。
江戸庶民の間では、このような必要以上に威張ることは下等の人間のすることとされいました。とくに、抵抗できない立場の人に対して必要以上に威張ることは野暮の極み、最下等の人間と位置づけられていたのです。江戸庶民は、もともと人間は平等であり、弱い人をいたわることや、できるだけへりくだることが世間と良好なつき合いができる秘訣と考えていました。江戸では、「人間」と書いて「じんかん」と読ませていたそうですが、これは、人と人には適切な間合いが必要であり、その「間」を持つことが良好なつき合いをもたらすことを知っていたのでしょう。いわば「共生」の知恵。人はひとりでは生きていけません。適切な間合いを持って自らをへりくだることができれば、もっと中身の濃い人づき合いができると思います。

~ 江戸しぐさ語りべの会 越川禮子さんより ~

所長視点)
人の幸不幸の95%は人間関係で決まるそうです。人間関係において適切な間合いを築く上で重要なのは個々に自立です。自分を律することができる人が人を思いやることができます。自立と間合い、非常に重要なポイントです

2020年11月26日木曜日

NO407 「寿司職人」

 一人前の寿司職人になるためには下積み修行を10年ほど経験する必要があるという。ホリエモンは、センスと経営能力さえあれば1年もしないうちにプロの寿司職人を養成できる批判する。経済学者からすると、ホリエモンの説に分があるように思えた。パリで寿司職人をしている友人に、どちらが正しいと思うか質問をしてみた。「確かに、条件さえそろえば、技術的には可能」しかし、技術以外の2つの要素が重要だと言う。第1に、うまい寿司を作るには良いネタを仕入れる必要がある。良いネタを見分け、なるべく安く仕入れることが必要だし、業者は良いネタを隠し持っていて、昔からの取引がある名店にしか売らないそうだ。要するに人間関係がモノを言うわけである。
第2に、寿司職人にはコミュニケーション能力や話芸が求められる。貫禄のある寿司好き紳士が、世間話や寿司のあれこれをネタにして話しかけてくるという。客がどのような人物なのかを観察しつつ、相手を楽しませ愉快にさせる受けこたえをする。
寿司という名の芸術品を作る。そして愉快な会話も手品のように提供し、客を納得させる。これらすべてを身につけているのが「一人前の寿司職人」なのだ。寿司職人は寿司を作る芸術家であると同時に、経験に裏打ちされた「人情」のエキスパートなのだ。友人の結論は「センスが良くても、10年近くかかるだろう」

~ 西南学院大学教授 山村英司さんより ~

所長視点)
一流になるには、技術的な面とともに、心の世界を磨く必要があります。人生においても生き方も重要だし、どのような心で生きるのかも重要。今の時代、ますます重要になってくるように思います

2020年11月25日水曜日

NO406 「読書」

運があれば大概のことはうまくいくが、運がないと相当努力しても大概のことはあえなく失敗に終わる。ところが運ばかりは100%確実につかむ方法がない。でも、運をつかみとる方法がないとしたら、せめて自分にやれることを地道にコツコツ努力するタイプもいる。その姿を見た人は「頑張っているあいつにチャンスをやろう」と思ってくれる。それが思わぬ運につながるのだ。

野球の選手でいえば、誰より遅くまでグラウンドで素振りを繰り返していたら、それを密かに見ていた2軍の監督は、1軍で想定外の故障をした選手が出たときなどに、その選手の1軍昇格を推薦しようとするだろう。運をつかみとるための日常的努力が野球選手にとっての素振りだとするならば、人生にとっての素振りは読書に他ならないのだ。読書を通じて教養を磨いて自分なりの哲学を養っておくと、年上の人が可愛がってくれる。するとプロ野球の2軍の監督に目をかけられた野球選手が思わぬ出場機会を得るように、人生においてもチャンスをつかめる日もやってくるだろう。

~ 経営コンサルタント 堀紘一さんより ~

所長視点)

仕事や結婚など人生の一大決心をするときや、判断材料がなく限られた情報だけで勝負するシーンにおける決断は読書を通じて長い時間かけて養ってきた教養がものを言うとのこと。読書を通じて強い足腰をつくり、ブレない人生を送ること=真の家庭づくりです

2020年11月24日火曜日

NO405 「応援する老人」

世界に類をみない革命、明治維新を成し遂げたのは20代や30代の若者たちだ。    しかし、忘れていけないのは、その裏に、彼らを認めたり、応援した、年長者や老人たちがいたから。どんな改革でも、実力や権力のある年長者や老人たちが本気になって止めたら、その改革は一歩も進まない。昨今の大企業がバタバタとダメになっていく裏には、こういう現象がある。だからこそ、年長者や老人は、「若者を応援する人」でなければならない。特に、変化の激しい現代はそれが必要。応援するには、自分も勉強して、その問題の本質をある程度わかっていなければならない。つまり、新しい情報や、考え方を受け入れる好奇心と柔軟性が必要。若者とつき合うには、魅力がなければならない。頑固一徹で、誰の話も聞かず、昔話ばかりしているような老人には誰も会おうとはしない。

~ 西原宏夫さんより ~

所長視点)
若い人が輝くためには、ベテランがどっしりとフォローしてあげることが重要です。失敗してもフォローしてくれる人がいるとおもいっきり若者らしく振る舞うことができます。若者から信頼されるお年寄りがいる環境こそ、真の家庭が目指すところです




2020年11月23日月曜日

NO404 「いい会社」

『いい会社』とは、単に経営上の数字が良いというだけでなく、会社を取り巻くすべての人々が、日常会話の中で『あの会社は、いい会社だね』と言ってくれるような会社です。社員はもちろんのこと、仕入先からも、売り先からも、一般の消費者の方からも、そして地域の人たちからも『いい会社だね』と言ってもらえるように心がけています。ですから会社の目的は社員を幸せにするためにあり、会社は永続することに価値があります。本当に「いい会社」なら、消費者からも、そこに働く人からも、取り引き先からも、地域からも、誰からも支持されるので、長く続くに決まっています。
業績を追うより、むしろ「社員の幸福」を追求すると、時間はかかるかもしれませんが、結果として会社の業績も向上します。「幸福は伝染する」という特性があるので、社員が幸福なら、お客様を含めて、その会社に関係するすべての人たちを幸福へ誘うでしょう。また、社員が幸福なら創造性が高まり、会社の業績が自然とよくなります。

~ 伊那食品工業代表取締役会長 塚越寛さんより ~

所長視点)
いい会社はいい家族にも当てはまりそうです。家族を取り巻くすべての人々が「良い家族だね」と言ってくれる。家族同士も「良い家族だね」と感じている。そこには人もお金も引き寄せられ、何代にもわたって幸せがつながっていく。そんな家庭を築きたいですね

2020年11月22日日曜日

NO403 「預かりもの」

この世に生を受けてから人生をおえるまでの期間を「寿命」といいますが、禅では「定命(じょうみょう)」です。命の長さは生まれ落ちたその瞬間から“定められている”と考えるため、そう表現するのです。では、命は誰のものでしょうか。
「自分の命なのだから、誰のものでもない。自分のものに決まっているじゃないか」
多くの人がそう思っているのではありませんか?しかし違うのです。禅は命をこう考えます。
「仏様(ご先祖様)からの預かりもの」
いま、そこに自分がいただいている命は、ご両親をはじめ、たくさんのご先祖様が永々と命をつないできてくれた結果としてあるのです。そのうちのたった一人でも欠けていたら、いまの命はありません。そのことを思ったら、“命は自分のもの”だなんていえますか?ご先祖様たちのお陰様によっていただいている。ご先祖様からお預かりしている、という受け取り方ができるのではないでしょうか。お預かりしている命だとしたら、自分勝手に扱うことはできませんね。他人様からなにかをお預かりしたら、お返しするまで大切に扱うはずです。命も同じ。定命が尽きてお返しする瞬間まで、大切にしていくのが、当たり前の命との向き合い方でしょう。

~ 曹洞宗徳雄山建功寺住職 枡野俊明さんより ~

所長視点)
大切にすることは、価値を発揮させることにつながります。人生を価値あるものにする。それは自分のためではなく、仏様、ご先祖様、両親にお返しするため。それが人生の本質なのかもしれません

2020年11月21日土曜日

NO402 「善意と好意は与えっぱなし」

私たちはこの生で『人になしたこと』をすべて自分が受け取るように仕組まれています。今ある境遇も今の状況も人間関係も、人に対する好意や嫌悪も、人から受ける好意も悪意も、そして自分の今の健康も、すべて自分が他の人々になした同じものを受け取っています。だから『お人好しになって、ひたすら良きことをなせ』。ひたすらの意味は「効果を求めず」です。天が好きなものは、好意と善意と感謝です。気がついた人は、良き言葉・勇気・励まし・やさしさをいつも部下にあげましょう。
そして「善意と好意は与えっぱなし」。良きことをする時『効果を求めない』ことです。

~ 陶芸家 北川八郎さんより ~


所長視点
好意と善意と感謝の反対は「怒りとグチと文句」。この3つを克服しさえすれば、いつの間にか一流の人間になっているそうです。理不尽なイライラと怒りが収まらない人は放っておく。私が平和と創り出すピースメーカーになっていきましょう


2020年11月20日金曜日

NO401 「仕返し」

神は“自己犠牲”を嫌います。「私はいいから、あなたが幸せになって」じゃなくて、まずは自分が幸せになって、その幸せをできる範囲で周りに配っていけばいいんだよね。「自分さえ良ければ」というのも自分を大切にしていないことだよね。他人に迷惑をかければ必ずその報いは自分が受けます。だから結局、それも自分を大切にしていないのと同じことなんです。
また、相手に悪口を言われたり、イヤなことをされたりしたら、その人に「仕返しをしよう」としますが、これもいけません。誰かがあなたの悪口を言ったら、その報いを受けるのはその言った人なんです。“報い”とはいいことをすればいいことで報われて、悪いことをすれば悪いことで報われることを言います。だいたい、人の悪口って言ったほうが負けだからね。言い続けている人は大負けなの。それをあなたまでその人につられて相手の悪口を言ったら、自分の運勢まで悪くなっちゃうんだよ。だから、私たちができることっていうのはね、「相手を黙らせる」ことではありません。「相手が悪口を言っても、自分は言わないようにする」ことがほんとうの真理なんだよね。

~ 斉藤一人さん ~

所長視点)
正しいことをいっていれば、すべてうまくいくとは限りません。正しいことを感情的にいう人が一番始末が悪い人と言われます。正しい生き方をすることがなによりも重要です。どんな環境であったとしても、人のせいにせず自分の生き方を貫く。そんな人に神様は味方すると思います



2020年11月19日木曜日

NO400 「自信」

自信というのは、生きる上で非常に大切なものですな。第一そうしたものがなければ、生きていてもこんなに頼りないことはない。ぼくも、自信をなくすという経験は何度となくしてますわ。悲観して、どうにも困りはて、夜も眠れんというようなこともありましたよ、実際は。
しかしね、その翌朝になると、もうすっかり考え方というか発想が変わってましたな。昨夜悲観した材料をもとに、これはこう考えよう、あれはああしようというように、建設的な考え方が心に浮かんでくる。それが自然にできたのですよ。だから、自信をなくしたとはいうものの、そのつぎの瞬間には、どうすればそれを解決できるか、そのことをもう懸命に考えていたということですな。
それができたのは、やはり体験の中から自然に身についたものでしょうね。百の事を行って、一つだけ成ったとしたら、たいていの人は事の成らない九十九に自信をなくし、もう再びその事を試みなくなるでしょうな。そうなれば、まさに失敗ですわ。
しかし、よく考えれば百が百とも失敗したわけではない。たとえ一つでも事が成っているということは、他の九十九にも成る可能性があるということですね。そう考えれば勇気が出てきましょう。そして、事の成った一つをなおざりにしないで、それを貴重な足がかりに、自信を持って九十九にいどむことができる。そうなれば、もはや成功したのと同然ですよ。

~ 松下幸之助さんより ~

所長視点)
失敗が多くなれば失敗に対して意識がいくようになっていく。しかし失敗の中でも気づけたこと、うまくいったことも含まれています。それが一つでも気づけたら「もはや成功したのと同然」。エジソンは「私は失敗したことがない。 ただ、1万通りの、 うまく行かない方法を 見つけただけだ」。もはやとらえ方というより生き方の問題のようです

2020年11月18日水曜日

NO399 「脳の老化」

「歩行時間が1日30分未満」「外出頻度が少ない」「友人と会う機会が月1回未満」「地域への催しへの参加がない」「仕事や家事をしていない」などの項目にチェックの多い高齢者ほど、3年後に要介護認定になっていることが多いんです。前頭葉の大好物は「ときめき」です。ドキドキ、ワクワクする心があれば、脳の老化は遠ざかります。
「時間を忘れて熱中できることを見つける」「楽しそうなことはなんでもやってみる」
S・ウルマンの有名な詩「青春」にあるとおり「60歳だろうと16歳だろうと、人には驚異にひかれる心、おさな子のような未知への探求心、生きる喜びにあふれた興味がある。精神が皮肉の雪に覆われ、悲嘆の氷に閉ざされるとき、20歳だろうと人は老いる。頭を高く上げ、希望の波をとらえる限り、80歳であろうと人は青春の中にいる」のです。特に仕事一筋できた中高年男性は心して、楽しみ上手になってください。

~ 臨床心理士 和田秀樹さんより ~

所長視点)
外出や人と交流が減ると、認知症や要介護のリスクが高まるそうです。1週間を振り返ってワクワクしたことがでてこなかったら要注意です。これは歳のせいではなく心が疲れているのかもしれません。心のメンテナンスが必要かも…

2020年11月17日火曜日

NO398 「創意工夫」

ここは2015年の6年1組の教室。給食が終わって、子どもたちが「ごちそうさま」の挨拶をすると同時に、ボクがノートパソコンで、ももいろクローバーの「行くぜっ!怪盗少女」を流します。教室に設置されたスピーカーから、ノリのいいリズムが響き渡ります。子どもたち38人が一斉にいすを動かし、ほうきで床を掃き、ぞうきんがけをします。最大の見せ場はサビの部分です。
《笑顔と歌声で 世界を照らし出せ~♪》
ここで全員、ほうきとぞうきんを床に置き、ももクロの振りそのままで激しくダンスします。見事に揃ってキレもいい。サビが終わると、スパッと掃除に戻ります。
これを繰り返しながら掃除を終えて、最後は全員の手拍子で締め。これがその年の夏、全国的に有名になった6年1組名物「ダンシング掃除」です。この模様はバラエティ番組「ナニコレ珍百景」や「みんなのニュース」で紹介されました。意外かもしれませんが、音楽をかけると掃除が素早くなります。「行くぜっ!怪盗少女」の後、「星のカービィスカイハイ」「ルパン三世」のダンスバージョンなどを流してトータル7分くらい。ボクが指示するのは、「曲が終わるまでに掃除を終えてね」、それだけです。すると子どもたちは勝手に工夫し始めます。どうすれば効率的に掃除できるか、ムダな動きを省けるかを、徹底的に研究するんです。

~ 世田谷小学校教諭 沼田晶弘さんより ~

所長視点)
どんなことであっても楽しくやろうと工夫すると意欲が湧き、ものごとがスムーズに進むようになります。天国は入るところではなくて、創るところであるといわれます。どんなところでも楽しくすることでできる人は、どこにいっても楽しい=天国で住める人になります

2020年11月16日月曜日

NO397 「魂の成長」

「魂」が成長できるのは「肉体を持ったときだけ」のようです。「魂」だけで過ごしているときは「事件」が起きないからです。「魂」は、肉体がある分、さまざまな制約や事件にさらされます。「食べなくっちゃいけない」「飲まなくっちゃいけない」「お風呂に入らなくっちゃいけない」「トイレに行かなくちゃいけない」「寝なくちゃいけない」。「上司に怒られる」のも、「夫婦喧嘩をする」のも、「親子喧嘩をする」のも、肉体があってこそ。「魂」だけの状態であれば、制約も事件もなく、とても「ラクな状態」で過ごせますが、そのかわり、まったく「成長」しません。
「魂の成長」には、事故、病気、災難などが必要です。病気によって優しさを知り、事故に遭って謙虚さを知る。「魂」は自ら「シナリオ」を書いて、さまざまな事故・病気・災難を設定しています。それもすべて、「魂の成長」のためなのです。
「魂」を成長・進化させる方法とは、目の前で起こる一つひとつの現象に対して、つべこべ愚痴を言わず「感謝」を持ってとらえること。ある現象に対して、「不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句」を言うのは「初期の段階(マイナスの段階)」です。その後、マイナスから「ゼロになる段階」があり、その先に「嬉しい、楽しい、幸せと思う段階」があります。この高みに登り、あらゆる現象について「ありがたい」と思えるようになったら「魂」が大きな成長を遂げています。

~ 小林正観さんより ~

所長視点)
魂が成長するときに幸せを感じるようになっているように思います。成長中のときは忍耐が必要ですが、成長期間を通じて成長したとき、達成感というか魂の解放観が生まれます。感謝が重要ですね

2020年11月15日日曜日

NO396 「徳」

企業経営において、長く繁栄を続ける企業をつくりあげていこうとするなら、「徳」で治めていくしか道はないと私は考えています。欧米の多くの企業では一般に、覇道つまり「力」による企業統治を進めています。例えば、資本の論理をもって人事権や任命権をふりかざしたり、または金銭的なインセンティブ(誘因)をもって、従業員をコントロールしようとしたりするのです。しかし、権力によって人間を管理し、または金銭によって人間の欲望をそそるような経営が、長続きするはずはありません。一時的に成功を収めることができたとしても、いつか人心の離反を招き、必ず破滅に至るはずです
「徳」というのは人間的魅力。相対したとき、自然と頭が下がるような人のことをいう。利他の心を持ち、けっして偉ぶらず、謙虚で、明るくて、人から好かれる人のことだ。昨今では、その「徳」に「情報性パワー」や「専門性パワー」があると、さらに影響力が増す。それが他人の協力を結集できる人であり、影響力のある人。

~ 稲盛和夫さんより ~

所長視点)
いまは愛の時代を迎えているそうです。より利他の心が人間的な魅力となり、人を治め、企業経営の中心になっていきます。WINWINは、より助け合ってお互い勝とうという心ではありますが、利他の心は、計算しない、損得勘定なく与えていく世界。時代についていける人になっていきたいものです

2020年11月14日土曜日

NO395 「一瞬で幸せになる方法」

今すぐに、一瞬で幸せになる方法がある。それは、「今、幸せだ」と感じること。小林正観さんは、 「幸せという状態」があるのではなく「幸せを感じる自分」がいるだけだという。何気ない日常でそれを感じるかどうか。
健康で食事ができて「幸せ」。
夜眠れる家があって「幸せ」。
幸せは、与えてもらうものではなく、自分で感じるもの。他者に依存している自律していない人は、自ら幸せを感じる力が弱い。だから、不平不満が多い。結婚だけでなく、人間関係も、自律している者どうしの方が長く続く。
自分一人でも、幸せになってしまうことができる人でありたい。

~西原宏夫さんより~

所長視点)
「あたりまえ」が多くなると「感謝」が少なくなってしまいます。「感謝」と「幸せ」を感じる力は相性抜群です。自分はついてないな、不幸だな、と思ったら「感謝できること」を探すのが近道です。

2020年11月13日金曜日

NO394 「易学者の敵」

相というものは、心掛けによって刻々と変化するいわば「活物」とされています。また昔から、易学者の敵は、「神仏祖先を敬っている者と、陰徳積善をする者」だともいわれています。つまり、いくら悪い相が出ていても、心から神仏を尊んでいる人と、常に徳を積んでいる人には「冥加」があって、見えない世界の力で未然に助けられるので、鑑定がはずれてしまうというのです。相は医学の発達もみない時代に研究された事例の積み重ねです。いわば、統計学なのです。しかし、それをさらに超える偉大な力が存在することにも気づかねばなりません。

~ 神主 岡本彰夫さんより ~

所長視点)
いまの時代は神仏や祖先を敬うと言ってもがすんなり通じない時代になりました。家に、仏壇や神棚がない家も多く、お墓参りなどの神社参拝の習慣がないからも理由の一つとされています。そして徳を積むと陰徳どころか、SNSで発信しまくる。易学泣かせの生き方もなかなかよいかもしれません

2020年11月12日木曜日

NO393 「デタラメに決める」

私はいつも財布にサイコロを入れて持ち歩いています。何かに迷ったら、奇数か偶数かで決めます。天丼かうな丼かどちらにしようか…。そもそも迷うというのは、どちらでもいいから迷うのです。うなぎが嫌いなら、迷ったりしません。そいういうときには、デタラメに決めるにかぎります。デタラメというと、誤解を招きそうですが、これは「出たら目」。出た目に従う。出したのはほとけ様なのだから、ほとけ様に決めてもらう、ということです。 
大学の先生をやっていたとき、学生の進路相談のときもそうします。
「この大学やめようがのころうか迷ってます…」
私はサイコロをとりだして、学生に渡します。
「振ってごらん。奇数が出たらやめる、偶数が出たら残る」すると学生はあわてます。
「先生、ふざけないでください。僕はまじめに相談に来たんですよ」
「私もまじめに答えているんだよ。人生どっちがよかったかなんて、絶対にわからない」
と言い返す。人間には、未来を決める権利などありません。よかったという判断もつかない。どちらがいいかなんてわかりません。私たちには未来はわからないのです。
キリスト教でも未来について知っているのは神だけです。
「明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけでじゅうぶんである」
自分の未来を決める権利は、神様にしかありません。私たちは権利放棄でいいのです。
これが宗教の教えです。学生にもこの話をして、どちらがいいかなどわからない、ほとけ様、あるいは神様、それとも宇宙意志にお任せして、デタラメに決めたらいいと言うのです。
~ 宗教評論家 ひろさちやさんより ~

所長視点)
過去を後悔してもやり直せないのに、後悔することに時間を使って「今」を生きれない。未来を不安に思っている人は悩みに時間を使って「今」を楽しめない。心から幸せを感じている人は「今」を生きています。今を生きるためにサイコロに決断を委ねるのもよいかもしれません



2020年11月11日水曜日

NO392 「辛いとき」

セッションのときFさん(28歳 女性)がこのようにおっしゃったんですね。
「私、ほんとに辛いけど毎日顔にも出さずに必死に乗り越えてがんばってるんです 」
そんな時に私は、
「そうなんですね。でもどうして辛くても顔に出さないですか」
と尋ねたんですね。するとFさんは、
「辛い顔なんて人に見せたらダメじゃないですか」
とおっしゃったんですね。
「私なら結構、辛い時は辛いっていっちゃいますけどね。」
と、いうと、Fさんは、キョトンとしていらっしゃるんですね。そして私は
「なぜ辛い顔を人に見せたらダメなんですか?」
と質問をします。すると、「人に嫌われる」とか、「人に迷惑をかける」とか、そういう答えが返ってくるんですね。確かに、自分の辛いからといって人に八つ当たりをしたらいけませんよ。でも、自分の辛いという感情を素直に出すだけなら誰にも迷惑をかけないんですね。辛いながらも笑顔でいる人がそれ以上責められる必要はないと思うんです。もしかすると、励ましてくれる人がいるかもしれません。
「もしそうやって辛いのに笑顔で頑張っている人がいたら励ましてあげませんか?」
と、尋ねると、「そうですね。」と、おっしゃいます。おかしなものですね、人は応援しても、自分は攻めてしまう。

~ カウンセリング講師 鈴木義一さんより ~ 

所長視点)
自分を攻めることは自虐的になることにつながります。自分に厳しくしても文句は言わない。気持ちに気づかなくても文句は言わない。文句を言わないから厳しくする、気持ちを無視する。人にはそんなことしないのに自分にはしてしまう。弱いものいじめの構図と似ています。自分の気持ちに気づく=共感すれば、元気になります。心が元気でないのは自分いじめが原因かもしれません

2020年11月10日火曜日

NO391 「スジを通す」

尊敬する人はだれかと訊かれると、多くの人は徳川家康といったように歴史上の人物の名前をあげる。その時代に権勢を誇ったり、成功した人物ばかりあげたがる。ぼくはいつも疑問に感じるんだ。
ぼくは歴史の記録に残っている権力者や有名な人物だけを尊敬する、そういうことにこだわりたくない。記録に残っていない、まったくの無名の人物でも、素晴らしい。己をつらぬいた尊敬に価する人物はいっぱい存在したはずだろう?
そういう人間の運命のほうに、ぼくは加担したい。人間はだれでも成功を願っている。しかしそれより、成功しないことを前提に命を賭けてスジを通した人間のほうが素晴らしいじゃないか。でも、成功しなければ歴史のなかに名前は残らない。
成功者はその人間をとりまくいろいろな状況が押し上げた場合が多い。戦略妥協がうまかったり、成功したりして勝利をつかんだ。そういう人物は、別段、尊敬できないし感動もないね。むしろ歴史のなかに埋もれた人間のなかに、ほんとうの人間がいる。そういう無名の運命のなかで、自分のスジをつらぬき通して、歴史にも残らないで死んでいった者の生き方に、ぼくは加担したいんだよ。

~ 芸術家 岡本太郎さんより ~

所長視点)
スジを通すといっても、わがままを通すわけではありません。己を貫けるスジをつかむには、自分の本心を磨くことが重要です。理屈ではない、自分自身の心の中心から湧き出る感情に共鳴し、身をゆだねていく…みたいな感じでしょうか?私はそんな生き方が格好いいと思ってしまう人だったりします



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2020年11月9日月曜日

NO390 「習慣化」

同じ人でも、自分の行いが誰かに見られているかどうか、その行いの結果が誰かに伝わるかどうかで恐ろしく振る舞いが変わる。

■誰かに見られていると思うと姿勢を正したり、マナーに気をつける
■カフェや図書館などまわりに人がいたほうが仕事がはかどり、家だとダラダラする
■匿名だと悪口を言いやすくなる
■密室的な車の中だと気が荒くなったり、大声で歌える

人の目を気にしてしまう。コミュニティ内での評判が気になるということは、ともかく人間の本能に近いものだ。それに翻弄されてしまうのは苦しいものだが、それを意識的に取り込んで使うと、絶大な力を発揮する。
人は誰かが見ていると頑張れる、という法則がある。高校野球やスポーツなどは顕著だし、仕事でも勉強でも同じだ。この法則を利用して、あえて自分を駆り立て、自分に仕掛けることができるということでもある。

~ミニマリスト 佐々木典士さんより ~

所長視点)
物事を続けられる人は、いろいろ工夫しています。自分の特徴を変えようとするのではなく、利用する。なにかやり始めるときも、やる前から「始めます」と伝えてしまう。あえて後に引けないようにするのも一つの工夫です。自分でルールを決めて判断しやすくするのも効果的です。自分のトリセツを作ってみてください

2020年11月8日日曜日

NO389 「センスを磨く」

センスは何で磨かれるのか…?それは、「遊び」と「好奇心」です。過去のやり方や、ルーティンワークが価値をもたなくなるなら、その慣習やルーティンから、飛び出さなければなりません。遊びや好奇心は、「慣習から抜け出すきっかけ」をつくってくれます。
いつもより1時間早く起きて、散歩に出かけてみる。
スポーツの大会に出てみる。
友達と一緒に新しいレストランに行ってみる。
通勤手段を変えてみる…。
そんなちょっとした「面白そうだからやってみよう」から、世界は無限に広がっていきます。損得ぬきで、夢中になって、心からワクワクする。そんな遊びから、新しい価値をつくり出すようなセンスが磨かれていくのです

~ アートディレクター 小澤良介さんより ~

所長視点)
幸せを感じて生きている人は人生のセンスがある人です。それには「遊び心」が重要。なにかするにおいても自分で楽しくなるように工夫していくうちにセンスが磨かれていきます。楽しいことがあったから「楽しい」のではなく、楽しくしようとするから「楽しい」のです

2020年11月7日土曜日

NO388 「希望」

10年以上前のこと、国連「平和の使者」でもあるジェーン・グドール博士を囲む会に出席しました。彼女は優しい語り口で、人類の「希望」について語っていました。世界中の環境破壊や戦争の悲惨を目の当たりにし、9月11日の事件も間近で目撃した彼女の話の内容は「なぜ、我々が、こうした破壊や悲惨に満ちた世界において、なお、未来に「希望」を持ち続けるべきか」を、深く静かな信念に満ちて語ったものでした。その彼女の言葉の余韻の中でふと、心に浮かんできた思いがありました。
「希望」とは何か。いまこの世界には「悲しみ」や「苦しみ」が溢れている。しかし、いつかこの世界にも「良きもの」が訪れる。「かならず、良きものが訪れる」その「未来」を信じられることを、我々は、「希望」と呼びます。しかし「希望」という言葉の本当の意味は、そうではないのかもしれません。
「訪れるものは、すべて良きもの」いま、この世界に溢れている「悲しみ」や「苦しみ」。そのことも含め、すべてのものごとがこの世界に「良きもの」が生まれてくるための深い「意味」を持っている。その「意味」を信じられることを、我々は、「希望」と呼ぶのかもしれません

~ 田坂広志さんより ~

所長視点)
希望の明日を信じて今日を耐え、明日につなぐ…これもいいですが、悲しみや苦しみも全て受け入れて感謝できる心を、希望と呼んでもいいのかもしれません

2020年11月6日金曜日

NO387 「運を拾う」

ある裕福なお医者さまと一緒に、神社に参拝に行ったときのことです。参道を歩いていると、その方がしゃがんで何かを拾いました。ふと見ると、それは、誰かが落した紙のゴミ。「近くにあるゴミ箱にでも捨てるのだろう」と思った私の横で、その方は、なんと自分のカバンにすっとゴミをしまったのです。その様子を見て、私は大きな衝撃を受けました。まるで自分が落したハンカチを拾うようにさりげなくゴミを拾う姿。「ゴミを見かけたら拾う」のが当たり前の習慣になっていることが伝わりました。その姿勢の積み重ねが、この方の運のよさを築いていると、そのとき私は確信したのです。
ゴミをポイ捨てするのは「自分さえよければいい」という身勝手な心の表れです。つまり、ゴミを捨てる人は自分の運をどんどん落としている。一方で、ゴミを拾うのは、そうして他の人が落した運を拾うことなのです。自分の会社のまわりだけでなく、エリア全体を毎朝、掃除する企業の業績が伸びているという話がニュースを騒がせます。私は、これもゴミを拾うのと同じで、落ちている運を拾うことに関係しているのではないかと思うのです。メジャーリーグで活躍中の大谷翔平選手は、グラウンドにゴミが落ちていると必ず拾うそうです。ケガや故障にも負けず、大谷選手が活躍しつづけられるのも、たくさんの運を拾っているからではないでしょうか。

~ パーフェクトハーモニー研鑽会副代表 清水祐尭さんより ~

所長視点)
ごみを拾うときは、心と向き合うことができます。自分の心と向き合った分だけ、自分の心のごみに気づき、きれいになっていきます。人のごみでも自分のごみでも効果は一緒です。ごみと向き合う人生が開運の秘訣ですね

2020年11月5日木曜日

NO386 「うっとり」

願いを叶えるビジュアリゼーション(映像化)には大切な次の二つの条件がある。

1. くり返し考えること
2. できるだけ細部まで、絵のように心に思い描くこと

たとえば、家が欲しいと思っている人はいるけれでも、どのような家が欲しいか細かく設計図を書き、見取り図を書く、このやり方が一番効き目があります。絶えず図を書いて、絶えず人に夢を語る。そして、夢が叶った風景を、うっとりと頭に描く。この「うっとり」が大事です。イライラとしていては、いくら考えても夢は叶わない。このとき忘れてはならないことは、日常の感情をつねにプラスにしておくということです。
「無能先生、私は先生の言われるとおりに一生懸命ビジョンを思い浮かべて、三年やっているけど、ちっとも叶ってこない。どうしてくれますか」なんて言う人がいる。これに対して「それはね、私のところに、そういう文句を言ってくるのをやめれば良くなるよ」と言ったんです。これは冗談みたいだけど、本当のことなんです。人にクレームをつけるなんて、そういう心掛けでは、頭に思っていることと、感ずることは、プラスとマイナスの相殺作用になってしまう。日常の感情のあり方が大事なんだということです

~ 人蕩術師 無能唱元さんより ~

所長視点)
後ろを向きながら前に進むことはできないし、文句をいいながら笑うこともできません。毎日をワクワクしながら夢を語る人が夢を叶える人になるようです

2020年11月4日水曜日

NO385 「失敗は織り込み済み」

「僕に進むべき道を教えてください」じゃないんです。ぜんぜん違うんです。君が自分の仮説を出して、それを試してみるしかないんですよ。とにかく自分が正しいと思うことを試してみて、自分のまわりに正しそうなことをやっている人がいたら、それに合意したり、支援する。残念ながら僕には、正解も未来も圧倒的にわからないんです。僕の仮説も行動も、支援先も、ぜんぶ失敗に終わる可能性だって当然あります。いやむしろ、ほとんどが失敗するでしょう。失敗は織り込み済みなんです。
それでも悲観することなく行動できるかどうかを、みなさんに問いかけているんですよ。ベンチャー企業というのは、統計的に100社あってうまくいくのはたった3社くらいだと言われています。要は「3勝97敗のゲーム」なんですね。でもぜんぜん悲しむことはなくてですね、失敗した人はまた再チャレンジすればいいだけです。
人生もそうですよ。みなさんがいろんな分野でチャレンジし、分母の数を増やしていくことが重要で、そうしてみんながいろんな方法を試しているうちに、2,3個ぐらい成功例が出てくるんです。
~ 経営コンサルタント 瀧本哲史さんより ~

所長視点)
3勝97敗の勝率は3%です。この勝率が変わらないとすれば勝つまでやり続けれるかが勝負になってきます。昨日も今日も明日も明後日も、バカみたいにやり続けることを「精誠」といいます。精誠を尽くすところに神様が助けてくれて、知恵や助けてくれる人を与えてくれます。

2020年11月3日火曜日

NO384 「ネガティブ本能」

人は誰しも、物事のポジティブな面より、ネガティブに注目しやすい。これはネガティブ本能のなせるわざだ。そしてネガティブ本能もまた、世界の「とんでもない勘違い」が生まれる原因になっている。その勘違いとは、「世界はどんどん悪くなっている」というものだ。世界の現状について、これほどよく聞く意見はほかに見当たらない。もちろん、暗い話は世界に数え切れないほどある。たとえば戦争による死者数は、第二次世界大戦を境に減り続けていたが、最近はシリア内戦が原因でまた増えつつある。テロの数も同じく増加中だ。漁業での乱獲や海洋汚染もきわめて深刻な問題だ。生物が生きられない海域や、絶滅危惧種も増えている。温瞪化で氷が溶け、次の100年で海面は1メートル弱ほど上昇するだろう。
しかし、それとともに数え切れないほどの「小さな進歩」の繰り返しが世界を変え数々の奇跡を起こしてきた。とはいえ、一つ一つの変化はゆっくりで細切れだからなかなかニュースには取り上げられない。

~ ハンス・ロスリング氏 より ~

所長視点)
本書によると 「世界の大半の人は「世界はとんどん悪くなっている」というとんでもない勘違いをしている…とのこと。世界の貧困は20年前の半分になっているのに、未だアフリカのほとんどが貧困であると思っている。これは自分に対しても同じ。過去の失敗に囚われすぎて「小さな成功」に気づかない。奇跡が起きても、たまたまだと思ってしまう。「ネガティブ本能」に気をつけましょう

2020年11月2日月曜日

NO383 「うっちゃり」

子どもに向かって腹を立てる、怒る、怒鳴る、声を荒げる、ということをずっとしてきたお母さんがいました。冷静にみるとイライラしているのは自分、イライラしなくなるのも自分です。子どもに対してつい強く言ってしまうというのは、その方の弱い者に対する態度を示しているのかもしれません。ですから私は、そいうことをやめるように提案しました。そうすると、そのお母さんは、こう答えました。
「でも、世の中のお母さんってみんなそうですよね」
「だって、みんなそういうふうにしていますよね」
自分の問題として受け入れなくてはいけないものがあるというように話が向いてきたときに、必ず「うっちゃり」をくわせようとするのです。これをひと言で言えば「素直でない」と言います。「世の中はそうなっていますよね」というのは自分の都合のいいように言っていることにほかなりません。

~ 小林正観さんより ~

所長視点)
世の中の人がどうであっても、自分とは関係ありません。そのなかで自分がどう生きるかが重要で、その生き方をきめているのも自分です。人は変えられない、自分は変えられるの原則はいつでも一緒です

2020年11月1日日曜日

NO382 「アウトプット」

「どんな素晴らしい商品であっても、そこに貴重な価値があっても、それが伝わらなかったら、無いのと一緒」どんなに素敵な文章であっても、どんなに素晴らしい講演や演説であっても、どんなに素敵な写真であっても、どんなに素晴らしいデザインであっても、それが伝わらなければ、この世に存在しないのと一緒です。幸い、我々現代人はSNSやブログやホームページという、誰もがほぼ無料で発信できるツールを手に入れた。あと必要なのは「何を」「誰に向けて」「いつ」発信するかという覚悟だけ。
現代人は、「自己肯定感」が低い人が多い。その自己肯定感を高める、もっとも手っ取り早い方法が、自分の「何か」をアウトプットすることだ。最初は下手でも、アウトプットを続けるうちにスキルはあがり、そのスキルの周辺の情報も手に入るようになる。とにかく、アウトプットがなければ、その人が「何者であるのか」がわからない。意外や意外、「こんな趣味があったのか」「こんな努力をしていたんだ」「こういう情報を持っていたのか」などと伝えなければ、まわりの人は絶対に分からない。

~ 西岡宏夫さんより ~

所長視点)
自分の価値が分からない、やりたいことが分からない、という人はアウトプットが足りてないのかもしれません。自信がないからアウトプットできない、ではなく、評価や批判、失敗を恐れてアウトプットしないから自信がもてない。自分の素晴らしさを発見できない。自分の素晴らしさを発見できると人の素晴らしさもみつけれるようになります。幸せへの近道ですね

2020年10月31日土曜日

NO381 「品のある行動」

常日ごろ、品のある行動を心がけること…。これが「ここぞ」という勝負のときに効いてくる場合があります。たとえばドアの開け閉めを静かに行う。お店で支払いをするとき、ていねいにお金を扱う。親しい人にもていねいな言葉遣いで話す。このような、日常生活のあらゆる所作に品があるかどうかを意識するのです。というのは、品のある行動がよい結果を生む場合が少なくないからです。それが結局はお互いの利益につながります。
日常にも十分に応用できます。たとえば部下に仕事を頼むとき、上司に休暇願いを出すとき、夫に家事の分担を頼むとき、隣家の騒音に困り、やめてほしいとお願いするとき。自分が有利になるように先手を打って勝とうとするのではなく、社会性のある品のよい行動で最終的なお互いの利益を狙うのです。粗野な振る舞いよりも、品のある行動のほうが人の心を動かすのです。

~ 脳科学者 中野信子さんより ~

所長視点)
自然界は弱肉強食の世界のように見えても、棲み分けと共生でバランスをとっているとのこと。また多様性が進めば進むほど、誰が決めなくても自然と秩序が定まってくるそうです。人を思いやるなかにすべてが上手くいく道があるのかもしれません


2020年10月30日金曜日

NO380 「パフェ食っているよ」

「お芝居と同じように、人生にも上手な人と下手な人がいるのよ」そんな名言があります。私も人生を上手く賢く生きてこられたかというと、どちらかと言えば三文役者でした。そういう人って沢山いると思います。お仕事、友人関係、家族のこと…。最近はSNSが普及したことで、今まではなかったような悩みも増えたんじゃないでしょうか?それ以外に対面での人間関係もあるんですから…。この時代を生きている人の悩みって、昔の何十倍も多いんじゃないでしょうか?そりゃ気持ちだってボコボコ凹みます。私ってすごく悩みが多い人間でした。どうにかそのつらさから逃れたくて、心理学や哲学の本を読みあさったり、自力でなんとかしようと、色々な方法を試してはみたんですが、なかなかスッとできず…。ある時、人間関係で嫌なことがあって悩んでいた私に友人が言ったのが
「多分そいつ、今ごろパフェとか食ってるよ」
でした。思わず「パフェかよ!」ってツッコミを入れて笑っちゃったっけど、その瞬間、色々なことが頭の中を駆け巡って、パァァァ…って光が射すみたいにハッとして、
「相手はパフェを食べて楽しめるくらい気にしていないかも」
「こっちだけ悩んでバカみたいだなぁ」
「悩んだ分、相手も気にするわけじゃないんだ!」
ストンと腑に落ちて納得して、悩むのをやめちゃいました。

~ 漫画家 Jamさんより ~

所長視点)
アドラー心理学によると人間関係の悩みの原因は「課題が分離されてない」ことにあるとのこと。人の課題に干渉する、自分の課題を曖昧にする、ここが問題とのこと。いくらあがいても人は変えられないが自分は変えることができます。自分を変えるはコツをつかめば意外と簡単です

2020年10月29日木曜日

NO379 「人を動かす」

人間の行動は、心によって大きく左右される。新車を購入しようとディーラーに足を運んでも、販売員が散々待たされたあげく、無愛想な表情で応対されたら、購買意欲も薄らいでしまう。逆に、それほど買う気持ちはなくても、接客してくれた人が明るく礼儀正しく、丁寧に説明してくれると、買うときにはぜひこの人からという気にさせられるのである。
「妻に薄き者、おそらくは薄からざるところなし。以てたのみとなすに足らず」
人生のパートナーである妻に対して、冷たい人間というのは、本質的に冷たい人間であって頼りにはならないというのである。社会生活においても家庭生活においても、重要なのは、相手を思う心である。心ない人間は、心ある人間によって駆逐されてしまうのである。
人は金や命令によって動くのではない。相手の心に感動して動くのである。そして、人の和の中に積極的に飛び込んでいき、偽りのない心で接することを心がけるべきである。人は時として、相手の心意気に感動すると、金や名誉とかではなく、利害をこえて、助けてくれたり動いてくれるものだ。
感動という言葉は、感じて動くと書く。感じるから動くのであって、理屈で何時間説明されたとしても、感じなければテコでも動かない。理論や理屈は、相手の心を揺さぶることはない。

~ 曹洞宗 禅僧 赤根祥道さんより ~

所長視点)
一番近い関係が家族であり、夫婦になります。真の家庭づくりは、家族のなかに感動が蓄積で測ることができるのかもしれません

2020年10月28日水曜日

NO378 「縦軸」

 生命というのは、個体の生命だけを指すのではありません。人間なら、個人の生命だけでなく、国としての生命、民族の生命、企業の生命、そしてそれぞれの家の生命を伝えることによって、個々の命が伝わるというふうにできているのです。ですから、国や民族が持っている特有の伝統文化を伝えなくなると、その国は滅亡し、個人の生命もまた滅んでいくことになります。
しかし、戦争に負けてからの日本は、日本人として誇りを持つべき過去の歴史や伝統文化をすべて否定し、子供たちに伝えなくなってしまいました。これは大変なことです。このために戦後生まれの人たちは、過去のことはすべて自分には関係ない古いことだと考え、日本の国に誇りを持たないようになってしまったのです。
しかしこれは、日本人の生活やものの考え方が外国人とは異なっているだけのことであって、その異なっていることの中に、他国の人たちには見られない素晴らしい宇宙観、自然観そして優れた情緒が息づいているのです。そのひとつとして特に申し上げたいのが、日本人は、人間は自分で生きているのではなく、すべて神さまの恵みと祖先の恩によって生かされているという感謝の生活を送ってきたということです。これは、人間の生きる素晴らしい真実の道です。

医師、元春日大社宮司 葉室頼昭さんより ~
所長視点)
人生における縦軸は「時間軸」です。歴史や文化、先祖を誇れることで軸のしっかりした人生をおくれるようになります。生き方がブレたり、定まらなかったり、人に影響されたり、決められず、優柔不断で悩んでみたり…するのは縦軸がしっかりしてない影響も大きいようです