2021年1月29日金曜日

NO463 「自分の機嫌」

 『自分の機嫌を取る!』
自分の機嫌にもかかわらず自分で責任をもって自分の機嫌をとっているヒトが極めて少ないと言わざるを得ません。
ほとんどのヒトが環境や出来事や他人の影響を受けて自分の機嫌を悪くしているのです。
したがって、自分の機嫌の悪い原因は、環境や出来事や他人にあると文句を言ったり言訳したりしています。
『あいつが〇〇だから、機嫌が悪いんだ。
昨日は機嫌が悪くて夜も眠らなかった。
あいつのせいで・・・』と。
しかし、こちらがどんなに機嫌悪くなっていても、眠れないのは自分であって、あいつはグーグー寝ているのです。
すなわち、機嫌悪くなった理由がどうあれ、機嫌悪くなって損をしているのは自分自身だということを知りましょう。
すなわち、自分の機嫌を自分で取れないのは人生の損失なのです。
機嫌が悪くなればあいつが眠れなくなるならいいでしょうが、そんなことなど決してありません。
下手をすると社会のほとんどはみなヒトの機嫌を気にしながらあるいはヒトの機嫌を取ることに夢中になりながら、結局は自分の機嫌は悪く生きている人たちの集まりです。
しかし、機嫌が悪くても何もいいことなどないのですから、とにかく自分の機嫌は自分で取るんだと考えて生きるべきでしょう。
誰かが機嫌を取ってくれるのを待って、自分の機嫌を誰かに任せる人生から脱却しましょう。
どうすればいいのかといえば、まずは自分の機嫌は自分で取るとまず決めることが大事です。
どうやって自分の機嫌を取るのかという方法が大事なのではなく、まず決めているかどうかが大切なのです。
そして、さまざまなライフスキルを磨かれていけば機嫌は自分で取ると決めているヒトは自分の機嫌を自分で取れるようになってくるのです。
辻秀一 フロー語録より

2021年1月28日木曜日

《一つのドアが閉まるとき、他のドアは開いているものである。なのに人は、しばしば閉まったドアを長く未練たっぷりに見つめてしまい、開いたドアになかなか気づかない。》
(アレクサンダー・グラハム・ベル/発明家・イギリス)

ベルは電話の発明家として名高く、今も電話はBellと呼ばれている。
しかし、本人は発明家として次々に自分の研究対象を変えていっている。
それは、エジソンも同様であった。
これは一流の発明家としての姿勢から生まれたのかもしれない。

日本の発明王と呼ばれたのは豊田佐吉である。
発明家は、必ずといってよいほど実業家たちに振り回されて傷ついている。
ベルもエジソンも佐吉もそうである。

佐吉は、その傷を癒すためにアメリカを旅行する。
そこで、まるで蟻のように走る車の列を見た。
そして「日本でも、アメリカに負けない車をつくらなくてはならない」と考え、
帰国後、息子・喜一郎に命じて自動車事業に着手させた。

今では世界一の自動車会社であるトヨタだが「変わらないことが一番悪い」と
現社長が言っていた。
これは、ここでベルが教えてくれていることを言っているのだろう。
今までのドアは絞められており、新しいドアが開いているのに気づき、
そこに向かわないと企業は終わることになるということだ。

『頭がよくなる名言100』木村進 
総合法令出版
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《打つ手は 無限》
すばらしい名画よりも 
とても素敵な宝石よりも 
もっともっと大切なものを私はもっている 
どんな時でも、どんな苦しい場合でも 
愚痴を言わない 
参ったと泣き言を言わない 
何か方法はないだろうか 
何か方法はあるはずだ 
周囲を見回してみよう 
いろんな角度から眺めてみよう 
人の知恵も借りてみよう 
必ず何とかなるものである 
なぜなら打つ手は常に無限であるからだ 
(打つ手は無限/サンマーク出版)より


この「打つ手は無限」は滝口長太郎氏の作。
このコロナ禍で、八方ふさがりとなり、商売をやめてしまったり、鬱(うつ)になったり、あるいは命を絶ってしまうケースもあるという。

目の前のドアがパタンと閉まってしまったとき、我々はうろたえ、なんとしてもそのドアを力任せにこじ開けようとする。
力尽きるまで、閉まったドアと格闘する。
しかし、目を横に転じれば、隣のドアは開いているかもしれないのだ。

「打つ手は無限」とは、まさにこのことだ。
周囲を見まわし、色々な角度から見てみる。

どんな困難な状況に陥ろうと、周囲を見まわせば…
どこか、新しいドアは必ず開いている。

NO461 「【予祝のすすめ】」

《喜べば 喜びごとが 喜んで 喜び連れて 喜びに来る》



この世界の最大の罪は「不機嫌」でいることです。
不機嫌はうつるからです。
ではどうすれば「上機嫌」(いい気分)でいられるか。

それは「前祝い」をしちゃうこと。
いいことなんか何ひとつなくても、先にお祝いしてしまえばいい。
じつは、この「前祝い」は、日本人が古来からやってきた願いの叶え方でもあるのです。

たとえば、お花見や盆踊りは、古来日本人の願いを叶えるための知恵でした。
春に満開に咲く桜を秋のお米の実りに見立てて、先に喜び、お祝いすることで秋の豊作を引き寄せようというのが、お花見の由来です。
盆踊りも、豊作を喜ぶ「前祝いダンス」。
前祝いすることを「予祝(よしゅく)」と言いますが、予祝こそ上機嫌をつくり、願いを叶える最高の方法なのです。

あの俳優の武田鉄矢さんが鳴かず飛ばずだったときに、この「予祝」をしたことでブレイクしたというお話があります。
ある日、鉄矢さんのお母さんが、寝ていたお父さんを起こして「今から祝杯をあげよう」と突然言い出した!
鉄矢さんは「めでたかことは、なーんにもなかばい」と伝えると、お母さんは「とにかく先に祝おう」と。

鉄矢さんはポカーン(笑)。
すると、お母さんは言いました。

「おまえには貧乏神が取り憑(つ)いている。
でも乾杯すれば、その貧乏神は『ここまで苦しめているのに、まだおめでとうとか言ってるよ』と拍子抜けして離れていく。
だから親子三人で一芝居打とう」と。

こうして親子三人で予祝をしたら、鉄矢さんのもとに、『幸福の黄色いハンカチ』の映画出演のオファーがきたのです。
鉄矢さんはこれが「予祝」だったのだと、あとで知ります。
喜べば、喜びがやって来るんです。

『3秒でハッピーになる 超名言100』ひすいこたろう ディカヴァー


2021年1月25日月曜日

NO459

「今の機嫌はどうですか?」と聞くと、多くの人は「普通です」と答えます。
もしくは「機嫌がいいですか?それとも機嫌が悪いですか?」の質問には、「どっちでもないです」という答えがよく返ってきます。
おそらく「普通」も「どちらでもない」も同じ意味合いでしょう。
要するに、「よくわからない」ということです。

機嫌は大事だとわかっていても、自分の機嫌に意識を向けながら生きている人は案外少ないのです。
特に、日頃から結果重視で考えがちな人は、自分がノンフローなまま生きている自覚がありません。
機嫌を問われてはじめて、「そういえば最近、何をしてもおもしろくないし、楽しくないな」と気づくくらい、ノンフローな状態をデフォルトだと思い込んでいるのです。
自分の機嫌に意識が向かないのは、「機嫌に気づく」という感性が養われていないからです。
心の状態を整えるには、「気づき」が不可欠です。

たとえば、上司のミスを自分に押しつけられたら不機嫌になるのは当たり前。
けれどそこで重要なのは、「自分は今、不機嫌だ」という心の状態に気づくことです。
今、イライラしているな。
今、落ち込んでいるな。
心の状態は、自分の感情に気づくという簡単なことで変化します。
こうして自分の不機嫌さに気づくだけで心は安定するのです。

この気づきをもたらすものは俯瞰(ふかん)による客観性です。
「外」に向かって暴走している認知脳を鎮静化させる一番の方法は、ライフスキルを働かせて「内(心)」に意識を向けること。
その時々で自分の心に意識を向けて、鳥の目で見た自分の心の状態に気づくことが心を整えるライフスキルのベースとなります。

自分の機嫌に気づくだけでも、あなたの機能は上がります。
現に、経営者や社員が自分の感情に気づくトレーニングをして業績が上がった企業はたくさんあります。
自分の機嫌に気づくことは人生の質を左右するくらいとても大事なこと。
俯瞰して自分を見て、心の状態に目を向けることを習慣にしていきましょう。

『「与える人」が成果を得る』 辻秀一 ワニブックス
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2021年1月21日木曜日

NO457 「素直」

我々が生きていく上で、
大切な心構えはいくつかあります。

中でも、その一番にこなければならないのが、
素直な心
です。

素直に感謝する、
素直に愛する、
素直に反省する、
素直にやる気を出す、
このように、
素直というのはすべての入り口です。

素直というのは、
字の通りそのまま‟素(もと)の心”です。

素の心とは、
魂の心をそのまま出すことを言います。
 
類は類を呼ぶように、
素直な心は、
相手の中に眠っている
素直な心を呼び覚ますことができます。
 
したがって、
素直な心で物事を行っている人は
常に明るい心でいられます。

すると、作戦のいらない世界で
生きていけるのです。
 
言い換えれば、
素直な心で生きるということは、
宇宙のシステムの中で
生きていくということなのです。
 
素直な人とは、

黒いものは黒い、
赤いものは赤い、
白いものは白いと、

ありのままを真っ直ぐに
見られる目をもっています。

また、素直な人は、物事を
理解するのに時間がかかりません。

頑固な人というのは、
物事の素の状態を
自分の考えに変えてしまいます。

だから、本質が見えなくなるのです。

その結果、
いろいろな意味で混乱する
可能性があるのです。

素直な人は、
混乱しているものを真っ直ぐにし、
糸を解きほぐしていくことができます。
常に物事の真実、真理から
外れることがありません。

したがって、
素直な人は人の言葉に迎合したり
振り回されたりすることがないのです。

素直というのは、
そこに自分の感情が加わらない世界です。
 
もし、誰かに暴言を吐かれ、けなされても、
それが真実の場合もありますから、
「なるほど、そういうふうに
 私を見る人もいるのか」
と受け止めます。
 
なぜそう言われたのかを考え、
良い方向に改善していくことに
全力投球します。
 
一方、素直でない人は、
感情的になって腹を立て、
自分に教えてくれる意見を悪いこととして
受け止めたまま終わらせてしまいますから、
せっかくの成長するチャンスを
自分で潰してしまうのです。

人間は、歳をとるほど
自分の過去の固定観念に縛られ、
人を色眼鏡で見ることが多くなってきます。

だからこそ、
いつでも素直になれるように
心がけて生きていくことが大切なのです。

2021年1月20日水曜日

たとえば、時速10キロで流れている川にボートを浮かべているとき、人は「漕(こ)がなくてはいけない」と思ってしまいがちです。
ボートを浮かべて「そのまま流れ下っていいんだ」と教えられてはこなかった。
時速10キロの川の流れに対して、上流に向かって時速10キロで漕いでいる人は、外から見ていると、少しも動いていません。

「あの人、いったいいつまで同じところにいるのかな」という状態。
大汗かいて、「こんなに私は、努力してがんばっているのに、なぜ、人生変わらないの」と本人は嘆く。
しかしそれは、上流に向かって漕いでいるのかもしれません。
流れに逆らっている。

じゃあ、今度は、下流に向かって漕いでいる人はどうか?
左右の岸にすごく面白い人たちがいるにもかかわらず、動きが速すぎて、その人たちに手を振っている余裕がない。
笑顔を交わすことすらできない。

結果として、ものすごい速さで流れ下っていくのですが、その先は、ナイアガラの滝のようになっている。
わざわざ急いで行かなくても…。
ナイアガラの滝というのは、つまり死というものです。
人間の肉体の死です。
自分は、一生懸命やっているつもりでも、もしかしたら、死に急いでいるということかもしれません。

では、味わい深い人生を送るためには、どうすればいいか。
川の流れに舟を浮かべているだけ。

漕がない人生はどうかといえば、左右の景色を楽しみ、風を感じながらゆったりと流れていく。
それが、とても豊かな選択のように思えます。
この流れをあれこれ変えようとせずに、「おまかせ」してみてはどうでしょうか。
身をゆだねるとは、そういうことです。

そして、ゆだねはじめた人からは、ほんわか温かい空気が漂ってきます。
おまかせした人は、生き方もしなやかですから、まわりの人はその人に対して「あれやって」「これやって」といろんなことを頼みたくなるようです。
とても頼まれやすい人になる。

そのときに「自分は今まで何も考えないで、のほほんと生きてきたけど、頼まれごとを引き受けることが、生まれてきたことの意味かな。喜ばれることかもしれないな」と思いながら、あちらに動かされ、こちらで楽しい人々と出会い、というのをやっていくことになります。
さらに、流れを素直に受け入れれば受け入れるほど、宇宙はどんどん示唆をくれるようになります。
すると「どうも自分はある方向に向かって、同じようなことを頼まれているようだ」と感じはじめます。

不思議なことに、自分で努力目標を立ててがんばっていたころよりも、風に吹かれ、川に流されて生きるほうが労働量が多かったりするのですが、好き嫌いを分けない心になっていると、悩んだり苦しんだり迷ったりすることが少なくなる。
精神的なストレスがなくなって、元気でいられます。
私も20年くらいかけて、一切抵抗しないで、宇宙が「こうしましょう」と示唆している流れに舟を浮かべて下っていく、という生き方になってきました。

“風”に従い、“流れ”に従う。
こういう人を、「風流な人」と呼びます。
「風流な人」でいることは、人生の喜びを優しく感じることができる生き方のようです。

『「そ・わ・か」の法則』小林正観 サンマーク出版
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NO456

赤ん坊は生まれてしばらくのあいだ、お腹がすいたり、眠かったり、どこか気持ちが悪いというようなことを泣いて伝えます。

まるで泣くことが唯一のコミュニケーションの方法であるかのようです。

その後、成長するにしたがってことばを覚え、カタコトでも自分の気持ちを表現できるようになり、どんどんことばの数がふえていきます。

つまり、次第にことばを覚えるにつれて人間らしくなっていくわけで、ことばを知らなければ知識を得ることも、知識を伝えることもできません。

そして、たいへん重要になるのが、子供のときに覚えることばです。

いつも聞くことばが乱暴であれば、乱暴なことばを話すようになりますし、いつもまわりからかけられることばがやさしかったり、よいことばであれば、そのような話し方ができるようになります。

また、どんなに感性が豊かでも、その感性をのばすには、ことばも豊かでなくてはなりません。

しかも、よいことばをたくわえていくことによって、よい性格と品格がそなわっていきますから、ことばをたいせつにする教育がきわめて重要になるのです。

人は誰でも見聞きしたり、読んだことをことばとして覚えていきます。

つまり、ことばイコール知恵であり、ことばこそが人を成長させ、その人の性格や考え方を形成し、「心によい習慣」をつける大もとになるといっても過言ではないのです。

ことばといえば、思い起こされるのがヘレン・ケラーです。

55年前の映画『奇跡の人』を覚えていらっしゃる方も多いと思いますが、生まれつき視聴覚がないという重い障害を負いながら、世界各地を回って身障者の教育・福祉につくしたアメリカの教育家・福祉事業家です。

彼女は献身的な家庭教師アニー・サリバンから指文字ことばの教育を受け、ついには絶望視されていた「話すこと」をマスターし、歴史に名をどどめた偉人として知られています。

そうした彼女が残した次のことばが印象的です。

「ことばというものがあるのを、はじめて悟った日の晩、ベッドのなかで私はうれしくて、このときはじめて『早く明日になればいい』と思いました」

まさに、ヘレン・ケラーは「ことばが人を成長させる」ということを体現し、それを証明した人だったと思います。

《豊かな感性を育むことばを身につける/どんなに感性が豊かでも、その感性を伸ばすには、ことばも豊かでなくてはならない。》

『死ぬまで穏やかに過ごすこころの習慣』フォレスト出版天台宗ハワイ開教総長・大僧正、荒了寛氏の心に響く言葉より…

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2021年1月17日日曜日

NO454 「伝染」

私たちの感情というものは、自分がしている表情によって影響を受けます。
楽しいことなど何もなくとも、ニコニコしていれば、不思議に心も陽気になってきますし、眉間にシワを寄せて、不機嫌そうな顔をしていると、いつの間にか不機嫌になってきてしまいます。
これを「フェイシャル・フィードバック効果」といいます。
私たちの脳みそは、自分がしている表情からのフィードバックを受けて、「笑顔なんだから、楽しいはずだ」と思い込みます。
そして、ドーパミンなどの快楽物質を分泌しはじめるのです。
私たちの脳みそは、表情にだまされてくれるのですね。
「面倒くさいなあ」と思って、そういう顔をしていたら、どうなるでしょうか。
私たちの脳みそは、面倒くさいという気持ちを引き出す乳酸などの物質を身体に分泌しはじめてしまいます。
だから、余計に身体も疲れるのです。
したがって、面倒くさい仕事に取り組むときには、もうこれ以上ないというくらいの満面の笑みを浮かべるのが正解です。
イリノイ大学のマヤ・タミールは、面白くもなんともないときに、1分間、笑顔を作らせるという実験をしたことがあります。
両頬に力を入れてもらって、口角が上がるような顔(つまり笑顔)をとってもらうと、なぜかポジティブな気持ちが生まれたのですね。
また、タミールは、両眉に力を込めて、しかめっ面を作らせると、怒りっぽくなってしまうことも突き止めています。
フェイシャル・フィードバック効果は、まことに強力な作用をもたらすと言えるでしょう。
まずは自分の脳みそをだましてしまうためにも、とびっきりの笑顔を作ってください。
「イヤだ、イヤだ」と思っても、どうせ逃げられないのですから、楽しくやったほうがいいに決まっています。
そのためには、まず笑顔を作ることが大切なのです。
『トム・ソーヤーの冒険』には、「ごきげんなペンキ塗り」という話があります。
ポリーおばさんに罰として塀のペンキ塗りを命じられたトム・ソーヤですが、鼻歌交じりに楽しそうにペンキ塗りをしていると、友達たちが代わりにやらせてくれとお願いしてきて、トム・ソーヤはそれを押しつけることができた、というお話です。
どうせイヤなことをするのなら、せめて楽しそうにやりましょう。
そのほうが自分も楽しめますし、ほかの人も手伝ってくれるかもしれませんよ。
『おもしろいほどやる気になる本』 内藤誼人 明日香出版社 
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同書には「できるだけ幸せな声を出す」ということも書いてありました。


『私たちの感情は、自分のしている表情に影響を受けますが、同じことは、声にも言えるのです。


怒りっぽい声を出していると、やっぱりだんだん心もムカムカしてきますし、できるだけ優しい声を出そうとしていると、優しい気分になってくるのです。


オランダにあるアムステルダム大学のスカイラー・ホークは、幸せなときの声、悲しいときの声、怒っているときの声、不機嫌なときの声を出してもらう、という実験をしたことがあるのですが、それぞれの声によって、表情も変わることを明らかにしています。


怒りの声を出そうとすると、自然に表情も険しくなり、幸せな声を出そうとすると、柔らかな表情になることが多かったのです。


声と表情はどうも連動しているようなのです。


ということはつまり、優しい声、幸せな声を出すように心がければ、それによって幸せな表情になり、幸せな表情を作っていれば、フェイシャル・フィードバック効果で、幸せな気分になるはずです。


面倒くさいことをしなければならないときには、


「ああ、自分はなんて幸せなんだろう」


「ああ、私は仕事があって、お金までもらえて幸せだ」


そんなことをわざと口にするのがいいかもしれませんね。


ウソでもいいので、そういうことを口に出していると、本当に幸せな気分が生まれてくるでしょうから。』




「楽しいから笑うのではない、笑うから楽しいのだ」


という、アメリカの哲学者・心理学者のウイリアム・ジェームズの有名な言葉がある。



人間には伝染しやすいものが三つあると、小林正観さんはいう。


一つは、あくび。


一つは、不機嫌。


一つは、笑い。



詩人のゲーテは、「人の最大の罪は不機嫌」と言った。


不機嫌な人のまわりからは人は去っていく。


不機嫌がうつるからだ。



不機嫌な人は、不機嫌そうな声で話し、不機嫌そうな顔をしている。



「フェイシャル・フィードバック効果」を利用し、


面倒なことを始めるときも、そうでないときも…


とびっきりの笑顔で、楽しそうな声で話す人でありたい。

2021年1月16日土曜日

NO453 「コインで決めても変わらない」

「情報が多すぎたり、検討の時間が長すぎたりすると、小さなことがどんどん気になってくる」
「情報は多すぎないほうがいいこともある」ということがあります。
ただ、そうは言っても、大事なことになるほど素早く判断するのは難しくなります。
そんなときにヒントとなるこんな研究があります。
シカゴ大学の経済学者、スティーヴン・レヴィットは「人生の重要な選択の場面において、自分で決断できない人はどう決断すべきか」調査をしました。
そして、この調査のためにつくったのがあるウェブサイト。
「コイン投げサイト」と呼ばれるもので、閲覧者たちが「今決めかねていること」を書き込み、画面上のコインを投げるというものです。
このコインの表が出たら「実行」、裏が出たら「実行しない」というメッセージが出るというとてもシンプルなつくりです。
レヴィットはこのサイトで1年かけて4000人の悩みを収集し、「コイン投げの決断によって人生がどう変化したか」ユーザーたちの追跡調査をしたのでした。
驚くことにユーザーの63%がコイン投げの結果に従って行動していたのです。
さらに驚きの結果は、コイン投げの結果が表だろうが裏だろうが、悩みの解決に向かって何かしら行動を起こした人は、半年後の幸福度が高いことがわかりました。
「会社をやめる」という決断をした人も、「やっぱりこのままがんばろう」と決断した人も、いずれのパターンでも幸福度は高くなったという結果が得られた、というわけです。
つまり、決断においては「どう決めるか」ではなく、「そもそも決められるかどうか」のほうが重要だということです。
やめると決める、やらないと決める、そうして腹をくくることが結局のところ人生の満足度を大きく左右します。
「宙ぶらりん」の状態はパフォーマンスを落としてしまう原因になります。
なかなか決断できないことで悩んでいるときは、たとえば「これから3ヶ月は今の仕事をやる!」とまず決めて、やめるかどうかはそのあとで考えようなど、期限つきで選択をしてみるのもいいかもしれません。
なんなら、この実験のようにコインを投げて決めてみたっていいと思います。

停滞が「考えすぎる」原因の一つなのです。
ぜひ、前進するために決断を大切にしてみてください。
どう転んだって、結局はどうにかできてしまうのが人間なのです。

『「考えすぎない」人の考え方』堀田秀吾さん サンクチュアリ出版
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2021年1月14日木曜日

NO452 「誤解するなら…」

人はだれしも成功したいと思っているけれど、99パーセントの人間は成功できない。
それができないからガックリきて疲労困憊する。
みんな人間の活動やエネルギーを算術みたいに考えているんだよ。
ある分量の蓄積があって、それを使ってしまえばだんだん減ってゼロになるっていうようにね。
そうじゃない。
挑むからエネルギーが湧き出るんだ。
疲れていようといまいと、それが生きるってことだ。
無条件に闘うことを前提として、自分をつらぬいていくことが大切なんだよ。
理解されないかもしれない。
でも、自分が理解されないのは相手が理解できないんだ、しようとしなかったからだ、と思えばいい。

人はさまざまな誤解のなかに生きている。
純粋に生きようとすればするほど、とんでもない誤解を受ける。
ほんとうの理解なんてあり得ないんじゃないかと思うくらいにね。

だれだって誤解されるのはイヤだ。
だがそれより、誤解されることを恐れて、自分が思ったことをストレートに表現しなくなることのほうがもっとよくない。
誤解されないように、と他人の目や思惑を気にして行動すると、やることがむなしくなってしまう。
それじゃほんとうに生きる、なまなましい、いのちの感動なんてひらくはずがない。

誤解するなら、してみろ!
誤解こそ運命の飾りだと思って、己をつらぬいて生きてみればいい。
無条件に己れをぶつけて挑んでいけば、限界なんてないんだよ。

《この瞬間瞬間に賭ける。将来なんて勝手にしろだ》

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『表現者を批判する場合の九割が、じつはただ「不快だ」と言いたいのである。そして、そのうちのさらに九割が、さまざまなかたちの(誤解を含めた)羨望や嫉妬に基づいている。』(哲学者・中島義道)


我々人間は、人に認めてもらいたくて仕方のない生き物だ。
だから、まわりの評価や評判が気になる。

しかし、一部の人は、人を批判し、こきおろすことで、自分の自己充実感を満たしている。
「おまえなんか嫌いだよ」「オレのが上だ」と思っている。
匿名性の高いSNSではそれが顕著だ。
しかし、いくら自分の本当の考えや思いを分かってもらおうと、千万遍(べん)説明したところで分かってはくれない。

コペルニクスの地動説が認められたのは、およそ100年たってからだという。
それまでは、いくら事実をつきつけても古い世代や老人たちはそれを認めようとしなかった。
なぜ、100年たって地動説が認められたのか。
それは「世代交代」だという。
そのことを、トーマス・クーンは「パラダイムシフト」と言った。

すべての人に分かってもらうことはできないし、すべての人から好かれることもできない。
「誤解するなら、してみろ!」

この瞬間瞬間を…
誤解を恐れず、生き抜いていきたい。
岡本太郎氏の心に響く言葉より…

NO451 「ゆっくり いそげ」

ゆっくり、いそげ。
ラテン語で、「festina lente(フェスティナ・レンテ)」。
朝起きて、寝坊に気付く。
あ、予定に間に合わない。
あわてて準備して飛び出すが、駅前までの道すがら打ち合わせに必須の資料を忘れたことに気付き、泣く泣く来た道を戻る…。
…フェスティナ・レンテ。
「急がばまわれ」と言ってもいい。
目的地への到達を急ぐのであればあるほど、むしろ目の前のこと、足元のことを一つ一つ丁寧に進めた方がいい。
もしくは一つ一つ丁寧に進めていけば、存外早く目的地に到達できるものだ。
『結論はまた来週』という、ノンフィクションライター高橋秀美さんの書くコラムを読んだときのことだ。
そのなかに「勇気を持って、ゆっくり行こう」という見出しのものがあった。
2008年の北京オリンピック、競泳100メートル平泳ぎで金メダルを獲得した北島康介選手にまつわる話だ。
“私は平井伯昌コーチの言葉に胸を打たれたのである。
彼は決勝直前に北島に対してこうアドバイスしたという。
「勇気を持って、ゆっくり行け」
スピードを競うレースにもかかわらず、彼は「ゆっくり行け」と指示した。
テレビ朝日によると、北島は100mの準決勝で前半50mを19ストローク(かき)で泳いでいたらしい。
しかしこれだと後半に手足がバテて失速する。
そこで平井コーチは200mを泳ぐ時のようにストローク数を減らして「全身を使ってゆっくり泳ぐ」戦略を立てて決勝に臨んだ。
そして実際にゆっくり行ったら世界一速く着いたということなのである。”
こういうことはしばしば起こる。
例えば、お店の評判や認知度を上げたいと思うとき。
一つの方法は広告宣伝費を大量に使うことだが実はそれよりも、お店を訪ねてくださるお一人お一人に丁寧に向き合うことを積み重ねていった方が、長い目で見たら近道ということは大いにある。
かと言って、のんびりやっていればいいということでもない。
一つ一つ、一かき一かきには全力を尽くす。
自分はこの「ゆっくり、いそげ(フェスティナ・レンテ)こそ、これからの経済や社会を考えるときの基本指針になるのではないかと思っている。
クルミドコーヒー店主、影山知明(ともあき)氏の心に響く言葉より…


2021年1月12日火曜日

NO450 「居場所」

場の研究所の清水博先生は長年、場を研究されていく中で、その根本原理に与贈循環があると指摘されています。
与贈というのは、贈与をひっくり返した言葉で、贈与の中でも匿名での見返りを求めないものを言います。
この与贈が自分のいる《場》に対して行われると、その《場》が豊かになっていきます。
《場》が豊かになっていくと今度は、その《場》から自分へと与贈が居場所というかたちで返ってきます。
循環が起こっているのです。
たとえば、家族のためにケーキを買って帰るとします。
そうすると家族との関係もよくなり、家庭という《場》が豊かになります。
そうすると、自分の居場所もできる。
与贈は居場所づくりの方法なのです。
「人は居場所がないと感じると、精神を病んだり、アルコールに溺れたりする。他者に貢献することで、居場所を確保すればいい。」(アルフレッド・アドラー)
人は自分の「存在を否定」されたとき、生きる希望や、精神的なよりどころを失ってしまう。よりどころとは、拠り処であり、寄り所であり、つまり、居場所のこと。
反対に「存在の肯定」とは、あなたがいてくれてよかった、あなたに居て欲しいという、人から必要とされることだ。
これからの時代は、会社という居場所の存在が少しずつ希薄になってくる。
だからこそ、いくつもの拠り所が必要となってくるということだ。
自分がほっと安心できる場所。
居心地のいい場所。
認めてくれる場所。
必要とされる場所。
そんな居場所をいくつも持つ必要がある。
中でも一番大事な居場所が家庭だ。
『在宅HACKS!』東洋経済新報社
https://amzn.to/38xhAWJ 小山龍介さんより

NO448 「結婚とはスポーツである」

《努力する気がないなら結婚するな》
少し過激な言い方ですが、これは科学的にも裏付けがあるのです。
米カリフォルニア大学のソニア・リュボミアスキー教授は
「さまざまな科学的な調査から言えることは、今より幸せになりたいと思うのなら、スポーツに取り組むように、日常の出来事に取り組まなければならない」要するに、「ある日寝て起きてみたら、急に幸せになっている」なんてことはない、というわけです。
スポーツだって、毎日トレーニングをするから技術も上がっていくのです。
幸せになるにもそれ相応の行動や努力を継続しなければならないはずです。言われてみれば当たり前のことですね。
さて、あなたはパートナーとの関係をよりよいものにするために努力する気はありますか?
結婚したら、パートナーは一番身近な存在となります。
パートナーシップについては実に多くの研究がありますが、科学的な研究では総じて、「結婚していない人よりも結婚している人のほうが平均的には幸せな人が多い」という結論になっています。
しかし最近では、その差は小さくなってきているという事実もあります。
「結婚をしたほうが幸せなのか?」「結婚をしないほうが幸せなのか?」
結論から言うと、その差は「努力次第」のようです。
「努力すれば、すごく幸せ。努力しなければ、墓場」…とまでは言いませんが、努力をしなければ、結婚前より幸福度は下がります。
では、ちゃんと努力したらどうでしょうか?「温かな人間関係」が一番身近にある状態になり、とてつもなく幸せになります。
「好き」というより「居心地がよい」と感じるようになるのです。
私たちは脳の「順応」という機能によって、つまり“慣れてしまう”ことによって、ときめきがなくなっていきます。
「結婚した」という事実自体が、高揚した幸福度を元に戻してしまうのです。
そう、注意すべきは、結婚生活=相手がしてくれることへの「慣れ」です。
私たちの脳は、「順応」の機能によって、どんなことでもいずれは慣れてしまいます。
たとえば、どんなにうれしいことでも、それが“当たり前”になってしまい、ありがたさを感じなくなります。
「パートナーがいれば幸せ」「結婚すれば幸せ」は、完全に間違った思い込み。
「パートナーとともに『幸せになる努力』をするからこそ、幸福度が増す」というの真実です。しつこいようですが「彼氏、彼女ができて幸せ」「結婚して幸せ」は幻想!努力が必要なのです。
目を覚ましてください。
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星渉(わたる)&前野隆司氏の心に響く言葉より…

2021年1月9日土曜日

NO447 「失敗を許す」

息をのむステージパフォーマンス、すばらしい芸術作品、革新的なビジネス、天才的な発明など、成功者の偉業を目にすると、それらは類まれな才能の賜物で、最初から完璧だったと思いがちです。

しかし実際、特にすばらしいとされる偉業のほとんどは、数えきれないほどの失敗と挫折の果てに生まれています。

早く学ぶためにはまず失敗する、もしくはシリコンバレーの起業家たちがよく言う失敗して前に進むという考え方は、革新的なビジネスの生命線です。

まずは可能な限り早く商品のサンプルを作ってフィードバックを得、チャンスや問題点を知り、次のステップに踏み出す。

この考え方は、ピクサー・アニメーション・スタジオのすばらしい作品作りの核心です。

『ファインディング・ニモ』や『ウォーリー』の監督を務めたアンドリュー・スタントンはこう語ります。

「僕のやり方は、ずっと変わらない。まずはヘマをする。要するに《どうせ失敗するんだからそれはもう認めて、失敗を恐れないようにしよう。ただし、早いとこ失敗して答えにたどり着こう》ってこと。僕は最初から正しい答えが分からなくてもいい。ただ間違いでもいいからすぐに、とにかく早く何か答えがほしいんだ」

自分に失敗するのを許すことは、あなたがクリエイティブな仕事をしようと思えば特に大切です。

著書『バード・バイ・バード…書くことと人生についての覚書』の中で、アン・ラモットは執筆と向き合う際の苦労について述べています。

ラモットは、作品を完成させるために欠かせないのは、自分に「うんざりするほど最低な原稿」を書くのを許してあげることだと言います。

ラモットは、「自分が何を書いているか、書きながら分かっている作家なんて、ごく一握りしかいない」と言います。

自分が何を書きたいか、物語がどこへ行こうとしているのかが分からなくても、とにかく座って言葉をかき混ぜていれば、物語が動き出す場所にたどり着ける。

これは、「まずは失敗」アプローチの要となるアイデアです。

つまり、まずは実際にやってみないことには、それがどんなもので、それに対して自分がどう感じ、そこから何かが得られるかは分からないのです。


『一歩を踏み出せば昨日と違う自分になれる!』ライアン・バビノー&ジョン・クランボルツ氏 日本文芸社

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2021年1月8日金曜日

NO446 

「喜び」はすべてをよい方向へ動かします。これを強く主張したのが、江戸時代の神道家で、1850年に70歳で亡くなった黒住宗忠です。彼は修行がようやく実を結ぼうとしたところ、7日間の間に両親を失い、しかも結核になってしまいました。医師も見放し、絶望の淵をさまよっていましたが、ふとしたことから心の本質を悟りました。同時に、この本当の心は喜ぶことを好むと悟ったのです。
それからは、周囲の人が気がおかしくなったのではないかと思うくらい、絶え間なく笑ったといいます。するとさしもの結核も次第に治ってゆき、ついに病が完治したのです。この体で当時70歳まで生きたことは、彼のやり方が正しかったことを示しています。
この世で成功した人を見ると、なんとなくそばにいたい、いっしょに話したいという雰囲気をもつ人ばかりです。人は本来、仏の心の持ち主ですから、相手の明るい心と付き合うのを好むのです。それにひきつけられるのです。ですから明るい心の持ち主は仲間や支持者を得ることができ、それが成功につながるのです。
人はひとりでは何もできません。しかし人間が集まり、争いを起こさないというのも難しいことです。この困難を可能にするのが、明るい心です。明るい心は相手の心を覆う雲を消散させ、心の光を発揮させます。このように知らず知らずのうちに心の光が輝くようにさせた人は、相手になんともいえない幸福感を与えます。これがその人にひきつけられる理由なのです。心は明るさを求めています。
これを自覚し、人に自覚させるには、つねに明るく、笑いにあふれる人物になることが必要なのです。笑いましょう。少しのことにも喜びを見出し、笑いの材料にしましょう。欧米でもユーモアをもつ心は最大の美徳とされているのは、こうした理由があるからなのです。
浜松医科大学名誉教授 高田明和さんより
『脳と心に効く言葉』二見レインボー文庫

2021年1月7日木曜日

NO445 「コツは2つ」

 イエローハットの創業者、鍵山秀三郎さんが、あるところで若い人たちに、
「成功のコツは二つある」
と話されたそうです。
「何だと思われますか?」
との質問に、皆さんから、いろいろな答えが返ってきましたが、鍵山さんは、
「コツは二つといったでしょう」
といって
「コツコツ」
と板書された、とか。
どっと笑いが起こったといいます。鍵山さんらしいユーモアです。しかしこれは笑い話ではありません。人生の真実です。
松下幸之助さんも同じようなことをいっています。
「成功するとは成功するまで続けることだ」と。
仏教詩人の坂村真民さんは、詩一筋に97年の生涯を生き貫かれましたが、生前、
「一つのことをコツコツと誠心誠意続けていると、不思議なことが起こってくる」
とよくおっしゃっていました。
実は『致知』も、創刊25周年の頃から、自分でも思いもしなかったような不思議なことが起こってきました。だから、本当にコツコツ、倦まずたゆまず、希望をもってやっていくと、天地が味方をして、何か不思議なことが起きてくる、というのが私の実感です。
最後に、私の好きな言葉を紹介します。
「道は 心を定めて 希望をもって 歩む時 開かれる」(松下幸之助氏の言)

『はじめて読む人のための 人間学』致知出版社
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所長視点)
目の前のことに一生懸命やっていると、神様がご褒美で次に何をしたらいいか教えてくれるそうです。それに従って次のことも一生懸命やる。その積み重ねが結果として思いもしなかった成功をもたらしてくれます。それを周りの人は「奇跡」というかもしれません

2021年1月6日水曜日

NO444 「夢中になる」

さて、どのようにすれば、自分が夢中になれる仕事を見つけることができるのでしょうか。答えは一つしかありません。

《とにかく、なんでもやってみる》

これに尽きます。
友人である予防医学者の石川善樹さんは、ハーバード大学に留学していた際、あまりにも自分の興味範囲が広いため何からどのような優先順位で手をつけてよいかわからず、悩んだ挙句に指導教官だった教授に相談してみたところ、次のようにアドバイスされたそうです。
すなわち「興味あることは、全部やりなさい。興味のないことも、全部やりなさい」と。
実に強烈なアドバイスですが、これは即ち「とにかく、なんでもやってみなさい」ということです。
~ 山口周さん 『ビジネスの未来』プレジデント社 ~
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所長視点)
とにかく、やってみることができない…ときは、過去の未練、現実逃避、未来、失敗への不安があるとき、すなわち心が弱っているときです。心の栄養は、心が元気になる言葉を自分にかけてあげることで栄養補給できます。ありがとう、感謝は栄養価はかなり高いです。400回ぐらいはほしいところです

2021年1月5日火曜日

NO443 「托鉢行」

一燈園に入園した者は誰でも、何日かの托鉢行をする。
無一文、無一物で園を出て、行った先で掃除や草むしりなどの奉仕をさせてもらい、運がよければ食事や宿泊にありつける。その托鉢に対する西田天香さんの言葉がある。

『托鉢者は行き詰まるだけ行き詰まってみるがよい。日の脚は、こちらの行き詰まりを待ち合してはおらぬ。
日暮れ、腹は減る。泊めてくれ手もない。握り飯一つ誰も持って来ない、寂しい気持ちがする。そうした時こそ真剣になる。
まだまだ行き詰まるがよい。そこでどうするか。
手前の考えが何事も用を成さず、我というものがあまりにふがいなくなって、しみじみと考え込む。祈りたくなる。
そうした時に知らず知らず、一段一段と自分の我慢(がまん)がはげていく、それが実に結構な修行なのだ。
どうか他人の得をぬすまぬように。
どうか自分の罪をかくさぬように。
どうかその場のがれの事を言わぬように。
どうかあまりに大事をとりすぎぬように。
あまりに自分はみにくいだらけである。
一段とこの四つのことを慎みたい。』

人生とは、「己の魂を磨き、少しでも光らせる修行」。自分を磨くことだけを考え、人格を向上させるなら、他人の行いは気にならなくなる。
自分を守らんがため、人を非難し、人のせいにすることをやり続けるなら、やがて誰からも相手にされなくなる。 

~ 石川 洋さんより ~

所長視点)
すべてを手放して、奉仕しようとするときに、自分の心と正面から向き合うことができるのだと思います。向き合った自分を受け入れたとき「謙虚さ」を身につけていく。謙虚さこそが天運をつかむことのできる心の状態なのだと思います

2021年1月4日月曜日

NO442 「人に与えた思い出」

アルフレッド・ノーベルはノーベル賞を創設した人として有名だが、実はダイナマイトを発明した科学者であり発明家だ。1888年に兄が亡くなったとき、弟のノーベルと間違えて書かれた死亡記事が出た。そこには、
「一瞬にして多くの人を殺害する方法を発明し、それによって富を築いた死の商人死す」
とあった。それを見て、ノーベルはその後の自分の生き方を改め、ノーベル賞をつくったという。
「何によって人に憶えられたいか」は、人の一生において、重要なテーマだ。死の商人と言われるのか、ノーベル賞の創設者と言われるか。人は、亡くなった後、この世に残していけるのは、「人に与えた思い出」だけしかない。人が憶えていてくれた「思い出」だけが、残るのだ。
人に与えたものが、「不平不満」「愚痴」「泣き言」や、「悲しみ」「怒り」「憎しみ」だけだったとしたら、こんな寂しい人生はない。
何も大きいことをする必要はない。人の心に、「温かで優しい気持ち」「しあわせ」「楽しい」「笑い」や、「感謝」の気持ちを少しでも残すことができたら、こんな嬉しい人生はない。

~ ピーター・ドラッカー氏より ~

所長視点)
関わった人の心にどんな気持ちを残していくのかは、その人の生き様にかかっています。より心の奥深くに残すことのできる気持ちは、どれだけ自分の気持ちを掘り下げて、掘り下げて、本心に正直に生きたかによるのかもしれません

2021年1月3日日曜日

NO441 「人生の難関」

福島智さん(東京大学教授)のお話を初めてうかがった時、肌がチリチリむようなような衝撃を覚えた。
福島さんは3歳で右目を、9歳で左目を失明、全盲となった。
生来が楽天的、と本人はおっしゃるが、視力を失っても音の世界がある、耳を使えば外の世界と繋がることができると考え、実際、音楽やスポーツや落語に夢中になっていた、という。だが、さらなる過酷な試練が全盲の少年を襲う。14歳の頃から右耳が聞こえなくなり、18歳、高校2年の時に残された左耳も聞こえなくなってしまったのである。
全盲聾(ぜんもうろう)…光と音からまったく閉ざされた世界。
福島さんはその時の状態を「真っ暗な真空の宇宙空間に、ただ一人で浮かんでいる感じ」と表現している。
なぜぼくだけこんなに苦しまなければならないのか、これから先、ぼくはどうやって生きていけばよいのか…不安、恐怖、懊悩(おうのう)の日々が続いた。
そんなある日。母親の令子さんが福島さんの指を点字タイプライターのキーに見立てて「さとしわかるか」と打った。「ああ、わかるで」と福島さんは答えた。母親のこの指点字は壮大な転機となった。福島さんは真っ暗な宇宙空間から人間の世界に戻ってきたのだ。
その時の感動を福島さんは詩に綴っている。

【指先の宇宙】
ぼくが光と音を失ったとき
そこにはことばがなかった
そして世界がなかった
ぼくは闇と静寂の中でただ一人
ことばをなくして座っていた
ぼくの指にきみの指が触れたとき
そこにことばが生まれた
ことばは光を放ちメロディーを呼び戻した
ぼくが指先を通してきみとコミュニケートするとき
そこに新たな宇宙が生まれ
ぼくは再び世界を発見した
コミュニケーションはぼくの命
ぼくの命はいつもことばとともにある

指先の宇宙で紡ぎだされたことばとともにこの詩の意味するものは大きい。福島さんだけではない。すべての人の命は言葉とともにある。言葉のないところに人間の命はない。福島さんは身をもって、そのことを私たちに示してくれている。同時にもう一つ大事なこと、絶望の淵から人間を救うのは言葉である、ということ。
どのような人生の難関も言葉という通行証をてにすることで、乗り越えることができる、ということ。そのことをこの詩は私たちに教えている。

~ 致知出版代表 藤尾秀昭さんより ~

所長視点)
恵まれた環境にいると恵まれていることが当然のように思ってしまい、「当たり前」になってしまいます。当たり前からは感謝は産まれません。当たり前、当然、期待…それは自分がそう決めつけていただけで、本当は、たまたまだったかもしれません。それに気づくだけで感謝が増えてくるように思います

2021年1月2日土曜日

NO440 「生きるんだよ」

野に咲くタンポポでさえ 詩人の魂をふるいたたせ
一匹のこおろぎでさえ 病める人の心を癒す
五体に障害を持つ人も その微笑みで 人の心を照らし
そのまなざしで 愛を伝えることができる
生きとし生けるもの そのすべてには 授かったいのちの輝きと役割がある
たとえ何もできなくとも 微笑むことはできる
たとえ貧しくとも 謙虚な生き方はできる
それだけでも立派な奉仕なのだ
授かったいのちの尊さに目覚め あなたなりの生き方で
生きた証の 美しい花を咲かせていこう
私は十七歳の時、一介の奉仕者になろうと決心して、一燈園の門をくぐった。
一燈園の創始者でわが生涯の師・西田天香さんは、無所有・無所得の托鉢生活をまっとうされた人である。入園した若い私に、
 人間は偉くならなくていい
 人間は立派にならなくていい
 人間はお役に立つ人になることである
と諭して下さった。
それ以来七十年、まだまだいたらない私だが、師の教えのような生き方をされておられる多くの方のご縁をいただき、励まされお育ていただいてきた

~ 石川洋さんより ~

所長視点)
生きるということは、命をどのように使うか?ということ。それが「使命」になるといった方がいました。自分の命を人が喜ぶために使う。まさに「お役に立つ人になる」ことが人生の喜びとなるのでしょう。悟りの世界ですね

2021年1月1日金曜日

NO439 「正しさ」

詩人の吉野弘さんの「祝婚歌」をご存じでしょうか。夫婦円満の秘訣が詰まった詩なのですが、生きる指針のようにも思えて、私がとても大切にしている詩です。なかでも、一番好きな節があります。

「正しいことを言うときは少しひかえめにするほうがいい。正しいことを言うときは相手を傷つけやすいものだと気付いているほうがいい」

人間関係のもつれにおいて、正しさの追求は、解決を生みません。なぜなら、人の心において、正しさは人の数だけ存在し、真実も、その正しさの定規によって、人それぞれ違って見えるからです

~ 弁護士 湯川久子さんより ~

所長視点)

正しいことをいって問題が解決することはあまりありません。正しいことを言っても人はほぼ変わりません。しかし、変わりたくない人はいない。人から変えられたくないのです。心が納得して初めて変わろうとするそうです。それが人間関係の難しさであり、幸せになる秘訣でもあります 

NO438 「パラダイム・シフト」

世界は一変させられてしまった、と言っていいと思います。新型コロナウィルスの影響は、そのくらい大きなものでした。それこそ日本の終戦後まもなく、まだ焼け野原があちこちに残っているような時期に匹敵するのではないか、とさえ私は思っています。コロナが変えたのは、感染対策を意識した生活様式だったり、リモートワーク導入をはじめとした働き方の変化だったりですが、実はそれにとどまりません。コロナは、人の意識を大きく変えたのです。わかりやすくいえば、人を大きく二極化させていきました。
これぞチャンスと新しいことに踏み出していった人。そして、元の世界に戻ってくれるのを、じっと待ち続けている人。強制的にいろいろなものがリセットされていく中、多くの気づきを得た人も多かった。なるほど、幸せはここにあったのか、と気づいた人もいる。はっきり理解しておかなければならないことは、もう元の世界には戻れない、ということです。待ち続けても、戻らない。戻ったとしても、そこには元の社会はありません。すでに、パラダイムはシフトしたのです。
もう過去は戻ってこない。すでに社会は、次のステージに進んだのです。既存の仕組みを立て直そうとしている場合ではありません。完全にシフトしないといけないのです。
では、新しい時代に向けて、どうすればいいのか。1つ確実に言えることは、アフターコロナ時代には、まだ正解がない、ということです。こうすれば確実、というものがない。こういうときには何をしなければいけないのかというと、どんどん動いていくことです。何かアクションを起こす。手数を増やしてみる。最も危険なのは、じっとしていること。待っていることです。じっとしていても、何も起きないから。何も得られないし、何も成長できないから。思うようになど、簡単にいくはずがないのです。
せっかくなら壮大な実験をして、自分だけの正解を見つけてみるべきだと思うのです。コロナは、そのチャンスを与えてくれたと私は思っています。そして、大事なことは、これからの1年、2年が、この先の人生に大きな影響を与えることは間違いない、ということです。

~ 本田直之さんより ~

所長視点)
正しいから進むのではなく、自分の進む道が正しい。迷ったらGO です。自分を変える絶好のタイミングがやってきました。何かやってみる。そこから何かを得て次のステップに進む。そうやって自分なりの正解を模索していくときですね。