2020年11月22日日曜日

NO403 「預かりもの」

この世に生を受けてから人生をおえるまでの期間を「寿命」といいますが、禅では「定命(じょうみょう)」です。命の長さは生まれ落ちたその瞬間から“定められている”と考えるため、そう表現するのです。では、命は誰のものでしょうか。
「自分の命なのだから、誰のものでもない。自分のものに決まっているじゃないか」
多くの人がそう思っているのではありませんか?しかし違うのです。禅は命をこう考えます。
「仏様(ご先祖様)からの預かりもの」
いま、そこに自分がいただいている命は、ご両親をはじめ、たくさんのご先祖様が永々と命をつないできてくれた結果としてあるのです。そのうちのたった一人でも欠けていたら、いまの命はありません。そのことを思ったら、“命は自分のもの”だなんていえますか?ご先祖様たちのお陰様によっていただいている。ご先祖様からお預かりしている、という受け取り方ができるのではないでしょうか。お預かりしている命だとしたら、自分勝手に扱うことはできませんね。他人様からなにかをお預かりしたら、お返しするまで大切に扱うはずです。命も同じ。定命が尽きてお返しする瞬間まで、大切にしていくのが、当たり前の命との向き合い方でしょう。

~ 曹洞宗徳雄山建功寺住職 枡野俊明さんより ~

所長視点)
大切にすることは、価値を発揮させることにつながります。人生を価値あるものにする。それは自分のためではなく、仏様、ご先祖様、両親にお返しするため。それが人生の本質なのかもしれません

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