2020年11月12日木曜日

NO393 「デタラメに決める」

私はいつも財布にサイコロを入れて持ち歩いています。何かに迷ったら、奇数か偶数かで決めます。天丼かうな丼かどちらにしようか…。そもそも迷うというのは、どちらでもいいから迷うのです。うなぎが嫌いなら、迷ったりしません。そいういうときには、デタラメに決めるにかぎります。デタラメというと、誤解を招きそうですが、これは「出たら目」。出た目に従う。出したのはほとけ様なのだから、ほとけ様に決めてもらう、ということです。 
大学の先生をやっていたとき、学生の進路相談のときもそうします。
「この大学やめようがのころうか迷ってます…」
私はサイコロをとりだして、学生に渡します。
「振ってごらん。奇数が出たらやめる、偶数が出たら残る」すると学生はあわてます。
「先生、ふざけないでください。僕はまじめに相談に来たんですよ」
「私もまじめに答えているんだよ。人生どっちがよかったかなんて、絶対にわからない」
と言い返す。人間には、未来を決める権利などありません。よかったという判断もつかない。どちらがいいかなんてわかりません。私たちには未来はわからないのです。
キリスト教でも未来について知っているのは神だけです。
「明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけでじゅうぶんである」
自分の未来を決める権利は、神様にしかありません。私たちは権利放棄でいいのです。
これが宗教の教えです。学生にもこの話をして、どちらがいいかなどわからない、ほとけ様、あるいは神様、それとも宇宙意志にお任せして、デタラメに決めたらいいと言うのです。
~ 宗教評論家 ひろさちやさんより ~

所長視点)
過去を後悔してもやり直せないのに、後悔することに時間を使って「今」を生きれない。未来を不安に思っている人は悩みに時間を使って「今」を楽しめない。心から幸せを感じている人は「今」を生きています。今を生きるためにサイコロに決断を委ねるのもよいかもしれません



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