不足側から見て「ない」と言わずに、充足側から見て「ある」と言うんじゃよ。例えば宝くじを求めて「3億円に当たりたい」と常に考えてる人は、不足側から常に「ない」と見ている。「金がない、金がない、金がない」と感じて生きてるのじゃからな。不足を信じたこの人の現実には、他にたくさんの不足が見え始めるだろう。
でも、その人が、自分の貯金通帳見て「100万円も貯金があるのか」と思えば充足側から見ていることになる。こうして視点を変えて「ある、ある、ある」と充足を何度も感じると、現実にも「充足」がたくさん見れてくるんだろう。いいか?これはクセなんじゃ。お前の身についた厄介なクセなんじゃよ。いつも「ない」という矯正メガネで現実を見ておる。そんなのもったいない。「ある」と見れば十分「ある」のに。
~ 神様とのおしゃべり より~
所長視点)
ある、あるを探してみると…
・コロナウィルス騒ぎであっても、健康でいる身体がある
・アパートだけど雨風がしのげる家がある
・ケンカもするけど家族がいる
・家に帰れば食事を作ってくれている妻がいる
・コンセントにつなげば流れる電気がある
・仲間がいる
あるあるある…
探せば身の周りに「幸せ」はたくさん見つかる。誰であれ。どんな環境であれ。絶対に見つかる。身の周りから見つける。充足と不足のラインを決めているのはいつでも「自分」です
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