瞑想とは「行う」ものではない
瞑想とは「起こる」ものである
すなわち、本当の瞑想の技法とは、意図的に心を瞑想の状態に「する」のではなく、ある瞬間に心がふと瞑想の状態に「なる」ことを待つ技法なのである。
逆に言えば、瞑想も座禅も、それがうまくいかない理由は、そこに「人為的な意図」があるからである。「無念無想の状態になろう」「瞑想の状態になろう」という人為的な意図そのものが、まさに「雑念」なってしまい「無念無想」にも「瞑想の状態」にもなれないという逆説に陥ってしまうのである
~田坂広志氏~
所長視点)
心と向き合うのに、「人為的な意図」はとても厄介な代物かもしれません。自分ではこうしよう、こうなろうとすればするほど、心はその逆の状態になってしまう。「人為的な意図」でもって、心をコントロールしようとしても結果はでることはあります。しかし、それは心が疲れたり擦り切れたりしてしまいます。長く続かない。
感謝できない環境を「感謝いなきゃ。感謝しなきゃ」と人為的な意図でもって心をコントロールしようとしていると疲れます。感謝できない環境のときは「感謝できてないな…」と深く受け止めていく。自分の心に寄り添うことにもつながります
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