「先生、ぼく、きょう生まれたんだよ」と、ミツオくんが、嬉しそうに話しかけてきました。そこで私が「そう。生まれたとき小さかったミツオくんが、おとうさんやおかあさんのおかげで、こんなに大きくなったんだね。どれくらい重くなったのか先生がはかってあげよう」と言いながら、ミツオくんを抱きあげました。そして「ひとりずつ、ミツオくんと握手して『おめでとう』を言って、お祝いしてあげようね」と私はミツオくんを抱いて、みんなの前を通りました。子どもたちは、ミツオくんと握手をして『おめでとう』と言いました。ミツオくんも『ありがとう』とお礼をしていて、みんなほんとうに嬉しそうでした。
そのあくる日、ミツオくんのおかあさんから手紙をいただきました。「ミツオは毎日学校から帰ってまいりますと、よほど疲れるのか『ただいま』という声も聞こえないくらい小さい声です。そして、座敷にあがってくるなり、ごろんと横になってしまいます。ところが、きょうは『ただいま』という声も、びっくりするような大きな声です。そして『おかあちゃん、ぼくね、先生に抱いてもろたよ』と座敷中をポンポンとびながら『先生に抱いてもろた、先生に抱いてもろた』と大はしゃぎです。私まで嬉しくなってしまいました。先生ありがとうございました」
この手紙をよんで、何かなにげなく抱き上げたことが、ミツオくんにとっては、こんなにも嬉しいことであったとは思いもよらなかったのです。
次の日、二三人の子どもが走ってくるなり、大きな声で「先生、ぼく、あさってやで。たのむよ。抱いてや」「ぼくもやで」と、言うのです。誕生日の予告申し込みです。その日から、私の学級では、その子どもの誕生日には、その子どもを抱きあげることになったのです。
~児童文化研究家 吉岡たすく氏より~
所長視点)
いまの現状は抱き上げることはできず、マスクで笑顔をみることもできません。会社でもセクハラで訴えられることもあります。しかし本当は、親子で、夫婦で、親しい人同士で、温かなつながりを持つことは真の家庭づくりには必要不可欠です。はやくそのような日が来ることを願ってやみません
済
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