2020年12月30日水曜日

NO437 「種をまく人」

「たとえ明日、地球が滅びようとも、今日私はリンゴの木を植える」という マルティン・ルターの言葉がある。過去にこだわり、未来を一顧だにしない人は、生きる屍と同じだ。
幕末の若者に最も思想的影響を与えたといわれる、激情の教育者吉田松陰は、獄舎の中で処刑の直前まで、自分の門下生のために『留魂録』という遺書を書き上げた。その教育が種となり、多くの若者が明治維新を成し遂げた。
「明日死ぬかのように今日を生きろ。永遠に生きるがごとくに今日学べ」といったのはマハトマ・ガンジーです。たとえ明日、地球が滅びようとも、未来をみつめ、種をまき続ける人でありたい。

~ 伊那食品工業会長 塚越寛さんより ~

所長視点)
どんな環境でも、未来に希望を持ち、志をもって、今を生きる。そういう人が未来をつくってきたのだと思います。そういう先人達が、ご先祖様がいたからこそ、今があります。いまに一喜一憂することなく、私も種をまく人でありたいものです

NO436 「自分を褒める」

先日、友人のYと話です。輸出の会社を経営していて、国内外に外国人のスタッフを雇っていたり、お客さんは全員外国人なんですね。Yによると、外国人はみんな単純とのこと。例えば、取引に手違いがあった時にはすごい怒るらしいんです。それはもう、取引がなくなるだろうと思うぐらいな怒りなんですね。でも、すぐにきちんと対応したらめちゃめちゃ褒めるらしいんです。その褒め方も、日本人からすると、大げさなぐらい感謝してくれるんですね。なので、単純に見えるというんですね。外国人は自己肯定感が高いと言われています。子供の頃に褒められているから自分を褒めることに慣れているし中には意味もなく自信満々な感じの人も多いんですね。日本人からすると、ちょっと不思議に思いませんか?どうしてそんなに自分を褒められるのか、そのあたりをYに聞いてみると、
「間違いなくこう言うよ。」
「自分を褒めるのに理由なんかいるのかい?日本人は変わっているな。」
「どうであろうが自分を褒めることだ。それだけだよ。」
”理由なんていらない”とのこと。そんな単純さは見習ったほうがいいと思ったんですね。

~ 鈴木義一さんより ~

所長視点)
日本人の民族性として「シャイな民族性」「神経が繊細だから」「謙虚」とか言われます。が、自分を褒めるときは理由はいらない単純さ…は必要かもしれません

2020年12月28日月曜日

NO435 「美しい言葉」

美しさは女の生命だともいえる。 修道院に入った身に着飾ることも、化粧することも縁遠くなったが、美しい言葉を使うことはできる。 それは、あそばせ、ございますを頻発することではなくて、できるだけ美しいひびきを持った言葉を使うと同時に、適切な言葉を正確に使うことも意味している。 借りものでない自分の言葉、そして、相手を傷つけないやさしい配慮を含んだ言葉でもある。 
  自分の感情を素直にあらわし、意見を他人にも理解できるように伝えるとなると、これはもう言葉の意識ではなく、話す人の品性にかかわってくる。 感情を適度にコントロールできる自制力、客観的にものごとを見る判断力、そして個性のある生活が必要となってくるだろう。 

~ 渡辺和子さんより ~

所長視点)
昔から「言霊」といわれるように、言葉には「霊」が宿っています。科学的にいえば、ある波動をもっています。 自分の心に宿る「愛の波動」が言葉に乗って相手の心に波動を及ぼします。言葉の表現も重要だし、常に自分の心を整えておくことが、人に対する最高の思いやりなのかもしれません

2020年12月27日日曜日

NO434 「自分を創る」

見た目にいくら華やかで艶やかでも、造花には真に人を引きつける魅力はない。人もまたいくら実力があっても、傲慢で鼻持ちならない人に人間的魅力はない。まず自分を創ること。自分という人間を立派に仕上げること。そして、徳の香る人になること…これこそ人生で一番大事な法則、これを遵守すれば人生は大丈夫という原則、すなわち人生の大則であろう。では、どうすれば自分を創ることができるのか。
一つは、人生に対して覚悟を決めること。覚悟を決めない限り、真の人生は始まらない。沖縄の漁師が言ったという。「遠洋の漁場に出ようと決めると、風が起き、帆がざわめき、波が立ってくる。だが、まだ覚悟が決まらない船には風が起きんのよ」人生もまた然りである。
二つは、傲慢になるな、謙虚であれ、と教える。不遇の時には謙虚だった人が、うまくいきだすと傲慢になる。傲慢になった時、天はその人の足をすくう。その事例は数限りない。
三つは、誠実であれ、ということ。誠実は古来聖賢がもっとも大事にした人間最高の徳目である。

~ 致知出版社社長 藤尾秀昭さんより ~

所長視点)
人間的魅力を備えるために、覚悟を決める。謙虚になる。誠実である…。それは「目の前のことを受け入れ、感謝し、一生懸命楽しんでやること」あたり前のことかもしれませんが、あたり前のことを、あたり前にできる人のことを一流というそうです。




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2020年12月26日土曜日

NO433 「長続きする幸運」

運の強い人は、じつは、やって当たり前のことをきちんとやっている人なのです。どういう仕事、どういう役割であっても一生懸命にやっている人は、いろいろなところで運をつかむチャンスに出合います。あなたの周りを見てください。「彼には安定感があるな」とか「彼女はいつも朗らかだな」と思わせる人は、自分本来の仕事はもちろん、どんな小さな仕事や目立たない作業、地味な雑用でもきちんとこなしているはずです。しかも一生懸命、楽しそうにやっているはずです。そういう人は、大きく落ち込んだり崩れたりすることはありません。本来の仕事が不調でも、ミスが続いても、全体の仕事を信頼されていれば周囲もちゃんとフォローしてくれます。じつはここが大切なところで、わたしは「みんなが喜んでくれたり応援してくれる幸運」は長く続いても「孤立した幸運」はすぐに終わってしまうと思っています。たとえば美味しいものが手に入っても、自分ひとりで楽しんでしまおうとする人と、仲間に声をかけて一緒に食べようとする人では、その後に続く幸運の長さがまったく違います。自分ひとりで楽しめば、幸運を独り占めできるかもしれませんが、食べてしまえばおしまいです。誰も美味しいものをプレゼントしてくれないのです。でもみんなで楽しむ人は、幸運の量は減っても誰かがまた声をかけてくれます。「この間はとっても楽しかった。今日はわたしが珍しいものをご馳走しますよ」と声をかけてもらえば、思いがけない幸運を味わうことができるのです。この繰り返しで、長く幸運に出合い続ける人生のほうが、はるかに幸せなはずです。

~ 精神科医 和田秀樹氏さんより ~

所長視点)
高齢者専門の精神科医の和田さんは「歳をとってからみじめな思いをするのはおカネがないことではなく、若い人に慕われないことだと思うようになりました。いくら経済的に恵まれていても、家族や子どもたちはもちろん、誰からも慕われずに生きていくというのは不幸な人生だと気がついたのです」と語っています。
おカネを貯め込むことより、自分の好きなことにおカネを使って、いろいろな人と楽しくつき合い、頼ったり頼られたりしながら生きたほうがずっといいし、そこから運が開かれていくようです


2020年12月25日金曜日

NO432 「捨て石」

トヨタには「診断士ではなく治療士なれ」という言葉があります。生産現場を診断して問題を指摘しても、問題を改善しなければ意味がないという意味です。物事は、批評するとか理想を語るだけではダメで、それを成し遂げて、初めて世の中に貢献したと言えるのです。明治初めの頃は、官職に比べて商工業を一段下に見る傾向が強くあっただけに、理想を語る人はいても、「やってみよう」という人はとても少ないものでした。そういう中で将来を嘱望される官職についていた渋沢栄一は職をやめる決意をします
「学問があるとか、気力があるとか、知恵があるとか、そのほか一芸一能ある者は、みな官職に就くという傾向になって、民間に人物が少しもいない。だから、上下のつり合いがとれず、国家の実力を発展させることができない。このため自分は明日、辞表を提出する決心である」
常識的には考えられないことでしたが、渋沢にはみんながやらないなら、自分がやってみせるという強い決意がありました。大切なのは、理想を上手に語ることではなく、現実にやってみせることです。実行こそが世の中を動かし、変えていくのです

~ 経済ジャーナリスト 桑原晃弥さんより ~

所長視点)
理想を語るが自分ではやってみようとはしない・・・そんな評論家、政治家、ジャーナリストなどが多くなってきたイメージがあります。自らの手を汚し、人から評価されなくても捨て石になって動く人がかっこいいですね。そんな渋沢さんは1万円札になるようです

2020年12月24日木曜日

NO431 「悲しい現実」

世の中の「悲劇」はすべて「否定する心」からはじまります。「そうじゃない、そうじゃない」と思う心、“非ず、非ず”と否定する“心”、これが“悲しい”という文字になっています。悲劇は、すべて否定する心からはじまるのです。
「好況よし、不況さらによし」という松下幸之助翁の言葉がある。また、「鳴かぬなら、それもまたよし、ホトトギス」とも言った。どんなに絶望的な状況にあっても、「それもまたよし」と肯定したとき、そこからパワーが生まれる。肯定からしか創造力も、エネルギーも生まれない。反対に、否定からはマイナスのエネルギーしか生まれない。ダメ、できない、無理、難しい、嫌い…。そして、「でも」「しかし」という否定語から入る。どんなときも、すべてを受け入れる人でありたい。

~ 西原宏夫さんより ~

所長視点)
すべての物事に特定の意味はついてないそうです。すべてが中立、ニュートラルです。そこに「否定する心」で、物事をみると「悲しい」「辛い」「難しい」という思いが湧いてきます。悲しい現実があるのではなく、現実を悲しいという意味をつけて見ている人がいるだけ。幸せになれるかどうかはすべて自分次第ということになります…

2020年12月22日火曜日

NO430 「種まき」

我々があの世にいくとき、あの世の番人に聞かれることがあるという。それは、生まれてからあの世に行くまでに、「どれだけ自分を高めることができたか」、「どれだけ人に喜んでもらったか」、「どれだけ人の役に立ったか」という問い。この世で、愚痴や不平不満、泣き言、悪口や文句のタネを播き続けるなら、また次に世でそれを刈り取らなければならない。だからこそ、我々が生きているうちにやらなければならないことは、「喜び」や、「おかげ様」や、「感謝」のタネを播き続けること。つかの間の一生、せめて「立つ鳥跡を濁さず」のごとく、「帰る時には来たときよりも美しく」を心がけたい。

~ 西原宏夫さんより ~

所長視点)
いまは時代は春の時代です(季節は冬ですが…)。種まきの時期。特別なことをしなくても、昨日よりも今日、今日よりも明日、感謝を増やしていくことがやがて秋になって、幸せを収穫していくことになります。足りないことを見つけるより、足りていくことに感謝してきましょう


2020年12月21日月曜日

NO429 「ありがとうのゲーム」

「ありがとう」のゲームを始めよう。人生で起こるすべてのことに「ありがとう」と言う。
とにかく「すべて」にだ。例外はなし。言い訳もなしだ。例をあげよう。
■朝、目覚まし時計が鳴ったら…
「今日もこうやって地球上に存在できることに感謝します」(今日を生きたくても生きられなかった人がいる)
■朝起きてトイレにいくときは…
「A地点からB地点に移動できることに感謝します」(タクシーがつかまらなくてイライラの絶頂になることもある)
■朝食のシリアルをかき混ぜているときは…
「十分な栄養が摂れることに感謝します」(あなたがシリアルを食べ終わるまでの時間で、全世界で75人が栄養失調のために命を落としている)
この本のアメリカでの出版社であるヘイ・ハウスの創設者、ルイーズ・ヘイは、常軌を逸した感謝の実践者だ。朝目を覚ますと、まずシーツと枕に感謝する。そして太陽の光に感謝する。ランチのときは、お皿の上にあるアスパラガスとサツマイモに感謝する。

~ パム・グラウト氏より ~

所長視点)
私達はあらゆることにおいて恵まれてます。この時代に生まれたこと。この日本に生れたこと。それだけで、全人類の中では最高に幸せな部類に入っています。こんなに恵まれているのに文句や愚痴や、泣き言が出てくるとしたら、すべてのことに感謝するゲームを始めるとよいかも。


2020年12月20日日曜日

NO428 「運勢の引き寄せ方」

弁護士をしていますと、たくさんの争い事のご相談を受けます。その大元には恨みの気持ちがあることも多いようです。恨みというのは厄介で、近しい人ほど恨んでしまう。ことに、自分の親兄弟のことを、なぜか恨んでいらっしゃる方は珍しくない。
例えば、会社の社長さんとこんな話になりました。
「実は、私は早くに母親を亡くしましてね。母親は35歳のまだ若いときに、病気で急に亡くなったんです。私は12歳でした。小さい子供でしたからね、本当につらかった。それからあまりにつらい時期が続きましてね、私は母を恨むようになったんです。『こんなにつらい目に遭うのは、母親が親らしいことを何もしてくれなかったからだ』そう思って生きていたんです」
「ところが、母の27回忌で、叔母がこんなことを言ったんです。『あんたのお母さんはな、自分はもう何も食べれないほど体が弱って、頭かてもうろうとしてたはずやのに。もう自分の横にいるのが誰かもわからん状態やったろうに。お医者さんやろうが、私やろうが、もう自分の近くにいる皆に、あんたのことを頼み続けてた。「うちの子を、うちの子を…。」ずっと、何度も何度も、そう言いながら死んだんやで』
それを聞いて、突然わかったんです。母に死なれて小さな子供だった私は、確かにつらかった。でも、そんな小さな子供を残して死ななければならなかった母は、私の何十倍も何百倍もつらかったに違いない。やっと、私は自分の親不孝に気づいて、心から詫びました」
叔母から聞いた話をきっかけにして、母への恨みが消えた後、その人は会社経営を成功させました。そして、今では幸せな人生を送っているわけです。母親の恩に気づいたことが、運を変えたのだと私には思えました。

~ 弁護士 西中 務さんより ~

所長視点)
「恨み」「妬み」「憎しみ」「怒り」「復讐」は神様はあまり好きではないようです。そんな感情を抱えていたら運勢は決して寄ってこない。運の神様が好きなのは、「恩」「慈しみ」「ゆるし」「よろこび」「機嫌がいい」「明るい」「笑顔」「感謝」。神様が喜ぶ生き方が幸せになる生き方のようです


2020年12月19日土曜日

NO427 「あたり前のこと」

【しつけの三原則】
1.  朝のあいさつをする子に。 それには先ず親の方からさそい水を出す。
2. 「ハイ」とはっきり返事のできる子に。 それには母親が、主人に呼ばれたら必ず「ハイ」と返事をすること。
3. 席を立ったら必ずイスを入れ、 ハキモノを脱いだら必ずそろえる子に。 

挨拶の基本は、人より先に挨拶をすることを心がけること。そして、呼ばれたら必ず「はい」と返事をし、席を立ったら椅子を入れ、脱いだ靴は揃えること。 「はい」という返事は自分の「我」を捨てる一番よい方法だ。 我ままになったり、偉そうになる気持ちをおさえるからだ。 躾(しつけ)とは習慣化のことだ。
人前で、どんなに偉そうなことを言ったとしても、「あいさつ」「返事」「後始末きちんと」という基本動作が習慣化できていない人には信用がない。小学生で教えるような「躾」ができていない大人は多い。長く続く良き習慣は、その人にとっての「信用」であり、目には見えない財産だ。小さな努力の積み重ねこそが、習慣化の第一歩。
それこそが、「凡を極めて非凡に至る」ということ。誰にでもできる平凡なことを、誰にもできないくらい徹底して続けてゆくと、「非凡」という人より一頭地抜きんでた人となることができる。「凡事徹底」の人でありたい。

~ 哲学者 森信三さんより ~

所長視点)
人生で大切なことは小学生までに習っているとのこと。躾もそうですし、助けてもらったら「ありがとう」。間違ったことをしてしまったら「ごめんなさい」。あたり前のことをあたり前にできる人が一流と呼ばれるのかもしれません

2020年12月18日金曜日

NO426 「整った環境」

カリフォルニアの研究者たちが、アメーバの一群を二つの異なるタンクに半分ずつ入れた。第一のタンクでは、水の温度、水位、その他諸々、注意深くモニターし、成長に必要な完璧な条件になるように調えた。一方、第二のタンクに入れられたアメーバは常に変化にさらされ、暑さ寒さの極限に置かれた。さて、どちらのタンクのアメーバが長生きしたか?驚いたことに、早死にしたのは、第一のタンクの、快適な環境に置かれたアメーバだった。研究者たちは、次のように結論づけた。

あまりに居心地のよい環境にいると、よどみや腐敗が生じる。
一方、努力を強いられたり、周囲に馴染むことを余儀なくされることは、成長を促進する。

あなたは、すべての条件が調ったらうまくいく、と思っているのかもしれない。しかし、むしろすべての条件が調っていないいまの状況こそ喜ぶべきだ。ただし、耐えなくてもいい逆境にわざわざ自らおとしめることはないが図らずも、もし逆境にさらされたら、そのときは喜んで迎えよう。そして、対処しよう。思い通りでない環境に感謝する日がきっと来る。

~ スティービー・クレオ・ダービック氏より ~

所長視点)
誰もが条件の整った環境にいる方がいいと思うけれども、実は思い通りにならないことに中にも宝物があります。条件が整ってないからこそ、努力する。考える。嫌なことや困難を、乗り越えることにより、自分を一段高めることができ成長できます。成長こそが人生の喜びであり、幸せを感じる瞬間でもあります


2020年12月17日木曜日

NO425 「おせっかいとおもてなし」

明らかに困っている人がいたら、迷わずに声をかけることができますが、その判断がつかず迷ってしまうこともあります。手を貸そうとして声をかけても「余計なお世話」と思われたら…、と考えると、声をかけるのをためらってしまうかもしれません。「おせっかい」と「おもてなし」の間には、相手がそれを望んでいるかどうかという明確な境界線があるのです。相手が望むか望まないかは相手の心が決めるもの。でもその心は見えない。それが読み取れないのであれば聞いてみるほかはないのです。
「よろしければお手伝いしましょうか?」
「大丈夫ですか?お手伝いは必要ありませんか?」
とひと声かけて相手の反応を見ます。もし相手が、「どうもありがとう。お願いします」と言われたら、お手伝いしますし、「いえ、大丈夫です。結構ですから」と言われたら、「必要があればいつでもお声がけくださいね」と、一歩下がればよいだけのことです

~ 元リッツ・カールトン日本支社長 高野 登さんより ~

所長視点)
相手の心は見えないのだから、「要望」や「望み」は聞いて確かめるしかないのにも関わらず、聞かない人は多いように思います。そんな人には「よろしければお手伝いしましょうか?」これは言いやすいですね。あとは少しの勇気…


2020年12月16日水曜日

NO424 「フォー・アザーズ」

今、世界で最もいいといわれている国はどこかというと、日本はナンバー1かナンバー2なんですよ。それはなぜか。日本は第二次世界大戦という大戦争に敗れて焼け野原になりました。原爆を二度も落とされて、日本はもう立ち上がれないと誰もが思っていたんです。ところが、そこから日本は見事に復興しました。そして、それ以来一度も戦争に関わっていません。科学技術に優れた経済大国になりました。しかし、それだけではないんです。日本にはお互いが助け合うフォー・アザーズの歴史的な伝統があるんですね。先に行ったような利他的な遺伝子が日本人の遺伝子の中にはある。これが大震災のときに見事に発揮されたと思います。
それから大自然の働きを素直に認める態度があります。確か震災で被害に遭った高校生の話だったと思いますが、「私たちは天を恨みません」と言っていました。これはまさに日本人が大自然の働き、サムシング・グレートの働きを感じているということでしょう。そういう素晴らしい性分が発揮されたと思います。
科学技術と経済力に加えて、大自然を尊敬し、 フォー・アザーズに生きる日本人に、ダライ・ラマ法王は非常に期待しているんです。おそらく、彼の言うように日本が世界を救うのでしょう。しかし問題は、私どもがそれを自覚していないということです。
21世紀には日本の時代が来るんです。日本の時代とはどういうことかというと、「こういう生き方をすれば幸せですよ」ということを日本が世界に示すことだと思います。

~ 筑波大学名誉教授 村上和雄さんより ~

所長視点)
「フォー・アザーズ」とは、キリストの「どんなときでも他の人たちのことを心にとめなさい」という教えになります。これは、神道の祝詞の中にもある言葉で利他の心のことです。あと、日本人に必要なのは自分の素晴らしさに気づくだけです。日本の国を出ると気づくことが多いように思います



2020年12月15日火曜日

NO423 「南無阿弥陀仏」

生涯を愛の教育にかけられた先生から、こんなお話を聞きました。
夜遅くに電話が入り、こんな夜中に誰が電話をくれたかと、受話器をとってみると、男の方が切羽詰まった声で、「世の中の人がみんな私を見捨てた。裏切った。生きてゆく勇気がなくなったから、今から首をつって死のうと思う。けれど、一つだけ気になることがある。南無阿弥陀仏と唱えて死んだら救ってもらえるか」というのです。
先生はおっしゃいました。「待ってください。あなたの気まぐれな南無阿弥陀仏ぐらいで救われるもんですか。そんなことより、あなたはまわり中が見捨てた、裏切ったというけれど、あなた自身が自分を裏切り、見捨てて死のうとしているじゃないか。その間も、あなたを見捨てずに、呼びかけ通しに呼びかけ、働き通しに働きかけていてくださる、その方のお声が聞こえないか」と。「そんな声、どこにも聞こえやしない」という電話の主に対して、先生はさらにおっしゃいました。
「眠りこけている間も、あなたの心臓が働いているでしょう。死のうとしているときも、あなたの呼吸が出入りしているでしょう。死なせてなるものか、頑張って生きてくれよとあなたの心臓を働かせ、あなたの呼吸を出入りさせてくれている。その働きを仏さまというのです。そのほかのどこに仏があると思うのですか」
「勘違いしていたようだな」とつぶやくようにいって、電話の主は電話を切りました。眠りこけている間も、自殺しようとしているときも、腹を立てているときも、笑いころげているときも、いついかなるときも私を生かしつづけてくださっている。その働きを仏と呼びます。

~ 愛知専門尼僧堂堂長、青山俊董さんより ~

所長視点)
私達は1日のうちで70回もの判断をしているそうです。そのうち60回以上は無意識のうちに判断しているとのこと。心臓の鼓動やまばたきをすることなども、無意識の自分が行っている分野だそうです。無意識と意識の割合は97:3です。まだまだわからないことが多いです。人生を「不幸だ」と決めるにはまだ早い?

2020年12月14日月曜日

NO422 「なんとなく」

私が恵まれていたのは、多くの先人から「目に見えない世界」の中にまことの喜びを見出すことを教えていただいたことです。「天が喜ぶ生き方」は「目に見えない世界」の中に見出すことができます。私たちは、普段「目に見える世界」を中心に生きています。「目に見える世界」では、何かが「できる」「できない」、「うまい」「下手」などが、はっきりわかります。ですから、目に見えたことだけを見て、ついつい「正しい」「正しくない」とか、「いい」「悪い」と言ってしまいます。
しかし、人の心の中は見えません。見えないからよくわかりません。自分の心のことですらわからないことがありますね。人の心のように「見えない世界」はわからないし、感じにくいものです。しかし、「見えない世界」を大切にして生きていくことが、天が喜ぶ人生にはとても大事なことなのです。
多くの人にとって「見えない世界」は「わからない世界」です。でも、わからないからこそ、自分で感じ取ろうとすることです。まずは、なんとなく、なんとなく感じることから始めてみる。これが出発点です。
この目に見えない「なんとなく」の世界を昔の日本人は、大切に生きてきました。そして、この「なんとなく」という漠然とした言葉でしか伝えられない世界を、「なんとなく」感じ取ってくださるみなさんがいる。この目に見えない「なんとなく」を深めていくことで見えてくる新しい世界があるのです。

~ 元伊勢道場長 中山靖雄さんより ~

所長視点)
 先祖のことを思うと、親から子へ子から孫へ、ずっと続いてきた命の結果、私は生まれてきたんだなぁ、ありがたいなぁ、となんとなく感じるこれが「目に見えない世界」の感覚です。なんとなく感じる、なんとなくありがたいなぁと思う、この感覚です。それを大切に思うことが人にとって一番大切なことなのかもしれません


2020年12月13日日曜日

NO421 「絶対はおいしいものはない」

世の中に、絶対においしいものなんか、あるんだろうか?たぶん、ないだろうね。どんなにおいしいものでも、お腹いっぱいのときに食べたら、大しておいしいとは思わないだろうし、普段はさほどおいしいと思っていなくても、お腹が空いてどうしようもないときに食べたら、こんなにおいしいものがあったのかと感激するんじゃないかな。だから、絶対においしいものなんか、世の中にはない。ただし、ものをおいしく食べることはできる。
きっと一緒なんだろうね、人生ってやつも。絶対におもしろいことなんかない。同じことでも、状況によって、おもしろかったり、おもしろくなかったりする。だけど、どんな状況にあっても、ものごとをおもしろくすることはできるんじゃないかな。ボクはこれまで、どうしたらおもしろくなるか、そればっかり考えて生きてきた。
そんなボクだからこそいえることがあるとすれば、おもしろがった人のほうが、人生を面白く生きられるということだ。おもしろく生きることに、年齢は関係ない。いくつになろうが、おもしろく生きようと思えば、おもしろく生きられる。かえって長く生きてきた人、いろいろなことを経験してきた人のほうが、おもしろがるコツを知っているんじゃないかな。

~ 萩本欽一さんより ~

所長視点)
神社では神様に祈ることとともに、お祭りをする。神様は人間と一緒に喜んで騒いで歌って食べるのが好きなのかもしれません。そうであるなら、面白く生きている人とは気があうはず。そのほうが運がよくなるし、人もお金も寄ってくる。神様とともに喜べる人になりたいものです

2020年12月12日土曜日

NO420 「返報性の法則」

世の中をナメている人間は、いつか必ず大失敗します。ナメてかかると、いずれ相手に復讐されるというのが、この世の法則だからです。これを「返報性の法則」といいます。他人を疎んじていると、必ず他人に疎んじられ、お金を軽んじていると、必ずお金に軽んじられ、健康を無視していると、必ず健康にも無視される。逆に他人を大切にする人は、人間関係に恵まれ、お金を大切にする人は、お金に恵まれ、健康を大切にする人は、健康に恵まれるようになる。雑巾だって大切に使えば、長持ちしてくれます。この返報性の法則をしっかり理解し、大切なものを大切にしてさえいれば、どんなに不幸になりたいと思っても、そうそう簡単に不幸にしてくれません

~ イメージトレーニング指導者 西田文郎さんより ~

所長視点)
何事に対しての一生懸命、懇切丁寧に生きる人は必ず報われる時代が来ました。結果がでようとでまいと、人から評価されようとされまいと、自分の生き方がそのまま現れる時代です。「鏡(かがみ)」をみて自分の姿が映ります。その姿に「我(が)」が無ければ「神(かみ)」になります…




2020年12月11日金曜日

NO419 「花をもたせる」

相手に花を持たせるとは、その人を立てて功を譲ったり、 人に名誉や手柄を譲ったり、相手に恥をかかせなかったりすることだ。何か議論になってしまったようなとき、あえて反論せず、「そうですね」と言って引き下がるようなこと。ムキになってやり合えば、ケンカになってしまい、関係も悪くなる。正しさを競って、相手をやり込めることができたとしても、何の得もない。サッとよけることだ。「自分の方がすごいんだ」とか「私のがもっと知っている」と競うのは、傍から見ていて見苦しい。人間が「小さい」とみられてしまう。そして、人としての器の大きさが問われる。人と話をしていて、自分の方が多くしゃべってしまう、というのも同じ。人の話をじっと黙って聞いている、出しゃばらないし、静かに控えている、ということは人間関係にとって、時に、とても大事なこと。相手に花を持たせる人でありたい。

~ 経営者 西原宏夫さんより ~

所長視点)

人から評価されてもされなくても心がブレないのは軸を持っている人です。軸は価値観であり、生き様でもあります。自信とは自分を信じると書きます。結果をだせるから自信がつくというのもありますが、どんなときでも自分を信じることができればブレない軸をもつことができます。花をもたせることができる人はかっこいいです

2020年12月10日木曜日

NO418 「想定外」

想定外の出来事は、生涯にわたって起こり続けます。
あなたの人生に影響を与える出来事の多くは、実際にはあなたが生まれるよりもずっと前に起きています。たとえば、自分の親や、母国語、人類や出生地などを自分で選ぶことはできません。最初に通った学校、同級生や先生の選択に関して、あなたはいったいどれほどコントロールできたでしょうか?友達は自分で選んだと思うかもしれませんが、実際には、住んでいるところや、学校、仕事、家族のつながりなどでお互いに近くにいれば、たいていの人は友達になるものです。キャリアや職業も同じです。大学での専攻分野や、職業、会社、同僚、上司にも想定外の出来事が影響を与えています。
自分の行動をコントロールすること、人生に影響をもたらす出来事に対して自分がどう思うかをコントロールすることはできますが、結果をコントロールすることはだれにもできません。人生には保障されているものは何ひとつありません。そのなかで、確かなことは、何もしないでいる限り、どこにもたどり着かないということ。あなたの行動次第で望ましい結果が起こる確率を高めることができる唯一のことなのです。

~ 心理学教授 J.D.クランボルツ氏より ~

所長視点)
コントロールできないことをコントロールしようとすると、心が乱れ、結果に対して一喜一憂するようになり、今を真剣に生きられなくなります。不安なとき、心配なとき、後悔しているときがそのときです。出来事や他人はコントロールできなくても、訓練次第では自分自身をコントロールすることができます。なにをコントロールしようとするのかによって人生の充実度合いが変わってくるのかもしれません

2020年12月8日火曜日

NO417 「マサカの時代」

これからはますます、あらゆる予測という予測が外れる時代に入ってきた。AIやITなどの急激な進化や、変革が及ぼす影響が読めないからだ。「マサカ」の時代。その中で、個人にできることは何なのか。一つ言えるのは、人は自分の死生観を持つべきだということだ。いま自分が生きていること、やがて確実に死ぬということに対して、自分なりの答えを用意しておかなければならない。その中で、一つ絶対に確実なことは、「人は生まれたら必ず死ぬ」という現実。これは、どんな金持ちだろうと有名人だろうと、この現実は免れることはできない。つまり、どんなことが起ころうと覚悟を決めるといこと。覚悟を決めるということは、生きている限り、己の人間力を磨き続け、少しでも善き人間となること。この一瞬一瞬を、一所懸命生き切りたい

~ 小説家 五木寛之さんより ~

所長視点)
これからの予定を立て準備することはもちろん大切ですが、それがそのとおりなるとは限りません。コロナ禍でまさかこんな状況になるとは思わなかった方を多いはず。コロナ以外でも予測不能な事柄はたくさんあります。そんななか、思い通りにいかない状況に一喜一憂するのではなく、一瞬一瞬を後悔のないように生きようとする姿勢が重要になってきました。



NO416 「幸せになる秘訣」

オリンポスの神々が集まり、「幸せになる秘訣をどこに隠したら、人間がそれを見つけた時にもっとも感謝するか」を話し合った。「高い山の上がいい」「いや、深い海の底だ」「それよりも地中深く埋めるのがいい」と議論百出。すると、一人の神が「人間の心の奥深いところに隠すのが一番だ」と言い、全員がその意見に賛成した、という話である。
幸せの秘訣は人間の心の奥深くにある。自分の花を咲かせる秘訣は心の中にある、ということである。だが、心の奥深く隠されているが故に、秘訣に気づかぬままに人生を終える人も少なくない。どうすればその秘訣に気づき、自分の花を咲かせることができるのか。
まず、自らの命に目覚めること。自分がここにいるのは両親がいたからであり、その両親にもそれぞれ両親があり、それが連綿と続いて、いま自分はここにいる。どこかで組み合わせが変わっていたら、あるいは途絶えていたら、自分はここにはいない。自分の命は自分のものではない。すべては与えられたものだ。その自覚こそ、自分の花を咲かせる土壌になる。

~ 致知出版 藤尾秀昭さんより ~

所長視点)
自分の心を見ようと思っても見ることができない。自分の顔を直接みれないのと同じです。しかし、鏡をみればそのままの顔をみることができます。心の鏡は「いま目の前にある現実」だそうです。いま目の前で起こっている出来事、相手が放った言葉は自分の心の写し鏡です。鏡は先に笑わない…

2020年12月6日日曜日

NO415 「日常言葉」

夏の暑い日盛りに、私はタクシーに乗りました。すると運転手が、「お客さん、暑いですなあ、やりきれませんなあ」と話しかけてきた。イントネーションを相手よりもっとグレーに、マイナスにして、「ほんと、たまりませんよ」とこう答える。ここに落とし穴があるということを考えてください。うっかり同調すると危ない。
「お客さんの商売は」「〇〇です」「どうです景気は」「だめですな」と、無意識のうちに、言葉がどんどんマイナスのものになっていきやすい。じめじめした梅雨どき、「毎日、雨がかり降って、うっとうしいですね」と言われて、「まったく、洗濯物が乾かなくて…」これではいけない。「でも、アジサイの色がきれいじゃありませんか」「農作物には恵みの雨ですね」なんて、もう一生懸命にプラスのものをほじくりだして言う。ここが大切です。
我々は、普段自分の使っている言葉に支配されております。しかし、言葉は自分で選択できるんです。だから選び方しだいで、言葉を支配することができる。このことは実に大事です。心して、日常使用する言葉を選んでください。「お疲れでしょう」「ええ、もうグッタリ」なんて答えたら、疲れがどっとでてきちゃう。「いや大したことありません」、クタクタでもそう言ったほうがいい。

~ 無能唱元さんより ~

所長視点)
マイナスの言葉を口にするのに努力はいらないが、プラスの言葉を見つけるには努力がいるそうです。世の中は圧倒的に否定型、マイナスのことに満ちている影響でしょう。努力してプラス言葉を使っていると、自然と周りの人もプラスの言葉をいうようになります。言葉の共鳴現象です。マイナス言葉にきづいたら、修行と思って、一生懸命にプラスのものをほじくりだして、明るい話題にもっていく努力してみてください

2020年12月5日土曜日

NO414 「偶然の宝探し」

偶然の出会いには、自分にとって必要なメッセージが必ず隠されています。それが「何か」がわかるまで、「最近、変わったことはあった?」「何かおすすめの本はある?」など、相手といろいろな話をしてみるのです。会話のなかで、「それ、いいね」「おもしろそう」と心に刺さった話があれば、それが、あなたが受け取るべきメッセージです。私の場合、相手の話に出てきた人物に興味が湧き、「ぜひ紹介してください」と頼んだことから、その人物との新しいプロジェクトが始まったこともあります。偶然は、こんなふうにチャンスに変わっていくのです。いつもは見逃しているだけで、偶然という招待状は、誰のところにも届いています。バス停で、映画館やコンサートの会場で、信号待ちの交差点で…。そこに知った顔がいないかどうか、ちょっとあたりを見回してみてください。普段手にしない本や雑誌を、めくってみてください。たまたま開いたページに、あなたが欲しかった情報があるかもしれません。こう考えると、毎日が宝探しのようでワクワクしませんか?

~ セミナー講師 本田 健さんより ~

所長視点)
「偶然は運命からの招待状」だそうです。そこには思いもしなかったことが書かれています。しかも幸せに向かう招待状です。いまの自分では解読不能でも、心を掘り下げていくとみえてくるものがあります。コップの中の泥水と一緒で、心を静かにしているとだんだん透明になってみえてきます。

2020年12月4日金曜日

NO413 「コップの話」

心配、不安、焦り、悲しみ、嫉妬、怒り、湧き上がってきた感情に振り回されたり飲み込まれそうなときは、これからお伝えするコップの話を思い出してください。
透明なコップに水と土を入れ、箸でグルグルとかき混ぜた様子をイメージしてみましょう。かき混ぜた途端にコップの中の透明度は失われ、コップを目の高さまで持ち上げ、どの角度から覗き込んでみても、中に何が入っていたか判別が難しくなります。ここで一度、平らな場所にコップを静かに置いてみましょう。かき混ぜられて渦を巻いていた泥水は、少し待っている間に少しずつ波が静まっていき、落ち着きを取り戻します。そして、時間が経つとともに、重たいものは下へと沈んでいき、コップの中身がはっきりとわかるようになります。このかき混ぜられた泥水こそが、私たちの心の状態です。私たちの日常はいつなんどきも感情とともにあり、手放すにしろ執着するにしろ、湧き上がってくる感情に対処することを繰り返しています。つまり、私たちの心は、かき混ぜられたコップの中の泥水のように混沌としているのです。いつも泥水のままで視界がクリアになる瞬間がなければ、自分の本心がどこにあるのか、何を大切にしたいと考えているのか、湧き上がった感情の何に反応して心が乱されているのか、わからなくて当然です。だから、いったんコップを置き、心を鎮めることが必要なのです。

~ 佛母寺住職 松原正樹さんより ~

所長視点)
このコップを置くという動作が、座禅であり、マインドフルネスです。また自然なかに身をおいてボーッとするなど、自分の心の考えや感情をそのまま受け入れて、受け流していく・・・思いを手放した瞬間、新しく新鮮な感情が湧いてきます。これが心が主体の状態で、人間のパフォーマンスが最大限に発揮されやすい状態だそうです。



2020年12月3日木曜日

NO412 「頼まれる人」

私たちは「喜ばれる存在として生きる」ために生れてきました。「喜ばれる存在として生きる」ことは、自分が達成目標を掲げて、そこに駆け上がったり、人より抜きん出たりすることではありません。

「喜ばれる存在になる」=「頼まれやすい人」であること。

頼まれて、こき使われて、疲れ果てて死ぬ。これが人間の生き方です。心から楽しくて幸せなのは、友人たちからたくさんの頼まれごとをして、「しょうがないなぁ」と言いながら引き受けていくこと。頼まれごとが次から次へ来ている人は、それだけで人生が流れているということです。頼まれたことをやっていて、こき使われて、疲れ果てて死ぬ。それが人生のすべてであり、喜びです。私たちは「喜ばれる」ために生れてきた。「喜ばれる」とは、頼まれごとを引き受けていくことです

~ 小林正観さんより ~

所長視点)
頼まれない人は不機嫌な顔をしているそうです。頼んでも不機嫌なので、まわりもなるべく頼まないようにするので、そのうち頼まれなくなっていきます。また、いざというときに誰も頼る人がいなくなる。これはなかなか寂しいものです。いざというときに必要な人になることが幸せな人なのかもしれません

2020年12月2日水曜日

NO412 「ありがとうの理由」

感謝にも理屈的な感謝と、理屈ぬきの感謝があります。
理屈的な感謝は、感謝する理由がそこにあります。誰々さんが〇〇してくれたからありがとう。〇〇な理由で感謝しましょうです。これは礼儀としてもとても大事なことですが、この感謝は実は自分自身はあまりご機嫌にはなれないことがあります。
まずは自分のためにありがたいと、ただ考えてありがとうと云う事が重要です。そこには相手とか理由などは不要です。相手に関係なく、ただありがたいと考え、ありがとうと言っている方が自分自身の気分がよくなります。
まずは自分の心をご機嫌にするためにありがとうがあるのです。これは自分自身をいつでもどこでも、機嫌をよくできるし、パフォーマンスが高いので、ものごとがうまくいくことが多くなります。理由なくありがたいと考えるのが難しいと思う人がいるかもしれませんが、慣れれば可能です。ありがたいと考えありがとうと言う方が気分がいい。それでOKなのです。

~スポーツドクター 辻 秀一さんより ~

所長視点)
機嫌がいい人がいると周りの人も機嫌がよくなっていきます。自分が機嫌がいいだけで、人のためになっているのです。世の中のためになっているので、ありがとうと言われるようになる。理由なくありがとうといえる人がありがとうと言われる人になります

2020年12月1日火曜日

NO411 「昼の空の星」

私たちはこれまで目に見えるものに重きを置く唯物的な価値観に支配されすぎてきたのではないでしょうか。給料が上がったとか、今年の売り上げは去年より伸びたとか、成績がよくなったなど、数字であらわしたり、数量で測れるものを大事に思い、そこに価値を見いだしてきました。
昼の星は目には見えません。だから、昼の空に星は存在しない。そんなふうに考えてきたのです。でも見えないだけで、昼にも星は輝いているのです。医学の世界でも、目に見える患部だけを治療することが医学の役目だと考えられて、目に見えない患者の心は体の病気とは無関係なものとされてきました。しかし、気の持ちよう、心のありようで病気がよくなったり悪くなったりするのは動かしがたい「科学的事実」となっています。
知識や情報ばかりが増えて頭でっかちになった結果、かしこく、利口にはなったが、死に思いをはせたり、命のつつしみを考えたりする生命本来の深い思考が不足してしまったのです。ですから、唯物的な思考をする人ほど「昼に星は存在しない」という“正しくて浅い思考”しかない傾向が強い。そうして人知の及ばないものにたいする畏敬の念や謙虚な思いを忘れたときから、私たちは目に見えないものを軽視し、目に見えるものを偏重しはじめたのです。節度や調和といった生命思考の視点に立ってみれば、ほんとうは人間のおごりや思い上がりという「愚かさ」の始まりだったのかもしれないのです

~ 筑波大学名誉教授 村上和雄さんより ~

所長視点)
「深く掘った井戸の底からは昼でも星が見える」といいますが、それは本当だそうです。ものごとをそのように深くとらえられる人のほうがその思考も、その命も深いものになっていきます。見えないだけでなにかある、それは尊いものであるととらえて生きる生き方が輝く時代が来ました