2020年9月18日金曜日

NO341 「制約」

 ラジオで初めて番組を持ったときのことです。当時のテレビ全盛の時代において、ラジオとは、語り手にとって「不自由なメディア」であると考えていました。音声と映像を駆使し、語り手の声だけでなく、 表情や眼差し、身振り、手振り、さらには、姿勢や服装まで使って 自由にメッセージを伝えることのできる「テレビ」というメディア。それに比べて、「ラジオ」というメディアは、語り手にとって、音声だけしか伝えることのできない「制約されたメディア」であると思っていました。
しかし、番組を始めて不思議なことに気がつきました。ラジオというメディアは、どこまでも深くメッセージを語ることのできるメディアだったのです。そして、心に抱いている思いが、
そのまま聴き手に伝わっていくメディアだったのです。あたかも、光の無い暗闇において、音を聴きわける力が研ぎ澄まされるように、ラジオという「制約されたメディア」は、その「制約」が我々の語る力、そして、聴く力を高めてくれる。その不思議な逆説に気がついたのです。そして、その逆説は、さらに深い真実を教えてくれていることに気がついたのです。我々の人生における「制約」もまた我々の人間としての「力」を高めてくれる。

~ 田坂広志さんより ~

所長視点)
制約を受けるとやりたいようにできなくなり、不自由な思いがしますが、制約を受けることでより、やることが絞られていき面白みが増したり、限られたことが磨かれていきます。サッカーは「手がつかえない」「オフサイドがある」ことでより高度な駆け引きが展開され、サッカーの醍醐味となります。人生も思うようにならないことから生まれることも多いかもしれません

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