2020年9月17日木曜日

NO340 「ままならない」

エドワード・リーンという人の本の中に、「他人の行動とか、事物を通して起こる“ままならないこと”に腹を立てた瞬間、私たちは謙虚さを失っている」すなわち、他人から受ける不当な扱い、誤解、不親切、意地悪等から全く自由になりたい、なれるはずだと思うことは、すでに人間としての「分際」を忘れた所業であると書かれていたように思います。
不完全な人間の寄り集まりである社会に生き、自分自身不完全であるからには、すべてが完璧に運び、思い通りになると考えるのは大まちがいであり、それは自分を神の位置に置くものでしかない。
「神のなされることは、皆、その時にかなって美しい」
人の思うところは、必ずしも神の思うところと同じではありません。科学や技術がめざましく進歩し、生死まで司るかに見える人間の偉大さが随所で証明されているこの時代、人間の精神の真の偉大さは、おのれの限界を知ることにあるのではないでしょうか。不完全な人間の寄り集まる社会で、神さまでもない自分が、すべてを思い通りに生きられるはずがない。ままならない人生だからこそ、人間としての分際を知り、他の人に寛容になれるのだと思います

~ 元ノートルダム清心学園理事長 渡辺和子さんより ~

所長視点)
人生は思い通りにならないことの連続です。曽野綾子さんは「不条理だからこそ世の中である」といいました。つまり、ままならないからこそ人生である。ままならない状況のなかに隠れる神様の愛を感じれたとき、人は幸せになるのかもしれません


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