過去基準の場合、何かアクシデントが起きた時、しばしば「なぜこれが起きたのか」と自他に問いかけます。原因を探るために、「なぜ」という言葉を使ってしまうのです。ただし、その原因が明確になることはほぼありません。
自動車メーカーのトヨタの現場で実践されているトヨタ式カイゼンを真似して、「『なぜ』を5回繰り返せ」と言う人がいます。機械の分野ならそれは有効ですが、それを人間に当てはめて「なぜ」と原因を探りにいってしまうと、人間のメカニズムは複雑ですから、答えは出てこないどころか、具合が悪くなってしまうのです。企業のコンサルティングをして感じるのは、「なぜ」を繰り返す社長の会社はスタッフもあまり伸びませんし、うつの社員が多いという傾向もあります。
例えば、病気も、「なぜ病気になったのか?」ではなく、「何のために病気になったの?」という質問になります。すると「この病気は何か意味があってやっているのだ、何かに気づく必要があったんだ」という前提が生まれます。
しかし、「なぜ病気になったのか?」を追求し始めると、過去に焦点が当たり、「何か悪いことがあった」という前提で話が進んでいってしまいます。過去と未来、どちらに焦点を当てるのかで、身体の反応や脳の動きが大きく変わってしまうのです。
~ 心理技術アドバイザー 梯谷幸司さんより ~
所長視点)
過去基準は、行動する時「なぜ」それをやりたいのか理由を考える。また、自分の行為がうまくいかないとき、「なぜ」うまくいかないのか、原因を考えるパターン
未来基準は、行動するとき「何のために」それをやりたいのか目的を考える。また、自分の行為がうまくいかないとき、「何のために」うまくいかないのか、別の目的や新たな利用法を考えるパターン。どちらに向かうかで人生がかなり違いがでてきそうです
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