2020年7月28日火曜日

NO290 「絶対受け身」

私は6歳になるまでのあいだに、3人の母と2人の父に育てられました。生みの親は私が3歳のときに離婚。父と父の再婚相手に育てられましたが、私が6歳のときに父が病気で他界。私は大人たちの話し合いの結果、父の再婚相手の兄夫婦にもらわれることになりました。
養母は私が10歳のときに骨盤カリエスになり、8年間寝たきりになりました。そして私が18歳のときに死亡。養母の白装束を縫い、木桶に養母を入れてリヤカーで火葬場に運びました。骨壺を胸に抱いて、ひとり家に帰ってくる私の姿を見た女性が、涙ぐみながら言いました。
「照子ちゃんはかわいそう。ほんとうにかわいそう」
私自身、自分の身にはなぜ次から次へと試練が課されるのかと考えたことがあります。でも、自分が「かわいそう」とは思ったことがありませんでした。
「私って、かわいそうなんだ」
他人に言われて初めて、自分の憐れさに気がつきました。亡くなった養母の骨壺が急に重たく感じられ、私は道端で嗚咽しながら泣きました。でも、ひとしきり泣いたあと、私は思いました。私の人生はたしかにふつうではないかもしれない。けれど、それが私に与えられた人生。私はもう「ふつうに見える人生」とくらべるのはやめよう。「ふつうに見える人生」にあこがれるのもやめよう。私は、私の人生を引き受けよう。そう決心したのです。
~ 美容研究家 小林照子さんより ~

所長視点)
「絶対受け身」は「絶対肯定」のことです。小林照子さんは
「いつまでも春にならない終わらない冬はない。明けない夜はない。つらくても苦しくてもいまが「学びの時間」。こんな人生のはずではなかったと投げやりになってしまうと、いまという大切な時間がただただ悲しいものになってしまいます。人生を投げ出すのか、引き受けるのか。文句を言って生きるのか、体験から学んで生きるのか。それを決めるのは自分です。自分しかいないのです。そして機嫌よく生きる」
こんな生き方に憧れます




0 件のコメント:

コメントを投稿