2020年7月4日土曜日

NO269 「どっちでもいい」

世の中の問題のほとんどは、どっちでもいい問題だ。神戸の近くの有馬街道に「右も左も有馬道(ありまみち)」という石碑がたっている。「どちらを行っても最後に合流する」という案内だ。どちらに決めようと、結局は有馬道のように、同じ道に行き着く。人生の大事な決定は、たいていは右か左か、やるかやらないかの二者択一だ。悩みに悩んだ末の選択は、どちらに転んでもそう大差はないということ。
松下幸之助翁のように、「学歴がなかったから成功した。ありがたい」と思う人もいれば、いい学校へ行ったがうだつがあがらず、毎日不平不満を言って鬱々とした人生をおくる人もいる。「学歴がなかったので、なにくそと人一倍勉強したことが成功につながった。ありがたい」「貧乏だったから貧乏を抜け出したいと思い成功した。ありがたい」、「病弱だったから人に任せることをおぼえて成功した。ありがたい」と松下翁は言う。つまり、学歴があるかないか、貧乏かお金があるか、病弱か健康か、ということも人生においてはどっちでもいい。置かれた状況や環境に文句を言わず、黙々とやるべきことをやり続けることができる人が、人生の成功者となる。置かれた状況に文句を言うのではなく、それをどう捉えるのかが問題なのだ。つまり、そこに「感謝」があるか、「おかげさま」の気持ちがあるか。
人生の多くの問題はどっちでもいい。

~ 西原宏夫氏より ~


所長視点)
どっちでもいい…というと適当なような気がしますが、どっちでもよくなかったら人間迷わないものです。どっちも一長一短あるから迷う。どっちに決めても、そのまま進めば必ず問題にぶつかります。そのとき迷いがある人は後悔しやすい。後悔せずに今の問題に向き合う人は「自分が決めた」という自覚がある人です。どっちに決めてもこの自覚があれば道は拓けます。なので迷っている時間がもったいない。

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