2020年7月14日火曜日

NO278 「手ぶらで生きる」

日本人は「平均」とか、「横並び」といった言葉が好きなようです。なんでも他人と同じくらいであれば安心するわけです。平均と自分を弾き比べて、上ならばほっと胸をなで下ろしたり、少々、誇らしい気分になったり、下の場合は不安になったり、焦りを感じたりする、というわけです。しかし、そもそも平均を意識することになにか意味があるでしょうか?横並びの人生なんてこの世にありえないのです。人はこの世に生を受け、死んであの世におもむきます。人生というその時間を、それぞれが自分の歩幅で歩んでいく…。そこに「平均」などはありません。
人生ということに引き寄せていえば、なにも持たない裸で生まれてきて、やはり、なにも携えずに死んでいくのが人の人生というものなのだ、ということ。「人生は、手ぶらで生きて、手ぶらで死ぬのがいい」ということです。
給料が平均より上だ下だ、といっても、そんなことは無に始まり、無に終わる人生の、小さな一局面、些細な断面でしかないのです。平均をはるかに超えたとしても、平均に遠くおよばなくても、それが自分の歩幅であり、そこでしか、たしかな人生の足跡を刻むことはできないのです。その足跡の連なりが人生です。ですから、誰一人として同じ人生を歩むことはありません。人の数だけ人生があるのです。そのことに早く気づいてください。
すると、「平均」を目安にすること、それを意識することの無意味さがわかってきます。

~曹洞宗徳雄山建功寺住職 枡野俊明さんより~


所長視点)
あるがままの環境を受け入れ、ありがままの自分を受け入れる…そこに人と比べるといった人生観が入る隙間はないようです。あるがままの環境も受け入れるには、こだわりのない手ぶらの人生が必要… もはや、悟りの世界?

0 件のコメント:

コメントを投稿