今日のお題
私が以前、教鞭をとっていた看護学校の学生のエピソー ドです。
準看護師の彼女は、正看護師の国家資格の取得を目指して、昼は、看護学校で学んでいるのですが、夜は、病院の勤務がありました。
おまけに二児の母として、子育てまでこなさないといけません。
その大変さには、想像を絶するものがあります。
「はじめから大変なのを承知のうえで、自分が選んだ道だから」と、彼女はぎりぎりまで頑張りました。
それでも、どんなガンバリ屋さんにも、どうしても越えられない限界というものもあります。
学業や仕事上の問題が生じたり、子供に病気があったりすると、もうどうしようもなく、これまでこらえにこらえてきた最後の心棒も、ポキンと折れてしまうこともあります。
「これ以上は、もう無理だ」と思って、正看護師への道をあきらめようとした、まさにそのときに、彼女の耳にラジオから一つの言葉が飛び込んできました。
《もうこれまでと思うのも自分、まだまだやれると思うのも自分》
その運命の一言、によって、彼女は、いま一度気力を振り絞って頑張り抜き、正看護師の国家資格を取得し、夢を実現しました。
この言葉のうちには、人間の限界を突破するようなとてつもないパワーが秘められているのです。
「もう駄目」という結論は、決して確定した事実ではなく、自らの選択の結果です。
自分で「もう駄目だ」ということを選べるなら、その同じ自分が自らの意思で「まだまだやれる」という道をも選べるということです。
「『もう駄目だ』と自分でかってに限界をつくっていたけど、本当に最後まで戦 って、それを確かめたわけではなかった。
それに気づいたら、まだまだ頑張れる自分がいる。
どうせ引き返すならば、その最後のチャレンジをしてからでも遅くないだろう」と。
本当に腹をくくったら、まるで井戸の底をわったように、奥深いところから、生命のエネルギーがこんこんと湧き出してきたということです。
皆さんの人生においても、もうこれ以上は、頑張れないと思うことがきっとあるに違いありません。
そんなときに、この言葉をそっと呟いてください。
すると自分のうちに意外なほどの底力がまだまだ眠っていることを発見して、もう一度頑張ってみようという勇気が湧いてくるにちがいありません。
『言葉には、なぜ現実を変える力があるのか?』きこ書房
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所長視点
発明家エジソンによれば『人生で失敗した人の多くは、 自分がどれだけ成功に近づいたかを知らずに、 諦めてしまった人たちだ』とのこと
長い人生の中では、「万策尽きた」「もうこれまで」という状態になることがありますが、
「必ず何とかなるものである。なぜなら打つ手は常に無限であるからだ」
「もうこれまでと思うのも自分、まだまだやれると思うのも自分」
なるほどね…
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