2021年12月14日火曜日

福の神になった少年

 

今日のお題

仙台四郎という少年は、福の神と呼ばれた。
「しろばか(四郎馬鹿)」と言われたりもしたが、子供が好きで、いつもニコニコとしていた。
四郎は、ぼうず頭で、体は人並み以上に大きかったが、どういうわけか、生まれつき知恵がおくれていて、大きくなっても幼児のようにしか話せないし、文字なども読めなかった。
四郎は、毎日、自分の家から歩いて30分くらいの町なかへ、キク丸と名づけた小さな捨て犬と一緒に出かけた。
そして、商店の店先にある水桶の水をまいたり、ほうきで掃(は)いたりする。
店によっては、小遣いをくれたり、ご飯をご馳走してくれるところもあった。
手伝いをしようとしても、追っぱられることもあった。
四郎は自分を歓迎してくれる店と、そうでない店を、直感的に見分けることができ、気の進まない店には、よりつかなかった。
母親は早くして亡くなったが、「にんじんにはにんじんのよさ。大根には大根のよさ。ごぼんにはごぼんのよさがありすでのう」と優しく言って、四郎があちこちで悪さをしたり、ばかなまねをしても、一度もたたいたりなじったりはしなかった。
不思議なことに、四郎がよく立ち寄る店は繁盛し、そうでない店は商売がうまくいかなかった。
やがてそれが、人々のうわさになり、「しろばかは福の神だ」と言われるようになった。
すると、四郎がキク丸をつれて町を歩くと、今まで、追い払っていた店からも、手のひらを返したように、声がかかりはじめた。
わざと目に付くように店の前にほうきをたてかけておいたり、おけに水をくんでおいたりする店さえ出始めた。

『福の神になった少年』丘修三・校正出版社より抜粋引用
[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

福の神になった少年 仙台四郎の物語 [ 丘 修三 ]
価格:1922円(税込、送料無料) (2021/12/14時点)


所長視点

どんな人でも存在しているだけで、永遠の価値があります。

その価値は、心の内面を磨くことでその価値を実感することができます

わからないのは自分だけ?

心を磨き、仙台四郎に選ばれるような、人になりたいものです

0 件のコメント:

コメントを投稿