「本心を育む」のトリセツ
今日のお題も
昨日に引き続き
小林正観さんです
今日のお題
神社仏閣は「○○○してください」と「お願いするところ」ではなく、「今の自分がいかに恵まれてありがたいか」を「感謝しにいく場所」
「目が見えることに、感謝」「耳が聞こえることに、感謝」「自分の足であるけることに、感謝」「食べられることに、感謝」すべてが感謝なんです。
「今の商売が気にいらない。もっと売上を伸ばしたい」と商売繁盛を願ったり、
「もっとすてきな人と出会いたい」と良縁祈願をしたり、
「私も妻も、子どもたちも、家族みんなが病気になりませんように」と家内安全を願うことは、「淡々と過ぎる日常」を与えてくださった神様に対して、「宣戦布告」をしているようなものです。
そもそも「祈り」の本来の意味とは、「意」に「宣」と書き、「意のままに沿う」こと。
つまり、「あなたの仰せに従います。あなたが望むように生きています。ありがとうございます。」という意味だったのですが、現在は違う意味で使われています。
そして、「願い」の本来の語源も「ねぎらい」。「ねぎらい」とは、「よくしてくださってありがとうございます」という感謝をいうことでした。
『もうひとつの幸せ論』小林正観・ダイヤモンド社
「祈り」と「願い」は、本来は、両方とも「感謝すること」だったのです。
所長視点
病気だとか、事故だとか、業績不振だとかだと、つい神様に『お願い』したくなります
「不幸」だと考えられる出来事に文句をいわず、与えられた環境に『感謝する』
結果として運のめぐりがよくなり、幸福が導かれていくのが『祈る』目的なのかもしれません
誕生日も『お祝いされる日』でもあるが、この世に生んでくださった親と神様に『感謝する日』なのかもしれませんね
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