2021年11月19日金曜日

祈りの願いの目的

 「本心を育む」のトリセツ

皆様の本心が刺激をうけ、栄養になりそうなお題を、まさきち所長がチョイスし

まさきち所長視点で解説しています

日々の生活で、真の家庭づくりにお役立てくださればさいわいです


まさきち所長
まさきち所長

今日のお題も

昨日に引き続き

小林正観さんです

神様が動くとき~ラッキーな人生~小林正観さん福岡講演会
神様が動くとき~ラッキーな人生~小林正観さん福岡講演会福岡にて収録。警固神社で開催されたものです。テーマ「ラッキーな人生」福岡での笑い声いっぱいの講演会です。神様は、つらい、悲しいには反応しないが面白い、楽しい、喜ぶことには、やる気になって反応することに、気づいたことを話しています。宇宙の構造として、現象はゼロと...

今日のお題

神社仏閣は「○○○してください」と「お願いするところ」ではなく、「今の自分がいかに恵まれてありがたいか」を「感謝しにいく場所」
「目が見えることに、感謝」「耳が聞こえることに、感謝」「自分の足であるけることに、感謝」「食べられることに、感謝」すべてが感謝なんです。
「今の商売が気にいらない。もっと売上を伸ばしたい」と商売繁盛を願ったり、
「もっとすてきな人と出会いたい」と良縁祈願をしたり、
「私も妻も、子どもたちも、家族みんなが病気になりませんように」と家内安全を願うことは、「淡々と過ぎる日常」を与えてくださった神様に対して、「宣戦布告」をしているようなものです。
そもそも「祈り」の本来の意味とは、「意」に「宣」と書き、「意のままに沿う」こと。
つまり、「あなたの仰せに従います。あなたが望むように生きています。ありがとうございます。」という意味だったのですが、現在は違う意味で使われています。
そして、「願い」の本来の語源も「ねぎらい」。

「ねぎらい」とは、「よくしてくださってありがとうございます」という感謝をいうことでした。
「祈り」と「願い」は、本来は、両方とも「感謝すること」だったのです。

『もうひとつの幸せ論』小林正観・ダイヤモンド社

所長視点

病気だとか、事故だとか、業績不振だとかだと、つい神様に『お願い』したくなります

「不幸」だと考えられる出来事に文句をいわず、与えられた環境に『感謝する』

結果として運のめぐりがよくなり、幸福が導かれていくのが『祈る』目的なのかもしれません

誕生日も『お祝いされる日』でもあるが、この世に生んでくださった親と神様に『感謝する日』なのかもしれませんね

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