2021年9月23日木曜日

人間の役割は、喜ばれた数だけ存在する

 

今日のお題

コップの機能を考えてみます。

お湯を溜める、水を入れるなど2つの機能があります。

新幹線を考えてみると、物を運ぶ、人を運ぶなど2つの機能がありあります。

機能というのは、つまり役割ということです。

では、人間の役割というのはどのくらいあるのでしょうか。

私はそれをずっと宇宙に問いかけていました。

そして、問いかけてから2年ほど経ったとき、次のような答えがきました。

「人間の役割(機能)は、喜ばれた数だけ存在する」

たとえば、満員電車の中で、おばあさんに席を譲って「ありがとう」と言われた。

その瞬間に、「私」がこの世に生まれた意味が一つ誕生しました。

駅で、びしょぬれになっている人がいて、自分が帰る方向が一緒だったから、「途中まで一緒に行きましょうか」と言って、「ありがとうござます」と言われたら、それがまた一つの機能になるのです。

しかも、相手は人間だけではありません。

たとえば、ここにグラスがあって、これをドンッと乱暴に置いたら割れてしまった。

そうすると、このグラスの魂は「ああ、この人に持たれたくなかった」と思うわけです。

喜ばれていない。

けれども、本当に心を込めてそっとおいた時には、「ああ、この人に持ってもらってよかった」と思ってもらえる。

それが、「喜ばれた」ということです。

人間だけではなくて、すべてのものから喜ばれた時に、「私」という存在は役割を持つことになる。

実は、この世に生まれたことの意味は、喜ばれることであり、その役割の数は、人間だけは上限がない。

今、「私」がそのことに気がついて、自分がそのように生き始めると、人間である「私」の役割は、無限に増やすことができます。

人間だけは、自分の意志によって、役割をいくらでも増やすことができる。

人間の喜びや幸せというものは、最終的には、自分が喜ばれる存在であることに尽きるようです。

『悟りは3秒あればいい』大和書房

所長視点

周りから喜ばれたかどうかは、自分がきめられません。

かといって、相手が喜ぶために自分を犠牲にする人のなかに「自分が認められたい」思いで喜ばせようとするのは、本当の意味では相手の喜びにはなりません

そう考えていくと何がよいのかが、わからなくなりそうですが…

機嫌よく丁寧に生きている人は、本人も嬉しそうだし、まわりから喜ばれる。

簡単に考えるとそういうことでしょうか?

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