2021年9月16日木曜日

見えないものの価値

今日のお題

どうも、私たちには、「見ているのに見えていないもの」が、たくさんあるようです。

私自身にも知らないがゆえに「見えないもの」が、山ほどあるに違いありません。

その中の、とても重要なものに気がつきました。

「幸せ」というものです。

実は、私たちは「幸せ」というものの本質を知らなかったのかもしれません。

「見てはいる」けれども、「見てはいない」ものの一つに、「幸せ」というものがあるように思えます。

結論を言ってしまえば、「幸せ」の本質は「日常」なのです。

「山のあなたの空遠く」にあるわけではありません。

例えば、偏頭痛の人がいるとします。

ずっと偏頭痛に悩んできた人は、「もしこの偏頭痛が消えてくれたら、どんなに幸せだろう」と思っていることでしょう。

そして、ある日突然、その偏頭痛が消えたら、「何もない」「静かで平穏な」日々が、どれほど「幸せ」であるか、を実感するのです。

では、その偏頭痛が今まで全くなかった人は、どれほど「幸せ」であったのか。

まさしく「幸せ」の海の中に暮らしてきたのです。

ですが、それが(偏頭痛が持続していたことが)自分の生活になかったがゆえに、自分が「幸せ」の中に暮らしていることを知りませんでした。

「知らない」がゆえに「見えない」ものが、たくさんある。

目に入っているにもかかわらず、「見えない」し、「わからない」「認識できない」のです。

その代表的な例が「幸せ」であるのかもしれません。

ある人が、例えば台所で、タクアンを切ながら、「あーあ、幸せ」と言ったとします。

その人は、台所でタクアンを切っているだけで「幸せ」なのですから、「どこに行かなくても」幸せ、であるのです。

「どこへ行かなくても幸せ」な人は、「どこに行かなくてもよい」のですから、「どこに出かけてもよい」ということになります。

『生きる大事 死ぬ大事』イースト・プレス

所長視点

海の中に住む魚には「海」の姿がわかりません。

同様に、「幸」の中に住む人間には「幸」の姿がわからない。

「見てはいる」が「見えていないもの」が、世の中にはたくさんあるのかもしれません。

もしかすると、見えないものに価値があり、見えないものの価値を忘れてしまっているのが一番の原因かも… 

 

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