2021年1月12日火曜日

NO450 「居場所」

場の研究所の清水博先生は長年、場を研究されていく中で、その根本原理に与贈循環があると指摘されています。
与贈というのは、贈与をひっくり返した言葉で、贈与の中でも匿名での見返りを求めないものを言います。
この与贈が自分のいる《場》に対して行われると、その《場》が豊かになっていきます。
《場》が豊かになっていくと今度は、その《場》から自分へと与贈が居場所というかたちで返ってきます。
循環が起こっているのです。
たとえば、家族のためにケーキを買って帰るとします。
そうすると家族との関係もよくなり、家庭という《場》が豊かになります。
そうすると、自分の居場所もできる。
与贈は居場所づくりの方法なのです。
「人は居場所がないと感じると、精神を病んだり、アルコールに溺れたりする。他者に貢献することで、居場所を確保すればいい。」(アルフレッド・アドラー)
人は自分の「存在を否定」されたとき、生きる希望や、精神的なよりどころを失ってしまう。よりどころとは、拠り処であり、寄り所であり、つまり、居場所のこと。
反対に「存在の肯定」とは、あなたがいてくれてよかった、あなたに居て欲しいという、人から必要とされることだ。
これからの時代は、会社という居場所の存在が少しずつ希薄になってくる。
だからこそ、いくつもの拠り所が必要となってくるということだ。
自分がほっと安心できる場所。
居心地のいい場所。
認めてくれる場所。
必要とされる場所。
そんな居場所をいくつも持つ必要がある。
中でも一番大事な居場所が家庭だ。
『在宅HACKS!』東洋経済新報社
https://amzn.to/38xhAWJ 小山龍介さんより

1 件のコメント:

  1. 教育TVの100分で萩尾望都。観られた方いるかもしれません。紫綬褒章もうけた天才萩尾先生のトーマの心臓。性暴力をうけて心を閉ざす
    生徒会長ユーリの心を知り自らの自死というクリスチャンとしては最悪な行為をしてまでも
    再びユーリを明るい世界に戻そうとするトーマ。紆余曲折ありますがユーリは最期には彼の心を悟り、神父になるべくギムナジウムをでて
    神学校へと向かいます。その途中ユーリがトーマの残した詩を読むラストシーンはいまだ私の心に残り燻ります。〜ひとは2度死ぬという。
    まずは自己の死。ついでは友人たちに忘れさられるという死。だとしたら僕には2度目の死はけして訪れない。死んでも彼(ユーリ)は僕を忘れまい。そして僕は永遠に生きる。彼の眼のうえに。。〜トーマは居場所を見つけたんです。最高の居場所を。かならずや素晴らしい神の下僕になるであろうユーリ。たくさんのひとたちがかつてトーマがユーリを助けたように、ユーリもまた彼らを助けることでしょう。
    そうやってとぎれなく永遠に。
    すぐれたキリスト教文学だとカズレーザーがいってましたがまさに漫画の域こえてます。
    ご興味もたれたらぜひ読んでみてくださいませ。

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