今日のお題
セレンディピティとは、科学者の間でよく使われている言葉です。
日本語に訳すのは難しいのですが、たまたま出合ったことから研究が大きく進んでいくというイメージでとらえてください。
「思わぬ発展につながる偶然」とでも訳せましょうか。
その偶然が実は大事で、偶然に導かれて研究が発展するのです。
研究者が当初から問題意識を持っていて、「これはどうすればいいのかな?」と考えていると、あるときたまたま見つけたものにひらめきを感じ、「あっ、これが役に立つんだ」と気づいて、行き詰まっていた研究に突破口が開かれる。
研究が大きく飛躍するきっかけは偶然の出合いによることが多く、その偶然の出合いのことをセレンディピティと呼んでいます。
ただし、偶然といっても、それは研究者が何もしないでたまたま思いつくというものではありません。
一生懸命に研究していると、不思議とそういう出合いに恵まれるのです。
ニュートンがリンゴが落ちるのを見て、それを当たり前だと見過ごさず、「なぜ落ちるんだろう?」と研究し、万有引力の法則の発見につながったという逸話があります。
本当にあったことなのか、実は曖昧なのですが、この場合、リンゴが落ちるところに出くわしたのがセレンディピティです。
このセレンディピティの話は、多くの人に当てはまると思います。
勉強嫌いだったのに、ちょっとしたきっかけで勉強が好きになったという人もいますよね。
そのちょっとしたきっかけとは、教え方のとても上手な先生に出会ったとか、受験対策で始めた勉強なのにいつの間にかその科目の魅力にとりつかれたとか、海外に行ってカルチャーショックを受け、日本についてもっと知りたくなったとか、本人が予想していなかった偶然であることが多いのです。
学びの楽しさを知るきっかけは人それぞれだとしても、多くの場合、出合いは偶然に訪れます。
だとしたら、若いうちにその偶然、つまり鈴木先生の言う「チャンス」に恵まれた人は運がいいと思います。
学ぶことがおもしろいと思えるようになったらもうしめたもの。
おもしろいことは 長続きします。
あとは放っておいても自分から学んでいくようになるものです。
若いときに、そういうおもしろいことを一つでも見つけて、それを深く掘り下げたり、それに関わるテーマに興味や関心を広げていったりしたら、年を重ねるごとに教養が身 についていくことでしょう。
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所長視点
困難な問題に対して、一生懸命努力するなかで、偶然に思えるようなきっかけで物事がうまくいくようになった出来事は、1度は体験したことがあるではないでしょうか
神様は私達が努力していくことが、一定の基準を満ちるのをみて、智慧を与えてくれます
努力する方向が間違っていても、一生懸命努力している人には「そっちじゃないよ」と軌道修正してくれるので安心です。
一生懸命を楽しめる人は、一生懸命をやめないから、神様が味方せざるおえません。
最強ですね!
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