2021年8月21日土曜日

年賀状と暑中見舞いは十年間出し続けてほしい

 

今日のお題

教師の前では「先生、もういいですよ、うちの子どものことは」と言いながら、カウンセリ
ングルームで「ついに私たちは担任の先生に見捨てられました」と言う母親がいます。聞くと「”学校の行事予定表”も届かなくなったのです」と言います。
長期の不登校の子の保護者と、学校をつなぐ”最後のきずな”が「行事の予定表」です。保護者の方に「プリント類がいろいろありますから取りに来てください」と言う先生がいます。けれど不登校の子どもの保護者は気持ちが引けて、学校に行きにくくなっています

ほかの書類はともかく「学校の行事の予定表だけは、郵送でもいいから、必ず送り届けること」――これが学校と家庭をつなぐ”最後のきずな”になります。
仮にそのお子さんが卒業まで不登校だったとしましょう。高校も受かって最初の一週間だけ行ったけど、またすぐ不登校になってしまった。こういう場合には、そのお子さんと家族以外の”最後のきずな”が中学校の学級担任なのです。その子には、中学校を卒業した後も「十年間は暑中見舞いと年賀状だけでいいから送り続けて」ください。引きこもりの専門家の斎藤環医師は「僕は三十年間は送り続けてくださいと言っています」とおっしゃっていました
なぜそんなことを言うのか。ある中学校の先生があるとき、お母さんに呼ばれたのです。「先生、うちの子どもが交通事故で死にました。見舞いに来てやってくれませんか」。そのお子さ
んは高校をすぐにやめてアルバイトもすぐやめてしまっているから、家族以外の人で最後につ
がっていたのは、唯一、中学校三年のときの担任の先生だけだったのです。
お母さんからその子の日記(中学校を卒業してから二十五歳で亡くなるまでの日記)を見せていただくと、そこには、その先生のことばかり書いてある。もう十年も会ってないのに。
教師はときとして不登校の子どもにとっては”社会とつながっている唯一の存在”です。自分がその子にとっての”命綱のような存在”であることをわかってほしいのです。「年賀状と暑中見舞いは十年間出し続けてほしい」という言葉の背後には、こういった思いがあります。

所長視点

人と人とが関わるときに、幸せを感じることもあれば、傷つくこともあります。

それでも人は人と関わらずにはいられない生き物です

一瞬一瞬の関わりの連続が人生だとすれば、

一瞬一瞬の関わりを大切にすることが人生を豊かにすることであると同時に人を幸せにすることにつながる…ということでしょうか

深いですねー 

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