2021年8月31日火曜日

含みのあるいい人間になる

 

今日のお題

私たちは社会という集団の中で生きていますから、政治的配慮や法律がなければ日常生活も成り立ちません。

しかし最終的には、自分の行動を自分で決めるほかない。

それしか、後悔しない人生を生きる方法はないのです。

だから、それができない人間は、悲劇を生きることになる、と言っても言い過ぎではないでしょう。

にもかかわらず、いざとなると、日本人は平気で決断を他人に委ねてきたところが あります。

戦後の日本の教育は、子供に対して過保護でしたから、子供は親や周囲に甘やかされて、いつの間にか自分では何も決められない人間に育っていく。

学校が何を教えようと、間違っていると思うなら、各家庭でそれを正すべきなのですが、そんな勇気を持っている親はほとんどいない。

そして、何かあると全部、人のせいにするのです。

規則がないと動けなくなってしまった原因の一つは、本を読まなくなったからでしょう。

本には、あらゆる例外的なことが書かれています。

たとえば、私たちは「よく働きなさい、勉強しなさい、努力すればするだけのことはありますよ“なせばなる”ですよ」と教えられる。

しかし、本の中には、エリートになればいい人生を送れるとは限らないとか、 性悪な女とは別れたほうがいいと言うけれど、どうしても別れられない男の話とか、しがない生活に安住していた市井の人が僥倖にありつくとか、理屈に合わない話がいくらでもある。

読書をすれば、世の中はマニュアル通りに片付くほど単純ではないことがすぐにわかるはずです。

だから読書は、含みのあるいい人間をつくるんですけどね。

『思い通りにいかないから人生は面白い』三笠書房
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所長視点

読書は、他人の人生を疑似的に生きることができる。

本には、著者の人生や経験が詰まっています。

小説なら、事件やパニックが起きたときの、心理状態や、そのときの人間関係など、主人公の人生を追体験できるし、著者の人生観と出会うことができます

本との出会いは、直接、出会うことのできない人たちと、深い因縁的な出会いとなることになること間違いないです。

Let’s read a book ! 

2021年8月30日月曜日

夜は仕事を忘れて眠る

 

今日のお題

人生に夜のあることはうれしいことである。どんなに仕事の好きな人も、夜は仕事を忘れて眠る。

どんなに金もうけの好きな人も、夜はその貪欲をわすれて眠る。

どんなに学問の好きな人も、夜は本を書棚におさめて眠る。

生命をかけた戦場の勇士も、夜は銃をまくらにしてしばしまどろむであろう。

宗教の世界も、夜のようなものではなかろうか。

弥陀の本願には老少善悪の人をえらばれず、善き者にも悪しき者にも、神は同じく雨を降らせたもう。

世の成功者も、ここではその誇りを忘れて平凡な人の子となり、世の敗残者も、ここではその失意を忘れて、 神のふところにいだかれる。

宗教の世界とは、夜のごとく争いと裁きの憂いのないやすらぎの世界である。

宿題宿題で先生には鞭うたれる。

勉強勉強で家庭では尻をたたかれる。

友達は見向きもしてくれない。

今ごろの高校生には、心の安まる夜がないようだ。

そこで一朝つまづくと、とりかえしのつかんことにもなろう。

大事な人生に、夜が半分もあるのは、無駄のようである。

忙しい今の世の中に、静かにすわる宗教などは無用の長物とも思われよう。

しかしその無駄が決して無駄ではないことを忘れてはなるまい

『不要不急』新潮新書
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所長視点

蟻が100匹いると 働きもの:普通:怠けもの の割合は 2:6:2 になるそうです。

怠け者 20匹を除いて、働きもの:普通 の2:6 にすると、その80匹が2:6:2になり、怠け者が出現します。

怠け者の蟻が必要‥ということなのでしょう。

笑いがある人は、遊びココロがある人です。

カリカリせずに、余裕をもっていきましょう 

2021年8月29日日曜日

セレンディピティ

 

今日のお題

セレンディピティとは、科学者の間でよく使われている言葉です。

日本語に訳すのは難しいのですが、たまたま出合ったことから研究が大きく進んでいくというイメージでとらえてください。

「思わぬ発展につながる偶然」とでも訳せましょうか。

その偶然が実は大事で、偶然に導かれて研究が発展するのです。

研究者が当初から問題意識を持っていて、「これはどうすればいいのかな?」と考えていると、あるときたまたま見つけたものにひらめきを感じ、「あっ、これが役に立つんだ」と気づいて、行き詰まっていた研究に突破口が開かれる。

研究が大きく飛躍するきっかけは偶然の出合いによることが多く、その偶然の出合いのことをセレンディピティと呼んでいます。

ただし、偶然といっても、それは研究者が何もしないでたまたま思いつくというものではありません。

一生懸命に研究していると、不思議とそういう出合いに恵まれるのです。

ニュートンがリンゴが落ちるのを見て、それを当たり前だと見過ごさず、「なぜ落ちるんだろう?」と研究し、万有引力の法則の発見につながったという逸話があります。

本当にあったことなのか、実は曖昧なのですが、この場合、リンゴが落ちるところに出くわしたのがセレンディピティです。

このセレンディピティの話は、多くの人に当てはまると思います。

勉強嫌いだったのに、ちょっとしたきっかけで勉強が好きになったという人もいますよね。

そのちょっとしたきっかけとは、教え方のとても上手な先生に出会ったとか、受験対策で始めた勉強なのにいつの間にかその科目の魅力にとりつかれたとか、海外に行ってカルチャーショックを受け、日本についてもっと知りたくなったとか、本人が予想していなかった偶然であることが多いのです。

学びの楽しさを知るきっかけは人それぞれだとしても、多くの場合、出合いは偶然に訪れます。

だとしたら、若いうちにその偶然、つまり鈴木先生の言う「チャンス」に恵まれた人は運がいいと思います。

学ぶことがおもしろいと思えるようになったらもうしめたもの。

おもしろいことは 長続きします。

あとは放っておいても自分から学んでいくようになるものです。

若いときに、そういうおもしろいことを一つでも見つけて、それを深く掘り下げたり、それに関わるテーマに興味や関心を広げていったりしたら、年を重ねるごとに教養が身 についていくことでしょう。

『なんのために学ぶのか』SB新書
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所長視点

困難な問題に対して、一生懸命努力するなかで、偶然に思えるようなきっかけで物事がうまくいくようになった出来事は、1度は体験したことがあるではないでしょうか

神様は私達が努力していくことが、一定の基準を満ちるのをみて、智慧を与えてくれます

努力する方向が間違っていても、一生懸命努力している人には「そっちじゃないよ」と軌道修正してくれるので安心です。

一生懸命を楽しめる人は、一生懸命をやめないから、神様が味方せざるおえません。

最強ですね!

2021年8月28日土曜日

平凡な、普通に生きている人

今日のお題

「神さまはきっと凡人を愛しておられるにちがいない。だから神さまは、凡人をたくさんつくっておられるんだ」

これは、アメリカの第16代大統領であったエイブラハム・リンカーンの言葉である。

なかなかいい言葉だ。

「キリスト教では、神が人間をつくったと考える。

神のつくった人間には、特別な才能に恵まれた人もいれば、平凡な普通人もいる。

凡人が多数で、天才はごくわずかだ。

そして、常識的には、特別な才能を付与された人間が神にかわいがられた人だと思 われている。

べつだんこれといった理由はないが、非凡な人間のほうが神さまの寵児のように思えるのだ。

多数の凡人は、神さまの粗製乱造の製品のように受け取られる。

それをリンカーンは引っくり返したのである。

神さまは、たくさんいる普通の人間がかわいくてならないからこそ、好きだからこそ、こんなにたくさんおつくりになったのだ――。

彼はそう言っている。

この考え方、わたしも同感である。

そうなんだ。

わたしたちはなにも偉くなる必要はない。

ただの人でいいのだ。

ただ生きている――それだけでいいのだと思う。

なんの代わり映えもしない、平凡な、普通に生きている人――。

その人を神さまが 愛しておられるのだと思う。

『捨てちゃえ、捨てちゃえ』PHP研究所
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所長視点

「無事是れ貴人」という禅の言葉があるそうです。

意味は「何もしないこと、あるがままでいること、その平凡な日常こそが尊いということ」です

人と比べると落ち込むことが多いですが、親の視点、神様の視点から見たときには「そこにいるだけで愛おしい」ということでしょう

自分自身を、自分の視点でみるか? 神様の視点でみるか?

神様のほうが見る目がありそうですから、神様の視点でみてみますか… 

 

2021年8月27日金曜日

一番大変な、面倒くさい人生の人

 今日のお題

一番つまらないというか、面倒くさい、ゴツゴツした岩に乗り上げながら生きていく人生の人というのは、全部一行ごとに『そこでくよくよする』というのを入れ込んでいるんです。

これが一番大変な、面倒くさい人生の人。

百歳を超えて長寿の人というのが必ずインタビューで聞かれるのは、『長寿の秘訣はなんですか』という質問です。

そして、その答えに必ず入っているのが『くよくよしないこと』です。

長命で気楽に長生きするために絶対的に必要なのは、『くよくよしないこと』なんですね

『宇宙を貫く幸せの法則』致知出版社

 

所長視点

人生をくよくよしないで生きるには、過去に起きたことも、現在起きていることも、今の自分に必要なこと、と全てを「受け入れる」ことです

「全ては自分にとって必要なこと」、「それがあるから今の自分がある」、と肚を決めてしまえば、それら全ては感謝の対象になります。

産まれたてのあかちゃんが、お母さんの胸のなかでスヤスヤ眠っているときの心が一番それに近いとか…

2021年8月26日木曜日

人生はおもしろがった人の勝ち

 

今日のお題

絶対におもしろいことなんかない。

同じことでも、状況によって、おもしろかったり、おもしろくなかったりする。

だけど、どんな状況にあっても、ものごとをおもしろくすることはできるんじゃないかな。

要は、考え方一つってことだ。

ボクはこれまで、どうしたらおもしろくなるか、そればっかり考えて生きてきた。

そのなかから、つかんだことや見えてきたものがいくつかある。

人と同じことをしていてはダメなこと、運が逃げていかないようにすること、ものごとをあえて遠くにすること、いいことと悪いことは半々だということ…。

そんなボクだからこそいえることがあるとすれば、おもしろがった人のほうが、人生を面白く生きられるということだ。

おもしろく生きることに、年齢は関係ない。

いくつになろうが、おもしろく生きようと思えば、おもしろく生きられる。

かえって長く生きてきた人、いろいろなことを経験してきた人のほうが、おもしろがるコツを知っているんじゃないかな。

たった一度っきりの人生だもの。

おもしろく生きたほうの勝ちだと思うよ

人生はおもしろがった人の勝ち/大和書房

所長視点

困ったことが起きたとき、「困ったな~」「大変なことになった」 嘆いても、いい方向には進みません。

そんなときは 『面白いことが起きたぞ』が有効です。

困ったことが起きたときは、魂を成長させるチャンス。

ということは、神様は困ったことを起こして、私達を成長させようとしている?

ありがたいですね 

2021年8月25日水曜日

人と同じこと言ってちゃダメ

 

今日のお題

お金がないときでも、人にはできることがいくらでもある。

まず、笑顔でいようよ。

お金はなくても心は出せるんだからね。

たとえば、知らない人に呼びかけるときに、おばさんかな?

お姉さんかな?

と思ったら、迷わず「お姉さん」と呼ぶの。

お店で食事をしたら、笑顔で「ごちそうさま」って言う。

「お金がないから、やれることがない」わけじゃなくて、「あなたがやらないだけ」なんだ。

よく、「一人さんは、どんなお店で食事をしても、『まずい』って文句を言いませんね」って言われるんだよね。

でもね、自分が期待した味と違っていたとしても、その店のお父さんやお母さんは、その料理を出しながら、一生懸命、子育てしてきたのかもしれないんだよ。

たとえ、「おいしくない」って、お客さんに言われちゃうような料理だとしても、その味で稼いで、子どもを大学にまでやっているかもしれないよね。

どんなお店にだって、目に見える料理だけじゃない「ドラマ」があるんだ。

人には、1人ひとりに神様がつけてくれた壮大なドラマがある。

あなたにも、あの人にもだよ。

ほら、そう考えると、コンビニやスーパーのレジの人にも、笑顔で「ありがとう」って言いたくなってくるだろう?

世の中って、本当はすごく単純なの。

それを立派なこと言いすぎるから、おかしくなっちゃうの。

私のモットーは、「明るく元気」。

40度の熱があっても元気だよ。

悪いのは体で、心じゃないからね。

あのね、弱気な言葉を出すと、脳が負けちゃうの。

ウソでもいいから。

そしたら周囲が安心するよ。

みんなが「ツラい」「大変だ」と言ってるときに、「全然平気ですよ」と言ってごらん。

そうしたら黒板に1点、白い点が輝くんだよ。

仕事が大変なのは当然なの。

人と同じこと言ってちゃダメだよ。

「目じゃない」と言葉にしたとき、「目じゃない知恵」が出るんだよ。

コロンブスはアメリカ大陸を発見しようとして発見したんじゃないの。

世界一周の途中で発見したんだよ。

一周するぐらいの覚悟がいるんだよ。

弱気になったら負け、魅力がないもん。

『神様に喜ばれる人お金のレッスン』学研

所長視点

どんな厳しい局面になっても、愚痴や文句、泣き言や不平不満を言わないで、その逆を言うことを練習してみる。

「厳しい」→「おもしろい」

「いやになった」→「楽しくなってきた」

「忙しい」→「毎日とっても充実している」

「バカヤロー」→「ありがとう」

人の心を明るくする言葉、あたたかくする言葉、元気付ける言葉、思わずにっこりさせる言葉、そして、感謝の言葉…。

やせがまんしても、相手を喜ばせることを言ってみますか 

2021年8月24日火曜日

フェイシャル・フィードバック効果

 

今日のお題

楽しいことがあろうがなかろうが、常にニコニコした笑顔を心がけてください。

つまり、上機嫌な「フリ」をするのです。

私たちの脳みそは、私たちの「表情」に影響を受けています。

上機嫌な表情をつくっていると、私たちの脳みそは、「きっと私は今、楽しいんだ」と錯覚して、ドーパミンなどの「快」を司る脳内物質をどんどん分泌してくれ、その結果として、本当に楽しくなってしまうのです。

これを心理学では、「フェイシャル・フィードバック効果」と呼んでいます。

「楽しいことがあれば、いくらでも笑えるのに……」ではなく、「笑っている」から、「楽しくなってくる」のです。

この順番を間違えないこと。 楽しいことがあろうがなかろうが、始終、ニコニコと上機嫌にしていることです。

そうすれば、心が弾んできて、陽気に暮らせるようになりますよ。

心理学者の実験でも、このことは明らかになっています。

米国イリノイ大学の マヤ・タミールは、笑顔をつくると、そのわずか1分後には、心がリラックスし、 喜びを感じてくることを突き止めました。

愛想笑いであろうが、つくり笑いであろうが、たった1分で“てきめんな効果” が得られるわけです。

また、タミールは、しかめっ面をつくらせると、気分がネガティブになることも明らかにしています。

ですから、できるだけ不機嫌な顔をしないことも重要です。

毎日、陽気に生きていれば、小さなことでイライラすることも減っていきます。

心が上機嫌でいると、少々のことは、笑って許せるようになるのです。

たとえば、待ち合わせをした相手が遅刻をしたとしましょう。

こんなとき、心に余裕のない人は、イライラしてしまうものです。

「自分は見下されているのではないか」 「自分は大事にされていないのではないか」 などと考えると、さらに怒りが募ります。

ところが、笑顔をつくり、上機嫌でいれば、少しくらい相手が遅刻しても、 「まあ人間なんだから、たまにはそういうこともあるよね」と気軽に受け流すことができます。

腹もそんなに立ちません。

とにかく笑顔。

いつでも笑顔をつくっていることは、とても大切なのです。

『いちいち気にしない心が手に入る本』王様文庫
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所長視点

世の中の出来事に意味はついていません。

自分の心しだい、捉え方しだいで自分で意味をつけているのです。無意識なのでそれに気がついていない。

不機嫌にさせる人がいるのではなく、自分にとっては不機嫌なことをされたので、「この人は不機嫌な人だ」という意味をつけてイライラしている

ウソでもいいから上機嫌でいること。すべてに感謝すること。

そうすると上機嫌があとからついてくる。

人生はドラマですから、ハッピーエンドにするかしないかは、自分次第… 

2021年8月23日月曜日

淡々と見送ればいい

 

今日のお題

ともに仕事をした仲間が、会社を辞める。

ともに厳しい練習に耐えてきた仲間が、チームを去る。

三日にあげずともに酒を酌み交わした仲間が、転勤で遠方に行ってしまう。

どんな形であれ、親しい人との親しい時間がなくなってしまうのはさびしいことです。

去る者の背を追いかけていきたいくらいの未練が残るかもしれません。

しかし禅に、「去る者を追わず」という言葉があるように、別れのつらさ・さびしさを引きずることなく、淡々と見送るまでのことです。

そもそも付き合いが途絶えてしまうのは、結ばれた「縁」が切れただけのこと。

場合によっては復活することもあるし、どういうわけか切れない「腐れ縁」みたいなものもあります。

この「去る者は追わず」と同じくらい大事なのは、「来る者は拒まず」という姿勢です。

自分と接点を持った時点で、それは大切な「ご縁」なのです。

縁は人為的にコ ントロールできるものではありません。

いうなれば「自然の巡り合わせ」ですから、あれこれ深く考えず、「去る者は追わず、来る者は拒まず」でいいのです。

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所長視点

仏教では「苦しみ」のことを「思い通りにならないこと」だといいいます

世の中のほとんどのことは、自分の思い通りにはなりません

だからこそ、目の前にやってきた「ご縁」に感謝する生活をすることで「ご縁に導かれて」人生はうまくいくようになるのかもしれませんね 

2021年8月22日日曜日

おかげさまで

 

今日のお題

「病気が早く治る人」と「なかなか治らない人」の違いって、何だと思う?

それはね、人から体調を聞かれたとき、どう答えるかなんだよ。

例えば、ある病院に、二人のおばあさんが入院しているとするよね。

二人とも、同じ病気を患っていて、病気の進行具合も同じなんだよ。

お見舞いの人が、「おばあさん、体調はどうですか?」って聞いたとき、一人のおばあさんは笑顔でこう答えたの。

「おかげさまで、昨日よりだいぶ良くなりました」

もうひとりのおばあさんは、顔をしかめて、こう答えたんだよ。

「お腹の痛みは治まったんだけど、まだ腰が痛くてね…。 これ、いつになったら、良くなるのかしらね?」

この二人のおばあさんは、どちらが早く治ったと思う?

「おかげさまで、だいぶ良くなりました」って答えたおばあさんの方が、治るスピードがずっと早いんだよ。

病気が良くならない人の特徴って、「まだ、ここが…」って答えるの。

自分の体調がいちばん良かったころと比べて、「あそこが痛い…」「ここが痛い…」って、痛いところを探しては、ずーっと言っているんだよ。

痛い痛い…って言ってる方もイヤだけど、聞いてる周りの人もつらいよね。

いくら自分が痛くても、人の気持を暗くするようなことばかっかり言っている人って、天が味方してくれないよ。

天が応援してくれるのは、治ったところを見つけて感謝して、「おかげさまで」って言える人なんだよ。

「おかげさまで」という言葉は、漢字にすると「お陰さまで」になるよね。

これって、「陰で動いたすべての力に感謝する」っていう意味なの。

いま自分が生きているその裏で、たくさんの人の力が働いているから、生きていられるんだよね。

(斎藤一人 人生がつらくなったときに読む本/KKロングセラーズ)より

所長視点

病気が治りやすい人は、病気に対しても感謝する心を持った人だという話もあります。

病気も自分の一部。病気という現象をもって自分の生き方を諭してくれる先生ともいえます。

ちなみに、病気が治りたい…より、治ったら「誰と」「○○がしたい」

「○○をしたらこんな気持ち…」をイメージしたらよいそうです 

2021年8月21日土曜日

年賀状と暑中見舞いは十年間出し続けてほしい

 

今日のお題

教師の前では「先生、もういいですよ、うちの子どものことは」と言いながら、カウンセリ
ングルームで「ついに私たちは担任の先生に見捨てられました」と言う母親がいます。聞くと「”学校の行事予定表”も届かなくなったのです」と言います。
長期の不登校の子の保護者と、学校をつなぐ”最後のきずな”が「行事の予定表」です。保護者の方に「プリント類がいろいろありますから取りに来てください」と言う先生がいます。けれど不登校の子どもの保護者は気持ちが引けて、学校に行きにくくなっています

ほかの書類はともかく「学校の行事の予定表だけは、郵送でもいいから、必ず送り届けること」――これが学校と家庭をつなぐ”最後のきずな”になります。
仮にそのお子さんが卒業まで不登校だったとしましょう。高校も受かって最初の一週間だけ行ったけど、またすぐ不登校になってしまった。こういう場合には、そのお子さんと家族以外の”最後のきずな”が中学校の学級担任なのです。その子には、中学校を卒業した後も「十年間は暑中見舞いと年賀状だけでいいから送り続けて」ください。引きこもりの専門家の斎藤環医師は「僕は三十年間は送り続けてくださいと言っています」とおっしゃっていました
なぜそんなことを言うのか。ある中学校の先生があるとき、お母さんに呼ばれたのです。「先生、うちの子どもが交通事故で死にました。見舞いに来てやってくれませんか」。そのお子さ
んは高校をすぐにやめてアルバイトもすぐやめてしまっているから、家族以外の人で最後につ
がっていたのは、唯一、中学校三年のときの担任の先生だけだったのです。
お母さんからその子の日記(中学校を卒業してから二十五歳で亡くなるまでの日記)を見せていただくと、そこには、その先生のことばかり書いてある。もう十年も会ってないのに。
教師はときとして不登校の子どもにとっては”社会とつながっている唯一の存在”です。自分がその子にとっての”命綱のような存在”であることをわかってほしいのです。「年賀状と暑中見舞いは十年間出し続けてほしい」という言葉の背後には、こういった思いがあります。

所長視点

人と人とが関わるときに、幸せを感じることもあれば、傷つくこともあります。

それでも人は人と関わらずにはいられない生き物です

一瞬一瞬の関わりの連続が人生だとすれば、

一瞬一瞬の関わりを大切にすることが人生を豊かにすることであると同時に人を幸せにすることにつながる…ということでしょうか

深いですねー 

2021年8月20日金曜日

耳を傾けることは話すことよりもずっと大切

 

今日のお題

人びとの声に耳を傾けることは、私のような記者だけに必要なことではありません。

たとえばヒット商品を開発したり、一流のカスタマー・サービスを提供したり、優 秀な人材を採用・慰留したり、何かを販売したりするとき、まず最初にすべきは、相手に耳を傾けること。

良き友、良き恋人、良き親であるために必要なのも、耳を傾けること。

すべて、「聴く」という行為にかかっています。

私たちはかつて、友達や家族に直接会って近況報告をしていたものでした。

でも今は、テキスト・メッセージを送ったり、ツイートしたり、ソーシャルメディアに投稿したりする方が多いのではないでしょうか。

今の時代は、数十、数百、数千、もっと言えば数百万もの人に、同時にメッセージを送れます。

でもあなたは一体どのくらいの頻度で、その誰か一人と直接会って、話をじっくりと掘り下げる時間を持ったり、持つ努力をしたりしているでしょうか?

人と直接会っても、私たちは、自分が見たものや経験したことを言葉で表現して伝えるのではなく、スマートフォンの写真を回覧します。

会話をしながら同じ笑いのツボを見つける代わりに、インターネット・ミーム(ある情報がヒトからヒトへ模倣されながら人類の文化を形成していくもの)やユーチューブの動画を見せ合います。

意見が食い違うことがあれば、グーグル検索が仲裁役になります。

誰かの話が30秒以上かかろうものなら、みんなうつむいてしまいます。

話を聞いて深く考えているのではなく、テキスト・メッセージを読んだり、スポーツの結果を見たり、オンラインで何がトレンド入りしているかを確認しているのです。

誰かの話に耳を傾ける能力は、あらゆる人(とりわけ自分と反対意見の人や、要点を早く言ってくれない人)を締め出す能力に取って代わってしまいました。

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所長視点

インターネットやSNSの影響で、会話の最中もスマホをいじる人は少なくありません。

同時に、ネットやSNSでのやり取りが主になったため、実際に会って話を聞くことが少なくなりました

更にコロナ禍でリアルに会うことがますます減ったように思います

聞き上手になるには「傾聴の三動作」

「話し三分に、聞き七分、うなずき、あいづち、驚きの表情」

「はひふへほ」げ基本。

「は~」「ひー」「ふ~ん」「へ~」「ほーほー」

誰の話でも聞ける人が家庭力をUPするのに近道かもしれませんね

 

2021年8月19日木曜日

自分の顔に責任をもつ

 今日のお題

鏡を利用する自己暗示法を真剣に実行しさえすれば、信念はどんどん煥発(かんぱつ)されるはずである。

私は毎晩の寝がけに、『今日1日、本当にありがとうございました。本当にうれしく、ありがたく、これから休ませていただきます』

鏡を前において、顔を写して、じいっと顔を見て、『お前は信念が強くなる!』と一言いって、床の中に入る

所長視点

何の効能もない薬でも、「これは効く!」と信じて服用すると、私たちの身体はそれに反応し、病原体などをやっつけてくれる「プラシボ効果」(偽薬効果)は有名です。

自分に言葉を一番聞いているのも自分ですから、自分の言葉で自分が創られている、ともいえます

そもそも、自分の顔をよくみているのは家族です。

家族のために、自分の顔に責任をもつことも重要かもしれません

2021年8月18日水曜日

自分の行いと心持ち

今日のお題

自分の足で登ったことのある山は

遠くから見たときにより美しく見え、

再び登ったときには

何とも言えない愛おしさを感じるものである。

人も同じではないか。

好きだから愛するのではなく、

愛していくからこそ深い情が沸いてくる。

あの山を美しく感じたいなら、

愛着がわくまで登ってみよ。

目の前の景色を美しく変えるのは、

自分の行いと心持ちである。


所長視点

人生において必要なことはすべて、登山をすれば教えられるといいます。

どんな犯罪人も、雪山を3回登れば、真剣に命と向き合う人間になるともいいます

自然と正対(心で向き合う)し、命と正対すれば、人間の本心は元気になるのかもしれません。

理屈を超えたところで神様と出会うのでしょう 

2021年8月17日火曜日

歳だからこそできることがある

 不快な感情やマイナス思考を遠ざけ、快を保つために最も効果的でダイレクトな方法、それはウォーキングをすることです。

人類の祖先が直立ニ足歩行によって脳を著しく発達させ、進化していったことからもわかるとおり、歩くと脳が強烈に刺激されて活性化します。

こういう状態にあるとき、不快な感情やマイナス思考が長く尾を引くことはありません。

人間は、歩きながら怒ったり、恐れたり、悩み続けたりすることはできないようになっているのです。

歩き始めて15分もすると、不快な感情に代って快の感情が湧き起こってきます。

歩くことによって分泌される快楽系ホルモン、ベーターエンドルフィンの恩恵です。

ベーターエンドルフィンの分泌が始まるまで約15分かかりますが、一度出てしまえば、その効果は約5時間から6時間にもわたって継続します。

歩き続けて20分後、今度はドーパミンの分泌が始まります。

ベーターエンドルフィンとドーパミンが合わさると脳の神経回路が顕著に活性化するので、とにかく気分が高揚し、物事を明るく楽天的に考えることができるようになります。

そして、夢や希望、ロマンが湧いてきます。

仕事のアイデアを出す、プランニングする、何かを創造するというときにも、このように脳が快の状態になっていないとうまくいきません。

ですから私はいつも、「成功したいならウォーキングをしなきゃダメだ」と言っています

いい「口ぐぜ」はいい人生をつくる/大和出版


所長視点

「歳だらかね…」という言葉は、脳を老化させるそうです。

また疲れていると、エスカレーターに乗りたくなったり、なるべく楽をしようとして歩かなくなる。

実はそれは逆効果だそうです

「歳だからこそできることがある」「疲れているからこそ歩く」

いつの時代も成長する人が若い人。どんなときでも成長できる。

今日から階段を使うとしますか

2021年8月16日月曜日

心を安らげるような『言葉』をあげたい

 『「愛語(あいご)」という言葉は、良寛和尚が好んで使っていたと言われています。

良寛和尚の「愛語の心」とは、こういうものだと聞きました。

「自分は貧しいひとりの修行僧なので、人に与えるもの、あげるものが何もない。

だからせめて、心をあたたかくするような、心を安らげるような『言葉』をあげたい。

それならいくらでもあげることができるから」

良寛和尚は、自分の口から出てくる言葉を「あたたかい言葉」「やさしい言葉」「思いやりに満ちた言葉」にしたいと思っていたようです。

日本の神道には「言霊」という概念があります。

「言葉には神が宿っている」という考え方ですが、私たちは、普段、使っている言葉のひとつ一つに、相手に大きな影響を与える力(神)が宿っていることを忘れていたのかもしれません。』

「愛」の反対は「憎」。

だから、愛語の反対は憎語かもしれない。

憎しみがあって、トゲがあって、不愉快にさせ、心を冷たくする言葉だ。

もし、自分のまわりが「愛語」ではなく「憎語」が飛び交っていたら、その状態を「不幸」という。

どんなにお金があろうと、豪華な家や車があって、表面的には立派な家族であったとしても、だ。

人間関係が良いかどうかは、この「愛語」のあるなしにかかっている。

家族や友人、会社の中に、思いやりや、気遣い、感謝にあふれた、温かな「愛語」があるかどうか。

昨今、マスコミやYouTubeで炎上する案件が多いが、それは、この愛語がないからだ。

あたたかくて、やさしくて、おもいやりに満ちた言葉、「愛語」の実践をして…

温かな人間関係を築ける人でありたい。

(ありがとうの魔法/ダイヤモンド社)

所長視点

人が幸せと感じるか、不幸と感じるかは人間関係の影響が95%だと言われています

人間(特に男性?)は一人でいる時間を必要としますが、一人では生きていけませんし、幸せにはなれないように神様が創られたようです。

逆に言えば、どんなに自分にとって「良いこと」が起こったとしても、心から一緒に喜べる人がいないとすれば「幸せを感じれない」ということでしょう

人間関係のコツは「自分が相手にどんな言葉を投げかけるか」

日頃 「自分が相手にどんな言葉を投げかけているか」は相手が自分にどんな言葉をかけてくるかで分かります。

怖いですねー