2020年12月15日火曜日

NO423 「南無阿弥陀仏」

生涯を愛の教育にかけられた先生から、こんなお話を聞きました。
夜遅くに電話が入り、こんな夜中に誰が電話をくれたかと、受話器をとってみると、男の方が切羽詰まった声で、「世の中の人がみんな私を見捨てた。裏切った。生きてゆく勇気がなくなったから、今から首をつって死のうと思う。けれど、一つだけ気になることがある。南無阿弥陀仏と唱えて死んだら救ってもらえるか」というのです。
先生はおっしゃいました。「待ってください。あなたの気まぐれな南無阿弥陀仏ぐらいで救われるもんですか。そんなことより、あなたはまわり中が見捨てた、裏切ったというけれど、あなた自身が自分を裏切り、見捨てて死のうとしているじゃないか。その間も、あなたを見捨てずに、呼びかけ通しに呼びかけ、働き通しに働きかけていてくださる、その方のお声が聞こえないか」と。「そんな声、どこにも聞こえやしない」という電話の主に対して、先生はさらにおっしゃいました。
「眠りこけている間も、あなたの心臓が働いているでしょう。死のうとしているときも、あなたの呼吸が出入りしているでしょう。死なせてなるものか、頑張って生きてくれよとあなたの心臓を働かせ、あなたの呼吸を出入りさせてくれている。その働きを仏さまというのです。そのほかのどこに仏があると思うのですか」
「勘違いしていたようだな」とつぶやくようにいって、電話の主は電話を切りました。眠りこけている間も、自殺しようとしているときも、腹を立てているときも、笑いころげているときも、いついかなるときも私を生かしつづけてくださっている。その働きを仏と呼びます。

~ 愛知専門尼僧堂堂長、青山俊董さんより ~

所長視点)
私達は1日のうちで70回もの判断をしているそうです。そのうち60回以上は無意識のうちに判断しているとのこと。心臓の鼓動やまばたきをすることなども、無意識の自分が行っている分野だそうです。無意識と意識の割合は97:3です。まだまだわからないことが多いです。人生を「不幸だ」と決めるにはまだ早い?

2020年12月14日月曜日

NO422 「なんとなく」

私が恵まれていたのは、多くの先人から「目に見えない世界」の中にまことの喜びを見出すことを教えていただいたことです。「天が喜ぶ生き方」は「目に見えない世界」の中に見出すことができます。私たちは、普段「目に見える世界」を中心に生きています。「目に見える世界」では、何かが「できる」「できない」、「うまい」「下手」などが、はっきりわかります。ですから、目に見えたことだけを見て、ついつい「正しい」「正しくない」とか、「いい」「悪い」と言ってしまいます。
しかし、人の心の中は見えません。見えないからよくわかりません。自分の心のことですらわからないことがありますね。人の心のように「見えない世界」はわからないし、感じにくいものです。しかし、「見えない世界」を大切にして生きていくことが、天が喜ぶ人生にはとても大事なことなのです。
多くの人にとって「見えない世界」は「わからない世界」です。でも、わからないからこそ、自分で感じ取ろうとすることです。まずは、なんとなく、なんとなく感じることから始めてみる。これが出発点です。
この目に見えない「なんとなく」の世界を昔の日本人は、大切に生きてきました。そして、この「なんとなく」という漠然とした言葉でしか伝えられない世界を、「なんとなく」感じ取ってくださるみなさんがいる。この目に見えない「なんとなく」を深めていくことで見えてくる新しい世界があるのです。

~ 元伊勢道場長 中山靖雄さんより ~

所長視点)
 先祖のことを思うと、親から子へ子から孫へ、ずっと続いてきた命の結果、私は生まれてきたんだなぁ、ありがたいなぁ、となんとなく感じるこれが「目に見えない世界」の感覚です。なんとなく感じる、なんとなくありがたいなぁと思う、この感覚です。それを大切に思うことが人にとって一番大切なことなのかもしれません


2020年12月13日日曜日

NO421 「絶対はおいしいものはない」

世の中に、絶対においしいものなんか、あるんだろうか?たぶん、ないだろうね。どんなにおいしいものでも、お腹いっぱいのときに食べたら、大しておいしいとは思わないだろうし、普段はさほどおいしいと思っていなくても、お腹が空いてどうしようもないときに食べたら、こんなにおいしいものがあったのかと感激するんじゃないかな。だから、絶対においしいものなんか、世の中にはない。ただし、ものをおいしく食べることはできる。
きっと一緒なんだろうね、人生ってやつも。絶対におもしろいことなんかない。同じことでも、状況によって、おもしろかったり、おもしろくなかったりする。だけど、どんな状況にあっても、ものごとをおもしろくすることはできるんじゃないかな。ボクはこれまで、どうしたらおもしろくなるか、そればっかり考えて生きてきた。
そんなボクだからこそいえることがあるとすれば、おもしろがった人のほうが、人生を面白く生きられるということだ。おもしろく生きることに、年齢は関係ない。いくつになろうが、おもしろく生きようと思えば、おもしろく生きられる。かえって長く生きてきた人、いろいろなことを経験してきた人のほうが、おもしろがるコツを知っているんじゃないかな。

~ 萩本欽一さんより ~

所長視点)
神社では神様に祈ることとともに、お祭りをする。神様は人間と一緒に喜んで騒いで歌って食べるのが好きなのかもしれません。そうであるなら、面白く生きている人とは気があうはず。そのほうが運がよくなるし、人もお金も寄ってくる。神様とともに喜べる人になりたいものです

2020年12月12日土曜日

NO420 「返報性の法則」

世の中をナメている人間は、いつか必ず大失敗します。ナメてかかると、いずれ相手に復讐されるというのが、この世の法則だからです。これを「返報性の法則」といいます。他人を疎んじていると、必ず他人に疎んじられ、お金を軽んじていると、必ずお金に軽んじられ、健康を無視していると、必ず健康にも無視される。逆に他人を大切にする人は、人間関係に恵まれ、お金を大切にする人は、お金に恵まれ、健康を大切にする人は、健康に恵まれるようになる。雑巾だって大切に使えば、長持ちしてくれます。この返報性の法則をしっかり理解し、大切なものを大切にしてさえいれば、どんなに不幸になりたいと思っても、そうそう簡単に不幸にしてくれません

~ イメージトレーニング指導者 西田文郎さんより ~

所長視点)
何事に対しての一生懸命、懇切丁寧に生きる人は必ず報われる時代が来ました。結果がでようとでまいと、人から評価されようとされまいと、自分の生き方がそのまま現れる時代です。「鏡(かがみ)」をみて自分の姿が映ります。その姿に「我(が)」が無ければ「神(かみ)」になります…




2020年12月11日金曜日

NO419 「花をもたせる」

相手に花を持たせるとは、その人を立てて功を譲ったり、 人に名誉や手柄を譲ったり、相手に恥をかかせなかったりすることだ。何か議論になってしまったようなとき、あえて反論せず、「そうですね」と言って引き下がるようなこと。ムキになってやり合えば、ケンカになってしまい、関係も悪くなる。正しさを競って、相手をやり込めることができたとしても、何の得もない。サッとよけることだ。「自分の方がすごいんだ」とか「私のがもっと知っている」と競うのは、傍から見ていて見苦しい。人間が「小さい」とみられてしまう。そして、人としての器の大きさが問われる。人と話をしていて、自分の方が多くしゃべってしまう、というのも同じ。人の話をじっと黙って聞いている、出しゃばらないし、静かに控えている、ということは人間関係にとって、時に、とても大事なこと。相手に花を持たせる人でありたい。

~ 経営者 西原宏夫さんより ~

所長視点)

人から評価されてもされなくても心がブレないのは軸を持っている人です。軸は価値観であり、生き様でもあります。自信とは自分を信じると書きます。結果をだせるから自信がつくというのもありますが、どんなときでも自分を信じることができればブレない軸をもつことができます。花をもたせることができる人はかっこいいです

2020年12月10日木曜日

NO418 「想定外」

想定外の出来事は、生涯にわたって起こり続けます。
あなたの人生に影響を与える出来事の多くは、実際にはあなたが生まれるよりもずっと前に起きています。たとえば、自分の親や、母国語、人類や出生地などを自分で選ぶことはできません。最初に通った学校、同級生や先生の選択に関して、あなたはいったいどれほどコントロールできたでしょうか?友達は自分で選んだと思うかもしれませんが、実際には、住んでいるところや、学校、仕事、家族のつながりなどでお互いに近くにいれば、たいていの人は友達になるものです。キャリアや職業も同じです。大学での専攻分野や、職業、会社、同僚、上司にも想定外の出来事が影響を与えています。
自分の行動をコントロールすること、人生に影響をもたらす出来事に対して自分がどう思うかをコントロールすることはできますが、結果をコントロールすることはだれにもできません。人生には保障されているものは何ひとつありません。そのなかで、確かなことは、何もしないでいる限り、どこにもたどり着かないということ。あなたの行動次第で望ましい結果が起こる確率を高めることができる唯一のことなのです。

~ 心理学教授 J.D.クランボルツ氏より ~

所長視点)
コントロールできないことをコントロールしようとすると、心が乱れ、結果に対して一喜一憂するようになり、今を真剣に生きられなくなります。不安なとき、心配なとき、後悔しているときがそのときです。出来事や他人はコントロールできなくても、訓練次第では自分自身をコントロールすることができます。なにをコントロールしようとするのかによって人生の充実度合いが変わってくるのかもしれません

2020年12月8日火曜日

NO417 「マサカの時代」

これからはますます、あらゆる予測という予測が外れる時代に入ってきた。AIやITなどの急激な進化や、変革が及ぼす影響が読めないからだ。「マサカ」の時代。その中で、個人にできることは何なのか。一つ言えるのは、人は自分の死生観を持つべきだということだ。いま自分が生きていること、やがて確実に死ぬということに対して、自分なりの答えを用意しておかなければならない。その中で、一つ絶対に確実なことは、「人は生まれたら必ず死ぬ」という現実。これは、どんな金持ちだろうと有名人だろうと、この現実は免れることはできない。つまり、どんなことが起ころうと覚悟を決めるといこと。覚悟を決めるということは、生きている限り、己の人間力を磨き続け、少しでも善き人間となること。この一瞬一瞬を、一所懸命生き切りたい

~ 小説家 五木寛之さんより ~

所長視点)
これからの予定を立て準備することはもちろん大切ですが、それがそのとおりなるとは限りません。コロナ禍でまさかこんな状況になるとは思わなかった方を多いはず。コロナ以外でも予測不能な事柄はたくさんあります。そんななか、思い通りにいかない状況に一喜一憂するのではなく、一瞬一瞬を後悔のないように生きようとする姿勢が重要になってきました。