2020年12月8日火曜日

NO416 「幸せになる秘訣」

オリンポスの神々が集まり、「幸せになる秘訣をどこに隠したら、人間がそれを見つけた時にもっとも感謝するか」を話し合った。「高い山の上がいい」「いや、深い海の底だ」「それよりも地中深く埋めるのがいい」と議論百出。すると、一人の神が「人間の心の奥深いところに隠すのが一番だ」と言い、全員がその意見に賛成した、という話である。
幸せの秘訣は人間の心の奥深くにある。自分の花を咲かせる秘訣は心の中にある、ということである。だが、心の奥深く隠されているが故に、秘訣に気づかぬままに人生を終える人も少なくない。どうすればその秘訣に気づき、自分の花を咲かせることができるのか。
まず、自らの命に目覚めること。自分がここにいるのは両親がいたからであり、その両親にもそれぞれ両親があり、それが連綿と続いて、いま自分はここにいる。どこかで組み合わせが変わっていたら、あるいは途絶えていたら、自分はここにはいない。自分の命は自分のものではない。すべては与えられたものだ。その自覚こそ、自分の花を咲かせる土壌になる。

~ 致知出版 藤尾秀昭さんより ~

所長視点)
自分の心を見ようと思っても見ることができない。自分の顔を直接みれないのと同じです。しかし、鏡をみればそのままの顔をみることができます。心の鏡は「いま目の前にある現実」だそうです。いま目の前で起こっている出来事、相手が放った言葉は自分の心の写し鏡です。鏡は先に笑わない…

2020年12月6日日曜日

NO415 「日常言葉」

夏の暑い日盛りに、私はタクシーに乗りました。すると運転手が、「お客さん、暑いですなあ、やりきれませんなあ」と話しかけてきた。イントネーションを相手よりもっとグレーに、マイナスにして、「ほんと、たまりませんよ」とこう答える。ここに落とし穴があるということを考えてください。うっかり同調すると危ない。
「お客さんの商売は」「〇〇です」「どうです景気は」「だめですな」と、無意識のうちに、言葉がどんどんマイナスのものになっていきやすい。じめじめした梅雨どき、「毎日、雨がかり降って、うっとうしいですね」と言われて、「まったく、洗濯物が乾かなくて…」これではいけない。「でも、アジサイの色がきれいじゃありませんか」「農作物には恵みの雨ですね」なんて、もう一生懸命にプラスのものをほじくりだして言う。ここが大切です。
我々は、普段自分の使っている言葉に支配されております。しかし、言葉は自分で選択できるんです。だから選び方しだいで、言葉を支配することができる。このことは実に大事です。心して、日常使用する言葉を選んでください。「お疲れでしょう」「ええ、もうグッタリ」なんて答えたら、疲れがどっとでてきちゃう。「いや大したことありません」、クタクタでもそう言ったほうがいい。

~ 無能唱元さんより ~

所長視点)
マイナスの言葉を口にするのに努力はいらないが、プラスの言葉を見つけるには努力がいるそうです。世の中は圧倒的に否定型、マイナスのことに満ちている影響でしょう。努力してプラス言葉を使っていると、自然と周りの人もプラスの言葉をいうようになります。言葉の共鳴現象です。マイナス言葉にきづいたら、修行と思って、一生懸命にプラスのものをほじくりだして、明るい話題にもっていく努力してみてください

2020年12月5日土曜日

NO414 「偶然の宝探し」

偶然の出会いには、自分にとって必要なメッセージが必ず隠されています。それが「何か」がわかるまで、「最近、変わったことはあった?」「何かおすすめの本はある?」など、相手といろいろな話をしてみるのです。会話のなかで、「それ、いいね」「おもしろそう」と心に刺さった話があれば、それが、あなたが受け取るべきメッセージです。私の場合、相手の話に出てきた人物に興味が湧き、「ぜひ紹介してください」と頼んだことから、その人物との新しいプロジェクトが始まったこともあります。偶然は、こんなふうにチャンスに変わっていくのです。いつもは見逃しているだけで、偶然という招待状は、誰のところにも届いています。バス停で、映画館やコンサートの会場で、信号待ちの交差点で…。そこに知った顔がいないかどうか、ちょっとあたりを見回してみてください。普段手にしない本や雑誌を、めくってみてください。たまたま開いたページに、あなたが欲しかった情報があるかもしれません。こう考えると、毎日が宝探しのようでワクワクしませんか?

~ セミナー講師 本田 健さんより ~

所長視点)
「偶然は運命からの招待状」だそうです。そこには思いもしなかったことが書かれています。しかも幸せに向かう招待状です。いまの自分では解読不能でも、心を掘り下げていくとみえてくるものがあります。コップの中の泥水と一緒で、心を静かにしているとだんだん透明になってみえてきます。

2020年12月4日金曜日

NO413 「コップの話」

心配、不安、焦り、悲しみ、嫉妬、怒り、湧き上がってきた感情に振り回されたり飲み込まれそうなときは、これからお伝えするコップの話を思い出してください。
透明なコップに水と土を入れ、箸でグルグルとかき混ぜた様子をイメージしてみましょう。かき混ぜた途端にコップの中の透明度は失われ、コップを目の高さまで持ち上げ、どの角度から覗き込んでみても、中に何が入っていたか判別が難しくなります。ここで一度、平らな場所にコップを静かに置いてみましょう。かき混ぜられて渦を巻いていた泥水は、少し待っている間に少しずつ波が静まっていき、落ち着きを取り戻します。そして、時間が経つとともに、重たいものは下へと沈んでいき、コップの中身がはっきりとわかるようになります。このかき混ぜられた泥水こそが、私たちの心の状態です。私たちの日常はいつなんどきも感情とともにあり、手放すにしろ執着するにしろ、湧き上がってくる感情に対処することを繰り返しています。つまり、私たちの心は、かき混ぜられたコップの中の泥水のように混沌としているのです。いつも泥水のままで視界がクリアになる瞬間がなければ、自分の本心がどこにあるのか、何を大切にしたいと考えているのか、湧き上がった感情の何に反応して心が乱されているのか、わからなくて当然です。だから、いったんコップを置き、心を鎮めることが必要なのです。

~ 佛母寺住職 松原正樹さんより ~

所長視点)
このコップを置くという動作が、座禅であり、マインドフルネスです。また自然なかに身をおいてボーッとするなど、自分の心の考えや感情をそのまま受け入れて、受け流していく・・・思いを手放した瞬間、新しく新鮮な感情が湧いてきます。これが心が主体の状態で、人間のパフォーマンスが最大限に発揮されやすい状態だそうです。



2020年12月3日木曜日

NO412 「頼まれる人」

私たちは「喜ばれる存在として生きる」ために生れてきました。「喜ばれる存在として生きる」ことは、自分が達成目標を掲げて、そこに駆け上がったり、人より抜きん出たりすることではありません。

「喜ばれる存在になる」=「頼まれやすい人」であること。

頼まれて、こき使われて、疲れ果てて死ぬ。これが人間の生き方です。心から楽しくて幸せなのは、友人たちからたくさんの頼まれごとをして、「しょうがないなぁ」と言いながら引き受けていくこと。頼まれごとが次から次へ来ている人は、それだけで人生が流れているということです。頼まれたことをやっていて、こき使われて、疲れ果てて死ぬ。それが人生のすべてであり、喜びです。私たちは「喜ばれる」ために生れてきた。「喜ばれる」とは、頼まれごとを引き受けていくことです

~ 小林正観さんより ~

所長視点)
頼まれない人は不機嫌な顔をしているそうです。頼んでも不機嫌なので、まわりもなるべく頼まないようにするので、そのうち頼まれなくなっていきます。また、いざというときに誰も頼る人がいなくなる。これはなかなか寂しいものです。いざというときに必要な人になることが幸せな人なのかもしれません

2020年12月2日水曜日

NO412 「ありがとうの理由」

感謝にも理屈的な感謝と、理屈ぬきの感謝があります。
理屈的な感謝は、感謝する理由がそこにあります。誰々さんが〇〇してくれたからありがとう。〇〇な理由で感謝しましょうです。これは礼儀としてもとても大事なことですが、この感謝は実は自分自身はあまりご機嫌にはなれないことがあります。
まずは自分のためにありがたいと、ただ考えてありがとうと云う事が重要です。そこには相手とか理由などは不要です。相手に関係なく、ただありがたいと考え、ありがとうと言っている方が自分自身の気分がよくなります。
まずは自分の心をご機嫌にするためにありがとうがあるのです。これは自分自身をいつでもどこでも、機嫌をよくできるし、パフォーマンスが高いので、ものごとがうまくいくことが多くなります。理由なくありがたいと考えるのが難しいと思う人がいるかもしれませんが、慣れれば可能です。ありがたいと考えありがとうと言う方が気分がいい。それでOKなのです。

~スポーツドクター 辻 秀一さんより ~

所長視点)
機嫌がいい人がいると周りの人も機嫌がよくなっていきます。自分が機嫌がいいだけで、人のためになっているのです。世の中のためになっているので、ありがとうと言われるようになる。理由なくありがとうといえる人がありがとうと言われる人になります

2020年12月1日火曜日

NO411 「昼の空の星」

私たちはこれまで目に見えるものに重きを置く唯物的な価値観に支配されすぎてきたのではないでしょうか。給料が上がったとか、今年の売り上げは去年より伸びたとか、成績がよくなったなど、数字であらわしたり、数量で測れるものを大事に思い、そこに価値を見いだしてきました。
昼の星は目には見えません。だから、昼の空に星は存在しない。そんなふうに考えてきたのです。でも見えないだけで、昼にも星は輝いているのです。医学の世界でも、目に見える患部だけを治療することが医学の役目だと考えられて、目に見えない患者の心は体の病気とは無関係なものとされてきました。しかし、気の持ちよう、心のありようで病気がよくなったり悪くなったりするのは動かしがたい「科学的事実」となっています。
知識や情報ばかりが増えて頭でっかちになった結果、かしこく、利口にはなったが、死に思いをはせたり、命のつつしみを考えたりする生命本来の深い思考が不足してしまったのです。ですから、唯物的な思考をする人ほど「昼に星は存在しない」という“正しくて浅い思考”しかない傾向が強い。そうして人知の及ばないものにたいする畏敬の念や謙虚な思いを忘れたときから、私たちは目に見えないものを軽視し、目に見えるものを偏重しはじめたのです。節度や調和といった生命思考の視点に立ってみれば、ほんとうは人間のおごりや思い上がりという「愚かさ」の始まりだったのかもしれないのです

~ 筑波大学名誉教授 村上和雄さんより ~

所長視点)
「深く掘った井戸の底からは昼でも星が見える」といいますが、それは本当だそうです。ものごとをそのように深くとらえられる人のほうがその思考も、その命も深いものになっていきます。見えないだけでなにかある、それは尊いものであるととらえて生きる生き方が輝く時代が来ました